きっといい夢見てる
連用修飾語(特に副詞)について、続きです。「なかなか」「あまり」「ほとんど」「きっと」など、副詞だ、なんて意識しなくても、なかなかいいねぇ、なかなか花が咲かない、あまり寒くないよ、ほとんどそろった、きっとよくなるよ、というふうに、日常会話で頻繁に使う言葉です。それがおかしいってどういうこと?
「貯金はほとんど難しいという状況で」は、「貯金はほとんどできないという状況で」もしくは「貯金は難しいという状況で」、どちらかです。「ほとんど100点が多かったですね」「ほとんどは家庭ごみが多かったんですよね」は、結局どうなのかよく分かりません。「ほとんど100点」だったのか、「100点が多かった」のか。「ほとんどは家庭ごみ」だったのか、「家庭ごみが多かった」のか。
「ポチたま」の「きっと大和撫子なのかな」というナレーション、ナレーターは俳優ですが、俳優なのに「きっと大和撫子なのかな」なんて、ほかの人が書いた原稿を読んでいるだけだとしても、よくまぁ平気でそのまま言えますね。俳優がナレーションをやるのはよくあることですが、本業の合間にやっている副業のようなものなのでしょうか、だからてきとーにやってる?
「きっと」は、見込みが外れないという気持ちで言うわけですから、「きっと勝つ」「きっと大丈夫」「きっとうまくいく」というように、勝つこと、大丈夫だということ、うまくいくということを強く信じているわけです。ということは、「~なのかな」と続けるなんてありえないわけです。
本当に「きっと」を何だと思っているのか、「きっと・・・かもしれませんね」「きっとここで写真を撮ったのでは?」「今回も、きっと有能な人が教えてくれるのを待ちましょう」「きっと多分これからもやんちゃだと思うんですよね」など、めちゃくちゃです。「きっと・・・なんです」「きっとここで写真を撮ったんですよ、そうに違いない」「今回もきっと有能な人が教えてくれますよ、期待しましょう」「きっとこれからもやんちゃですよ」と言えばいいのです。言えないなら「きっと」なんて言わないで!
テレビでちょくちょく見掛ける政治家も「全然よく分かりません」って・・・、「全然分かりません」ときっぱり言ったらどうなの?! 始めと終わりがちぐはぐ、後半腰砕けというのは、謙虚さをアピールすることに必死な今の風潮のせい( ̄・ ̄)? 言葉だけやたら謙虚でも・・・ね<( ̄・ ̄)>。
連用修飾語(特に副詞)について、続きです。「なかなか」「あまり」「ほとんど」「きっと」など、副詞だ、なんて意識しなくても、なかなかいいねぇ、なかなか花が咲かない、あまり寒くないよ、ほとんどそろった、きっとよくなるよ、というふうに、日常会話で頻繁に使う言葉です。それがおかしいってどういうこと?
「貯金はほとんど難しいという状況で」は、「貯金はほとんどできないという状況で」もしくは「貯金は難しいという状況で」、どちらかです。「ほとんど100点が多かったですね」「ほとんどは家庭ごみが多かったんですよね」は、結局どうなのかよく分かりません。「ほとんど100点」だったのか、「100点が多かった」のか。「ほとんどは家庭ごみ」だったのか、「家庭ごみが多かった」のか。
「ポチたま」の「きっと大和撫子なのかな」というナレーション、ナレーターは俳優ですが、俳優なのに「きっと大和撫子なのかな」なんて、ほかの人が書いた原稿を読んでいるだけだとしても、よくまぁ平気でそのまま言えますね。俳優がナレーションをやるのはよくあることですが、本業の合間にやっている副業のようなものなのでしょうか、だからてきとーにやってる?
「きっと」は、見込みが外れないという気持ちで言うわけですから、「きっと勝つ」「きっと大丈夫」「きっとうまくいく」というように、勝つこと、大丈夫だということ、うまくいくということを強く信じているわけです。ということは、「~なのかな」と続けるなんてありえないわけです。
本当に「きっと」を何だと思っているのか、「きっと・・・かもしれませんね」「きっとここで写真を撮ったのでは?」「今回も、きっと有能な人が教えてくれるのを待ちましょう」「きっと多分これからもやんちゃだと思うんですよね」など、めちゃくちゃです。「きっと・・・なんです」「きっとここで写真を撮ったんですよ、そうに違いない」「今回もきっと有能な人が教えてくれますよ、期待しましょう」「きっとこれからもやんちゃですよ」と言えばいいのです。言えないなら「きっと」なんて言わないで!
テレビでちょくちょく見掛ける政治家も「全然よく分かりません」って・・・、「全然分かりません」ときっぱり言ったらどうなの?! 始めと終わりがちぐはぐ、後半腰砕けというのは、謙虚さをアピールすることに必死な今の風潮のせい( ̄・ ̄)? 言葉だけやたら謙虚でも・・・ね<( ̄・ ̄)>。