東京交響楽団 「ブルックナー:交響曲第8番」 11/12

東京交響楽団第530回定期演奏会

ブルックナー 交響曲第8番

指揮 ユベール・スダーン

2005/11/12 18:00 サントリーホール2階

東響の顔としてすっかり定着した感のあるスダーン。彼の手がけるブルックナーはとても優れていると耳に挟んだので、先日初めて聴いてきました。曲はブルックナーの一連のシンフォニーの中でも、特に重厚長大な第8番。ノヴァーク版第2稿にての演奏でした。

スダーンのブルックナーは確かに充実していました。一言で言い表せば、とても見通しの良く、大変に美しいブルックナーです。スダーンは、一つ一つのフレーズを全く疎かにすることなく、巧みに情感を付けて、音に魂を注入していきます。と言っても、決して感情没入に一辺倒の演奏ではありません。音の強弱や全体のテンポの変化などは、殊更強く提示することがないので、結果とした全体の流れは、実に流麗に仕上がります。美しい弦のカンタービレを響かせたと思いきや、その上に優しい木管の軽やかな響きをのせる。金管群は比較的抑制的に、ともすれば響き過ぎることもあるこのホール音響を熟知しているかのように、穏やかに息長く鳴らしていきます。この曲の一種のクライマックスでもある第三楽章の究極の強奏部や、第四楽章のコーダの勇ましい音の大行進では、それこそ全身の力を振り絞るかのように、オーケストラへエネルギーの波動を与えるのですが、それでもやはりそこから紡がれる音楽の束は、決して限界を超えた、言い換えればブルックナーの音楽にて良く使用される言葉でもある、「神」や「彼岸」へ到達することがないのです。鳥のさえずりや川のせせらぎの音が聞こえる人里離れた森の小径にて、ブルックナーが笑顔で愉しく散歩する。そんなイメージが湧いてきます。(それはそれで怖いかもしれませんが…。)

音楽は終始インテンポで、実にキビキビと進行しますが、先ほども書いたように、各フレーズに豊かな情感をこめてしっかりと表現していくので、単純にサラッと流れてしまうことはありません。このテンポ感で、息の長いフレーズを明瞭に聴かせること。さらにはゆとりのある「ブルックナー休止」をとること。それらが驚くほど美しく自然に表現されるのです。瑞々しい弦の煌めきと、ふくよかな木管金管の膨らみ。何かと神々しく表現されるこの曲が、これほどに人懐っこい表情にて、さらには柔らかに響いてくるとは思いませんでした。

東京交響楽団も、スダーンの指示に的確に反応していきます。隅々まで解釈が行き届いているのか、ピアニッシモでの繊細な美しさやフォルティッシモでの咆哮の全てが、自然体に表現されます。一つ気になったのは、全体の重厚感の不足でしょうか。(かなりこぢんまりと響きます。)また、あともう一歩、コントラバスの下支えとティンパニに強さがあればとも思います。ただ、弦、特にバイオリンとチェロ、そしてトランペットの正確さには驚きです。音楽監督スダーンの求める音作りが浸透し始めてきたのでしょうか。大変に失礼ながら、これまでの東響のイメージが大分変わりました。

今年何回かホールでブルックナーを聴いてきましたが、その中では最も心にしみ入る演奏でした。今度もこのコンビには接し続けていきたいです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」 森アーツセンターギャラリー 11/12

森アーツセンターギャラリー(港区六本木)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ展 -直筆ノート『レスター手稿』日本初公開- 」
9/15~11/13

マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長が個人で所有する、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の「レスター手稿」。その全18枚、計78頁を、日本で初めて公開するという貴重な展覧会です。会期末の土曜日、館内は想像以上の混雑ぶりでしたが、人混みをかきわけて、稀有な総合芸術家ダ・ヴィンチの、恐るべき探求力と発想力の結晶に触れてきました。

手稿は随分と良い状態にて残されています。ノートサイズの、決して大きいとは言えない手稿の両面には、鏡面文字と呼ばれる「逆さ文字」が、あまりにも精緻に、そして几帳面にビッシリと書かれています。当然ながら私は、それを読み取るのが不可能なので、手稿上に描かれた様々な素描に目がいくわけですが、それがこの展覧会の一番の見所でもあります。地球と月と太陽の位置関係を表したものや、川における流れの変化を示した図など、どれも文字のサイズと同じくらい小さく表されていますが、もちろんそれらは、デッサンとして見るべき価値のある図でもあります。簡潔明瞭に、時には試行錯誤の痕跡すら残しながら示されるダ・ヴィンチの思索。それは「天才の頭脳」とも称されるようですが、むしろ私には、飽くなき探究心と発想力に支えられた、精密で整然とした論理のパズルに見えました。ある一定の常識や情報にとらわれることなく、宇宙にまで広がるダ・ヴィンチの無限の思考。それが約500年の時を超えて、さらに価値を増す形で、小さな一枚一枚の手稿にハッキリと凝縮され残されている。これはまさに奇跡です。

今回の展覧会でも特に優れている点は、このようなダ・ヴィンチの貴重な思索を、半ばエンターテイメント的に演出して、会場を盛り上げる形にて展示していることです。確かに、この日の混雑を見ても、ダ・ヴィンチの思索とゆっくり対面することはなかなか叶いませんが、ただ単純に手稿をズラッと並べるのではなく、ダ・ヴィンチが考案した飛行機の模型や様々な実験器具を模型にて展示、または再現することで、さらに手稿のイメージを膨らませることが出来ます。一見地味にも見えてしまう手稿を、分かりやすく面白い形で提示すること。暗闇の中で手稿にジッと見入る子供たち。彼ら彼女らは、その後、会場の飛行機の模型へ目を転じた時、初めてダ・ヴィンチのイメージを具現化させるのではないでしょうか。森美術館ならでは巧みな雰囲気作りです。

今回は、西洋美術がご専門の池上英洋さん(ブログ「池上英洋の第弐研究室」)とその学生さんによる、ダ・ヴィンチの手稿に関するご解説を聞きながら、じっくりと時間をかけて鑑賞してきました。改めまして、貴重な時間をさいていただいてのお話、どうもありがとうございました。(この日の池上さんのレクチャーは、Takさんのブログに詳しく掲載されています。)
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )

新たなアート情報サイト、「芸力 geiriki.jp 」誕生!

私のような素人美術愛好家(?)が、ギャラリーの企画展の情報をまとめて得ようとすると、「月刊ギャラリー」のような専門誌か、それに準ずるミニコミ誌に頼る他なく、Web上でまとまった情報を手に入れることがなかなか難しかったのですが、この度、それを補って余りあるような画期的なサイトが誕生しました。それが「芸力 geiriki.jp 」です。

「芸力 geiriki.jp 」
アートをもっと身近に!ステキなアートをより多くの人に伝えたい!
ネット・アート・サロン 「芸力-geiriki-」は アートの総合情報サイトを目指しています。


サイト内では、東京都内のギャラリーの最新の展覧会の情報が、検索可能な上に、随時更新されています。また、銀座や青山など、各エリア別に分かれたコーナーもあり、それぞれのギャラリーには、何かと分かりにくい所在地の地図へのリンクも張られています。もちろん、ギャラリーの展示期間や営業時間、それに休日情報なども掲載されていました。この上ない情報量です。

また、もう一点、「オススメの展覧会をピックアップ」するコーナーである、「Recommend & Review」も見逃せません。東京都内だけでも無数にあるギャラリーの企画展から、より興味深く、面白いものをセレクトする嬉しい企画。これはとても有難い指針になります。

さて、最後になりましたが、何とこの「芸力」は、いつもブログでお世話になっていて、共にギャラリー巡りのスペシャリストでもいらっしゃる「ArtsLog」のsayakaさんが運営されて、さらに「ex-chamber」のDADA.さんがご協力なさっておられます。「芸力」には、sayakaさんがお書きになられている「芸力活動日誌」という素敵なブログもあります。こちらには、タイトルに込められた意味や、「芸力」の今後の展開の方向性などが示されています。これも必見です。

さあ、これで、何かと敷居の高そうなギャラリー巡りの準備は整いました。美術館の展覧会ではなかなかお目にかかれないような作品にも出会える、アートの宝庫ギャラリー。「芸力」があれば、まさに百人力です。sayakaさん、DADA.さん、素晴らしいサイトをどうもありがとうございました!
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

「北斎展」 東京国立博物館 11/3

東京国立博物館(台東区上野公園)
「北斎展」
10/25~12/4

もはやこれ以上望むことが許されないほど、質量共に極めて充実した、葛飾北斎(1760-1849)の大回顧展です。展示作品の数は、会期全体を通すと計500点。メトロポリタン美術館やアムステルダム国立美術館など、欧米からも多数集められた品々は見応え満点です。まさに「史上最強の北斎展」と呼んで良いでしょう。

会場は非常に混雑していて、作品の前に立つのもままならないほどでした。一点一点を、じっくり味わおうとするならば、最低半日はかかるのではないでしょうか。展示は、実にオーソドックスなスタイルで、北斎の画業を時系列に回顧し、作品を並べていきます。「習作の時代」とも題され、自身の画名を春朗と名乗った「春朗期」の作品から、精緻でありながら躍動感を持つ北斎の筆の力と、絶妙なバランス感覚を見せる優れた構図感を堪能することが出来ますが、さらに俵屋宗理と改名して創作を続けた「宗理期」に差し掛かると、徐々に独創的な画風を示し始めて、より見応えが増してきます。

「宗理期」の中では、後の「神奈川沖浪裏」を思わせるような大きな波が、荒々しい山のようにダイナミックにせり上がる、「おしをくりはとうつうせんのづ」(東京国立博物館蔵)や、洋風版画としても知られ、橋や家、それに背後の山々の稜線が幾何学的な模様に見えて面白い「金沢八景」(ボストン美術館蔵)、または、光琳風の梅の枝を模して描いたとされる、流れるような墨のタッチが美しい「深山鶯」(大英博物館蔵)などに惹かれましたが、特に、「夜鷹図」(細見美術館蔵)の味わい深さには恐れ入ります。墨を基調にしながら、背筋をピンと伸ばして立つ人物の凛とした趣きと、まるで一筆で描かれたような蝙蝠や柳、そして中央の月が、極めて流麗に描かれています。まさに完璧としか言いようのない、この優れた構図感。全く隙がありません。

三番目のセクションの「葛飾北斎期」では、まず、アニメーションの萌芽と言っても良いような、滑稽で、可愛らしい動きを見せる、戯画の「鳥羽絵集会」(ベルギー王立美術歴史館蔵)のシリーズに惹かれましたが、ここで一押しの作品は、「酔余美人図」(氏家浮世絵コレクション蔵)です。着物を少し開けるようにして、両肘をつけて斜めに寝そべる女性の姿。藍や青などの上に草花の文様が配された着物の色付きは実に見事で、女性の透き通るような美しい肌色と絶妙に調和しています。女性の前には、赤い盃が一つ、無造作に描かれていますが、それがなければ、恋煩いをする女性の姿にも見えてきて、イメージを大きく膨らませます。女性の赤い唇からは、今にも煩悶の溜め息すら洩れてきそうです。背景に何も描かれていない点もまた、女性の存在感を大きく増させます。

「戴斗期」では、「鵜飼図」(MOA美術館蔵)が非常に魅力的でした。この作品も特に構図感に優れています。大きく蛇行する川の流れと、揺れる舟の上でバランスをとるかのようにして立ち、鵜を伺うために腰を折った鵜匠の姿。そして彼が持つ、左から右へと煙の靡く赤い松明。その全てが画面の中で動きを見せながら交錯し、一瞬間に静止しています。まるで、「静」と「動」が同時に描かれたような作品です。また、筆遣いも精密さこそやや犠牲になっていますが、それでもこの瞬間の表現のために必要な流麗さは残していて、構図感と共に魅せるものを強く感じました。

「錦絵の時代」とされる「為一期」からは、何と言っても「富嶽三十六景」が挙げられると思います。「颱風快晴」では、東京国立博物館所蔵の品と、ギメ美術館のものが比較展示されていましたが、東博の作品がまるで油彩画のような味わいを見せているとすれば、ギメのそれは、水墨画のような淡くて美しい色遣いを楽しませてくれます。富士の裾野から頂上にかけて、美しいグラデーションを見せるギメの「颱風快晴」。頂上へ向かって赤らむ富士との接点は、淡い緑の野原の広がりでした。また、空は、微睡むかのような穏やかな表情を見せて、薄い青みにいくつもの雲を浮かべます。東博の作品に見られる底抜けの深い青にも驚かされますが、ギメの初刷りの自然な色合いの前にすると、いささか分が悪いようです。

メトロポリタン美術館からやって来た、あまりにも有名な「神奈川沖浪裏」は、日頃親しんでいた東博の作品がかすんでしまうほどに、鮮やかで美しく輝いていました。黒みを帯びた波の青色と、光るような白い飛沫と波頭。まるで恐竜が牙を剥いているかのように、舟へと襲いかかる逞しい波の描写。メトロポリタンの作品は、波間から汐の匂いすら沸き立ってくるほどに、海の青と白が美しく表現されています。また、東博の作品では少々分かりにくい、富士の上に浮かぶ大きな雲の白さもハッキリと出ていました。巨大な波頭に対峙するかのようにせり上がる、まるで積乱雲のような大きな雲。この対比もまた見事でした。

「為一期」では、錦絵以外にも、肉筆画に多くの素晴らしい作品が並んでいます。まずは、「長大判花鳥図」の「遊亀」(東京国立博物館蔵)です。亀が三匹、水中にて泳ぐ様子が描かれていますが、これはもはや水の中の光景ではなく、天へ駆ける亀の姿を捉えたような、美しく幻想的な作品に仕上がっています。また、亀も泳いでいると言うよりも乱舞しているとした方が適切で、その伸びやかな動きは目を見張らされます。また、画面の左上から右下へ、四本の線が流れるようにして配されていますが、その線もまた、亀の踊りにさらなる躍動感をもたらします。一番上の亀は、まもなく天頂へ達しそうです。どこか恍惚とした表情を浮かべているようにも見えました。

そして「軍鶏図」(MOA美術館蔵)です。斜めに構えた二羽の軍鶏の立ち姿と、己の力を示威するかのような鋭い目つき。これほどカッコ良い軍鶏がどこにいるのでしょうか。足の先から頭のてっぺん、そして一枚一枚の羽まで、極めて丁寧な筆にて、これでもかと言うほどに精密に描かれています。完成度という点において、これ以上の作品はなかなか見当たらないと思えるほどです。まるで強い光線を発しているかのような軍鶏の強烈な眼光。この視線には、ただただ釘付けになるしかありません。

最後は、北斎の晩年を概観する「画狂老人 卍期」のセクションです。1849年、北斎はその生涯を90歳にて閉じることになりますが、彼の筆の力は、最期を迎えるまで殆ど衰えることがなかったようです。まさに狂ったかのように全てを描き尽くします。この展覧会のハイライトです。非常に見所のある作品ばかりが、見る者の作品に対する受容を超えるほどに、ひたすらに並びます。圧巻です。

まずは「前北斎卍筆 肉筆画貼」(葛飾北斎美術館蔵)から「鮎と紅葉」です。三匹の鮎が、淡い水色のグラデーションを描くせせらぎの中で、気持ち良さそうに泳いでいます。鮎は、その表面の滑りすら表現したのではないかと思うほどに、柔らかく質感豊かに描かれています。中央に配された鮎の目つきは、先の軍鶏のように鋭く、そこにまるで意思と感情が宿っているかのような気配すら感じさせます。水に沈んでいるとも浮かんでいるとも見えるような紅葉も、デザインとしての美しさを見せていて、この作品の魅力をさらに高めます。清らかな水と淡い紅葉に、シャープな体をさらす鮎の美しさ。この味わい深さは深く心に残ります。

そしてここでさらに素晴らしい作品が、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の「西瓜図」です。縦長の画面に、細長く切られて垂らされた、向こう側が透き通って見えるほどに美しい西瓜の皮と、瑞々しい半身の西瓜、そしてその上におもむろに置かれた、仄かに青く光る包丁。構図として見ても非常に興味深い作品ですが、やはりそれぞれの美しい質感には特に魅せられます。そして質感と言えば、西瓜の上にかけられた半紙がまさに絶品です。西瓜の切り口を透かして見せながらも、それ自体もしっかりとした存在感を持っている。少し湿り気を帯びたような半紙は、やはり西瓜の瑞々しさによるものなのでしょうか。西瓜から香しく漂う、甘い匂いすら吸い取っているかのような気配です。

「西瓜図」の隣に展示されていた、「柳に烏図」(ボストン美術館蔵)も迫力満点でした。雲行きの怪しい灰色の空に、大風になびく柳の枝。烏が風にもあおられながら、右往左往するかのように飛び、羽を休める為の木へと向かいます。烏たちの慌てぶりは、表情豊かに描かれた烏たちの目や口のから読み取ることができそうです。上から下へと連なる烏の群れ。決して大きな作品ではありませんが、烏の動きが、広がりを感じさせる空間の中で、躍動的に描かれています。その場の気配、つまり嵐の雰囲気を良く伝えます。今にも大風がこちら側へと吹いてきて、烏が画面から飛び出して来そうです。

「画狂老人 卍期」の展示作品の中でも、一際異様な気配を見せていたのは、「七面大明神応現図」(妙光寺蔵)でした。もの凄い迫力の龍の出現と、それにおののく人々の上には、それらを超越したように経典を読む日蓮の姿が描かれています。そして、龍の周りで渦巻く黒雲からは、真っ黒な飛沫が画面全体に飛び出します。身を屈めて震える人々。神々しい龍の目付きは、また実に強烈でした。経典を読む日蓮は、どこか異界からやって来たような気配です。強風の中にいるはずなのに、龍と人々の間に浮かんで、何事もないかのように超然と経典に視線をおろします。一際光る日蓮の赤い法衣。そこだけ、結界に守られているかのように、ただ強く存在していました。

長々と拙い感想を書いてしまいましたが、何でも描けてしまう、まさに天才の画業を、最高の作品群で堪能出来る展覧会です。今後、展示替えがかなりあるようです。次にいつ、これほど凄まじい「北斎展」が開かれるか。それは全く分かりません。もう一度是非出向いてみたいと思います。
コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )

アーノンクール氏、「京都賞」授賞式出席のため来日

先ほど、何気なくボヤーッと「NHKニュース9」を見ていたところ、何と京都の国際会館のステージに、あのニコラウス・アーノンクール氏が立っているではありませんか。何十年ぶりかの来日公演の予定は、確か来年だったはずなので、私の見間違いかと思いきや、「京都賞」の授賞式出席のために先日から来日していたのだそうです。これは全く知りませんでした。

京都賞授賞式 3人が受賞(NHK・映像付き)

ちなみに「京都賞」とは、京セラの創業者である稲盛和夫氏による稲盛財団が、「科学技術や文明の発展に貢献した人に贈る」(記事より引用。)賞とのことで、アーノンクールは、思想・芸術部門にての受賞ということなのだそうです。大変にお目出度いお話ではありますが、賞金もこれまたなかなかお目出度いビックな額でして、何と5000万円。NHKのニュースの映像では、随分と緊張した面持ちのアーノンクールが、メダルを首からぶら下げ、こちらを凝視するシーンが数秒ほど流されておりましたが、何十年ぶりかの来日が、このような形で来年の公演に先駆けて実現するとは思いもよりませんでした。

京都賞の受賞を記念したシンポジウム、「アーノンクール・イン・京都」(PDFファイル)という企画も、次の土曜日の12日にも予定されているのだそうです。氏にとって非常に久しぶりとなった日本は、どのようにうつったのでしょうか。あまり大きな話題ではありませんが、「極度の飛行機嫌い。」や「時差ぼけが酷い。」など、根拠の怪しい憶測も飛び交った、日本では半ば伝説的な存在であるアーノンクール。その来日はあまりにも突然だったようです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「プーシキン美術館展」 東京都美術館 11/3

東京都美術館(台東区上野公園)
「プーシキン美術館展」
10/22~12/18

19世紀末から第一次世界大戦までの間に、ロシア人実業家であるシチューキンとモロゾフによって収集されたフランス近代絵画の数々。そのコレクションが収められたプーシキン美術館の所蔵品を、まとまった形としては初めて日本で公開された展覧会です。秋の都美に相応しいような、なかなか見応えのある企画と言えそうです。

モネ、ルノワール、コーギャン、マティス、ピカソと、ビックネームが華々しく並ぶ作品は、印象派から象徴派、そしてナビ派を経て、フォーブ、キュビスムへと、西洋美術史の時間軸にのっとる形で、とても分かりやすく並べられます。モネの「白い睡蓮」やシスレーの「オシュデの庭」などの印象派の作品から、いつどこで見ても唸らされるほど素晴らしいセザンヌからの二点、さらには、南の島で創作された、鮮やかな色彩が心に残るゴーギャンや、とある日常の一コマを切り取りながらも、タッチの美しさや構図の妙に魅せられるボナールの「洗面台の鏡」など、味わい深い作品がいくつもありましたが、特に深く印象に残ったのは以下の三点でした。

まずは、この展覧会の華として、ポスターにも大々的に取り上げられた、マティスの「金魚」(1912年)です。来日は40年ぶりとのことで、当然ながら初めて見る作品ですが、140cm×98cmのキャンバスは想像以上に大きく、金魚を描いた作品としては異例とも言える迫力を見せつけます。テーブルに置かれたガラスの金魚鉢には、真っ赤で可愛らしい四匹の金魚が、やや窮屈そうに泳いでいます。そしてその背景には、色とりどりの草花と大胆な黒。それぞれがダイナミックなタッチで、金魚鉢を四方八方から取り囲みます。また、この作品で最も興味深い点は、金魚鉢の立体的な表現と、その他のデフォルメされた平面表現の対比です。前方左手に見えるのは椅子でしょうか。まるで階段のように大きく引き延ばされて、金魚鉢を左から引き立てます。また、金魚鉢も、今にもテーブルからずり落ちてしまいそうな角度で置かれています。背景の黒の上に、ぽっかりと浮かび上がる金魚鉢。デフォルメされた空間に奇妙に置かれたそれは、一見しただけで強烈な印象を残します。

二点目は、ピカソの初期の作品である「アルルカンと女友達」(1901年)です。テーブルに肘をつけて、どこかをボーッと眺めている二人の人物。右側の、菱形模様の青い服を纏った人物の顔には、長い指が絡み付くかのように耳と口へ接しています。テーブルの上には、素晴らしい質感を見せる大小のグラスが二つ。飲み物もまだ残っているようです。二名の口は固く閉ざされ、互いに口も聞かなければ、視線も合わさないような気配も漂わせますが、この二つのグラスの存在が、不思議と画面に温かみをもたらします。黙々と飲んでいたのか、ついさっきまで熱く語っていたのか。それぞれ二対の人物とガラス。背景も概ね三色だけと、極めてシンプルな構図ですが、イメージは無限に膨らんできます。

最後は、この展覧会で最も私の足を釘付けにさせた、ゴッホの「刑務所の中庭」(1890年)です。およそ中庭とはほど遠い、三方を高い塀に囲まれた塔のような場所で、囚人たちが、まるで見えない鎖に繋がれているかのように、黙々と円を描いて歩いています。上部からは光が差し込み、囚人たちには影もハッキリと描かれていますが、何故か、彼らの立っている場所だけは、寒色系の色彩でまとめられていて、不気味なおどろおどろしい雰囲気を醸し出します。囚人はどれもくたびれたズボンのポケットに手を突っ込んで、背中を曲げながら気怠そうに歩いていますが、例えば亡霊の行進のような、生気のない様子は殆ど見せません。むしろ、うつむいた顔を凄むようにあげて、じっと上目遣いに何かを見つめる怜悧な視線には、強い意思が潜んでいます。また、画面の一番前で、顔をやや斜めにしながら、こちらを睨む一人の人物の気配には、特にただならぬものを感じました。他の囚人たちを従えるかのように先頭に立って、一際グイッと肩を迫り出して歩く様子。彼の顔の表情からはしばらく逃れることが出来ません。背筋が寒くなりました。

個人のコレクションによる展覧会と言えば、森美術館で今年開催された「フィリップス・コレクション展」を思い出しますが、全体的にはそちらにやや軍配があがるかとは思うにしろ、それでも比較的マイナーな画家からいわゆる大家まで、見応えのある作品をいくつも見せてくれます。また、ゴーギャンやボナールの版画など、あまり他では見ないような作品にも出会えました。12月18日までの開催です。
コメント ( 16 ) | Trackback ( 0 )

李禹煥 「関係項」(1991年) 原美術館中庭にて

原美術館(品川区北品川)
中庭部分
「李禹煥 -関係項- 」(1991年)

拙ブログにて以前も紹介したことがある、原美術館の中庭に置かれた、李禹煥の「関係項」です。



芝生が鉄板へ寄り添うかのように生えています。


錆びた鉄板を挟んで、石が二つ。


鉄板半分を縦方向に撮ってみました。


ソル・ルウィット「不完全な立方体」とのツーショット。


芝生の上に、雨風にさらされる形で置かれる「関係項」。今、横浜美術館で開催中の李禹煥展のように、直接コンクリートの上に置くことよりも、作品自体の軽さとでも言うような、どこかフワフワとした浮遊感を味わうことができます。石は芝生を介して下の大地へとのしかかり、逆に鉄板は、芝生に持ち上げられて上へと向かう。そのような作品の中での反発力も感じます。如何でしょうか。

*ちなみに、しばらく前からブログのタイトルの背景に使っている画像は、横浜美術館の李禹煥展に屋外展示されている、「関係項 鉄の壁」の上半分です。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

11月の予定と10月の記録

11月の予定

 展覧会
  「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」 森アーツセンターギャラリー(11/13まで)
  「松園と美しき女性たち」 山種美術館(11/27まで)
  「ミラノ展」 千葉市美術館(12/4まで)
  「北斎展」 東京国立博物館(12/4まで)
  「ベトナム近代絵画展」 東京ステーションギャラリー(12/11まで)
  「プーシキン美術館展」 東京都美術館(12/18まで)
  「BankART Life 24時間のホスピタリティー」 BankART 1929(12/18まで)
  「横浜トリエンナーレ2005」 横浜市山下ふ頭3号、4号上屋ほか(12/18まで)

 コンサート
  「東京交響楽団第530回サントリー定期」 ブルックナー「交響曲第8番」/サントリーホール 12日 18:00~
  「東京都交響楽団第616回定期Aシリーズ」 ショスタコーヴィチ「交響曲第1番」他/東京文化会館 14日 19:00~
  「バイエルン放送交響楽団横浜公演」 ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」他/横浜みなとみらいホール 23日14:00~
  「新国立劇場2005/2006シーズン」 ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」/新国立劇場 26日 17:00~


10月の記録 (リンクは私の感想です。)

 展覧会
  1日 「特集展示 青木繁『海の幸』」 ブリヂストン美術館
  1日 「イサム・ノグチ展」 東京都現代美術館
  8日 「プラート美術の至宝展」 損保ジャパン東郷青児美術館
  9日 「テンポラリー・イミグレーション展」 ワタリウム美術館
  9日 「特別展 国宝 燕子花図」 根津美術館
  10日 「CET2005 神田エリア」 千代田区内神田界隈
  10日 「Office Vacant」/「NEUT.」 CET2005・日本橋ステーション
  23日 「巨匠 デ・キリコ展」 大丸ミュージアム・東京
  23日 「ZONE-POETIC MOMENT」 トーキョーワンダーサイト
  29日 「写真はものの見方をどのように変えてきたか 第4部 -混沌- 」 東京都写真美術館
  29日 「やなぎみわ展」 原美術館
  30日 「横山大観『生々流転』前半部分」 東京国立近代美術館
  30日 「日本のアール・ヌーヴォー」 東京国立近代美術館工芸館 
  
 ギャラリー
  8日 「荒木経惟写真展 飛雲閣ものがたり」 epSITE
  9日 「田中功起 原因が結果」 ナディッフ
  27日 「渡辺剛 TRANSPLANT展」 資生堂ギャラリー
  27日 「頭上注意の絵画」 ヴァイスフェルト
  27日 「鈴木明×山田正好展」 ASK? art space kimura

 コンサート
  2日 「伶楽舎第7回雅楽演奏会」 武満徹「秋庭歌一具」他
  12日 「古典四重奏団 バルトーク弦楽四重奏曲全曲演奏会第2回」 バルトーク「弦楽四重奏曲第4番」他
  13日 「乃木神社第31回管絃祭」 「蘭陵王一具」他
  15日 「二期会ニューウェーブオペラ劇場」 ヘンデル「ジュリアス・シーザー」/鈴木雅明
  16日 「新国立劇場2005/2006シーズン」 ロッシーニ「セビリアの理髪師」/カバレッティ

11月も盛りだくさんに予定を立ててみました。この中では、共に会場が横浜である、トリエンナーレ2005とバイエルン放送響の演奏会が特に楽しみです。ちなみに、上野での北斎展とプーシキン美術館展は、先日既に見てきましたが、前者の北斎展は、質量共に、まさに空前絶後のスケールと形容出来るような、非常に優れた内容です。今後、会期末に向けて大混雑は必至かと思いますが、これは是非おすすめします。

10月はギャラリーを少し巡ってみました。今後も、月に5カ所程度見られればと思っています。展覧会では、プラート美術館展も素晴らしかったのですが、やはり木場のイサム・ノグチ展が最も印象に残っています。数々の彫刻との出会いは、あまりにも強烈でした。これまで、ノグチにさしたる関心がなかった自分が悔しいくらいです。まさに一目惚れです。

コンサートでは、これまたこれまで関心を持ったことのなかった、雅楽というジャンルに心が向いたひと月でした。また、私のバロックオペラ初体験となったジュリアス・シーザーの公演も、BCJの純度の高い響きがまだ心に残っています。

11月に入って大分と寒くなってきたからなのか、少し風邪が流行りはじめました。どうかご自愛ください。それでは、今月もよろしくお願いします。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「渡辺剛 TRANSPLANT展」 資生堂ギャラリー 10/27

資生堂ギャラリー(中央区銀座)
「渡辺剛 TRANSPLANT展」
10/4~11/27

資生堂ギャラリーにて開催中の、渡辺剛の新作「TRANSPLANT」の写真展です。「植民地」という概念に視点を置いて撮影された、世界各国のプランテーションと外国人居住地の二種類の写真が、約10点ほど展示されています。

初めの大展示室に展示されているのは、マレーシアとブラジル、それにハワイのプランテーションが捉えられた、それぞれ約4m×5m四方の巨大な写真です。緑の深い農園の、ジトジトした湿り気すら伝わってきそうな気配は、展示室の空間を埋め尽くすかのように圧倒的に迫ってきます。19世紀の植民地政策の元、その土地にあった伝統的な農業を破壊する形で、支配的に増殖していった産業農園。一見、美しい大自然の姿のように見えるこれらの作品の根底からは、抑圧と異化があったことが湧き上がるかのように示唆されます。植民地を覆ったプランテーションを、一つの展示室の全てを使用するほどの巨大な写真で捉えること。その大きさは、プランテーションへの強烈な批判精神の表れなのかもしれません。

二つ目の展示室にある写真には、アメリカの日本人移民居住地などが撮影されています。また、作品の上には、撮影地の国名もガラスに示されて、その場を囲む国家の存在を強く印象付けます。国を含んだ共同体の中に、別の共同体が露骨に持ち込まれた場所。そしてその地における人の営み。ブラジルの日系移民居住地の「金閣寺」には驚かされましたが、その他にも、今にも倒れてきそうなほどのボロボロの外壁を見せるインドのイギリス統治時代の建物や、シンガポールの高層ビルの前に佇むイスラムのモスクなど、文化同士が調和しながら、または反発し合う、その双方の姿が捉えられます。それぞれの国や文化、そしてそこに息づく人々が、多様に交差しながらも、やはり元来の共同性に基づいたそれらに、半ば「呪縛」されて存在する様子。「金閣寺」がまるでオリジナルのように見えるのは、異文化同士の融和の結果としてポジティブに捉えて良いのか。これらの作品からは、そんな問題も提供されます。

「TRANSPLANT」、つまり「移植」の意味を、面白い視点で見つめさせる展覧会です。11月27日までの開催です。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「日本のアール・ヌーヴォー」 東京国立近代美術館工芸館 10/30

東京国立近代美術館工芸館(千代田区北の丸公園)
「日本のアール・ヌーヴォー 1900~1923 -工芸とデザインの新時代- 」
9/17~11/27

東京国立近代美術館の工芸館で開催中の展覧会です。日本におけるアール・ヌーヴォーの受容過程を、工芸とデザインの観点から追って概観します。なかなか見応えのある内容です。

華美な装飾様式からの脱却と、自然の形態への回帰から、植物や女性をモチーフとする流麗な表現へ進んだアール・ヌーヴォー。この展覧会では、その頂点を1900年のパリ万博と定めて、当時の日本へどう伝播したのかを見ていきます。アール・ヌーヴォーの源泉にはジャポニスムがある。それは、アール・ヌーヴォーの日本への伝播を、言わば「逆流現象」(美術館パンフレットより。)として捉えることにもなります。日本の元来あった様々な表現技法が、新たな視点を加えて見直される契機ともなったそれは、例えば、デザインの流れとして、四条派から琳派への再発見がなされたことなどに挙げられるそうです。

ミュシャのリトグラフや、ティファニーのステンドガラスなども見応え十分ですが、展示の中心は、日本におけるアール・ヌーヴォーを、いくつかの視点に分けて概観したコーナーです。端正な美しいフォルムの上に、植物の文様が淡く象られた、宮川香山の「色入菖蒲図花瓶」(1897-1912年)や、再発見の琳派を取り入れて生み出された、神坂雪佳の「八つ橋」(1909年)などは、どれも豊かな職人芸を思わせる魅力的な作品です。また、アール・ヌーヴォーをいち早く日本へ紹介し、自身も積極的に作品を創作した浅井忠は、この展覧会においても中心的な役割を果たしています。清水六兵衛との共作による「鶏梅蒔絵文庫」(1906年)など、非常に優れた作品がいくつか展示されていました。

一番最後の「Life 日本のアール・ヌーヴォーのその後」のコーナーにあった、岸田劉生の「静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)」(1917年)は、とても深く印象に残ります。岸田劉生に独特とも言える、土の匂いすら漂ってきそうな、濃厚に塗られた茶色の上に、小ぶりの青林檎が三つと、同じく小さな湯呑みと茶碗が、一つずつ配されます。茶碗と青林檎の可愛らしい雰囲気は、以前このブログでも取り上げたことのある、速水御舟の「茶碗と果実」にどこか通じるようでもあり、また、油彩の豊かな質感と構図の妙は、ブリヂストン美術館にあるセザンヌの「鉢と牛乳入れ」をも思い起こさせます。静物画というジャンルでありながら、どこか心を揺さぶられるような、哀愁を帯びた作品でもあります。

普段、工芸館へ足を運ぶことはあまりないのですが、思わぬ魅力的な作品に出会えた良い展覧会でした。11月27日までの開催です。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

「やなぎみわ展」 原美術館 10/29

原美術館(品川区北品川)
「やなぎみわ -無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語- 」
8/13~11/6

原美術館で開催中のやなぎみわの個展です。彼女の作品は、これまでに何点か拝見したことがありますが、まとまった形で見るのは今回が初めてです。かなり前々から気になっていた展覧会でしたが、先日、ようやく見ることが出来ました。

二律背反的とも言える少女と老女が、画面の中で劇を繰り広げる「寓話」シリーズ。それが今回の展覧会の目玉です。どれも極めて物語性を感じさせる作品ばかりで、何らかの前提知識を持っていなくても、スッとその作品世界へ入り込むことができます。美術館の入口すぐの展示室に置かれていた、真っ黒な、まるでテント小屋のような作品は、ビデオ・インスタレーションの「砂少女」(2004年)です。荒涼とした砂漠の中で、テントを頭から被りながら戯れる二人の少女。この約5分ほどの映像は、展覧会全体の奇怪な雰囲気のイメージを、大変に効果的に植え付けます。優れた導入です。

グリムやアンデルセン童話に基づく「寓話」シリーズでは、表裏一体の老女と少女によって作られた劇の核心が、モノクロの写真に無骨に表現されていきます。少女によるモデルは、童話の悪役としての老女と、善玉としての少女に分かれて、それぞれに劇を演じます。一見純粋無垢な少女が、悪魔的な表情を浮かべながら、悪役としての老女を襲う。役柄における元来のイメージは、半ば倒錯される形で行為そのものの凄みを伝えて、見る者に強烈な違和感や恐怖感を与えます。無垢な少女の無慈悲な行い。タイトルの「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」のイメージが浮かび上がります。

Gallery5でのビデオ・インスタレーション「砂女」(2005年)は、砂女という極めてお伽話的な、半ば伝説上の架空の存在を通して、少女と老女の「無垢」と「無慈悲」をつなげる作品です。砂女は、展覧会の初めにも出てきたようなテントを頭から被り、老いた手と少女のような足を持っています。そこには、老若の対立項は消え去っていて、語り手の老婆と、聞き手の少女は、半ば表裏一体となっていきます。「砂女に合いたい。」として、砂女を探しにいく少女の姿。「砂女」の残滓には海の匂いが残っていたというフレーズが特に印象的でした。

どの作品も、特殊メイクによって「老」を作り出した少女による寓話劇を、そのままビデオや写真に置き換えたものですが、そこから生み出されるイメージは、かなりに自由に広がります。丁度、象徴派の作品を前にした時に、その背景にある物語に自由に思いを馳せるような、そのような気持ちを味わうことも出来ます。

かつて生活の場所であった原美術館そのものが持つ特有の雰囲気は、寓話の少女と老女が、今もここに暮らしているかのような不気味さすら生み出します。振り返ればそこに砂女がいる。来館者によるギシギシという足音が、まるで砂女の足音のように聞こえます。今月の6日までの開催です。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「やなぎみわ展のイメージケーキ」 カフェ・ダール 10/29

「カフェ・ダール」
原美術館
やなぎみわ展のイメージケーキ

東京の美術館の併設カフェとしては、あまりにも有名なカフェ・ダールです。ガラス張りのテラス席は、晴れていれば燦々と陽光が差し込んで、とても心地よい空間となります。中庭に置かれた作品、例えばソル・ルウィットの「不完全な立方体」などを横目にしながら、つい長居してしまうような、とてものんびりとした雰囲気。もちろん、中庭内の屋外席を利用することも可能です。(カラスが少々気になりますが…。)フルボトルのワインの付いたセットをテーブルに並べ、顔を赤めながら、愉しそうに会話しているグループも良く見かけます。

ランチは、セットメニューで約2000円前後と、美術館併設カフェとしてはやや高めでもありますが、価格に見合ったレベルの料理も提供されるということで、わざわざ入場料を払って、食事のみを楽しむ方もいらっしゃるようです。(ランチの記事はまた次の展覧会の際にでもアップしたいです。)

この日は、食事は他で済ませていたので、カフェ・ダール一番の名物メニューでもあるイメージケーキを注文しました。ちなみに、イメージケーキとは、その名の通り、展覧会のイメージに見合って作られるケーキのことで、当然ながら毎回変わります。やなぎみわの奇怪な作品をどうケーキに作り替えるか、これはなかなか見物です。

ということで運ばれてきたのはこちらです。作品「砂女」風でしょうか。



コーヒーとのセットで1000円ほどです。

マンゴーのムースをベースにしています。お味は、作品の奇怪なイメージとは少々異なりますが、なかなか美味です。


チョコのムースか何かで仕立てて、もっと重厚感のあるお味にした方が、作品にピッタリかと思いましたが、如何でしょうか。

ケーキを食べながら、展覧会にも思いを馳せる。この日も、原美術館ならではの楽しみ方を充分に味わうことが出来ました。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

「年に一度の特別公開 横山大観『生々流転』前半」 東京国立近代美術館 10/30

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
「年に一度の特別公開 横山大観『生々流転』前半部分」
10/8~11/13

全長40メートルにも及ぶ横山大観の超大作「生々流転」の特別公開です。作品の前半部分は今月の13日まで、後半部分は11月15日から12月18日まで、それぞれに分けて展示されています。

前半部分には、霧深い山々から発せられたせせらぎが、山々の谷間を縫うように流れ、大河に注ぎ込まれるまでの様子が描かれていました。雲海の中からそそり立つ山の頂きと一筋の小川。いつしかそれは集まって、軽やかに音を立てながら渓流として流れ出します。山の奥には、猿や樵(きこり)、それに馬などが点在して、美しい渓流の水飛沫と接しながら、自然の恵みを豊かに受け取っていました。渓流に迫る神々しい岩肌と、凛と佇む松林が印象的な山の姿。長大な画面ながらも、山奥での生命の営みとあるがままの大自然が、実に丁寧に描かれています。

水墨画の技法も駆使して作成された画面は、どこも瑞々しさに満ちあふれていました。山の岩肌の重々しい質感と、霧とも雲ともつかぬ山を覆う靄の湿り気、そして可愛らしくまた精緻な動物の描写。これだけ大きな作品でありながら、筆が疎かになっている場面が殆ど見受けられません。万物を潤しながら、ひたすら下へ下へと流れ行く渓流の美しさと、それを見守る山や林、そして生命が、半ば対比的にも描かれています。見応え満点です。

後半には、大河が人間の生活をかすめながら海へと注ぎ、さらには暗雲のたれる大海原から飛龍が天へ昇り行くという、まさにタイトルの「生々流転」を思わせる部分が描かれています。作品の公開は常設展示室内で行われていますが、前期会期中にチケットを購入すると、後半会期中に有効なチケットがもれなくいただけます。これは後期も是非拝見したいです。

*関連エントリ
「年に一度の特別公開 横山大観『生々流転』後半」 東京国立近代美術館 12/17
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
   次ページ »