慎重なんだよね
はい、前回の続きです。「石橋をたたいても渡らなく」の後、だからどうだということを言うなら「石橋をたたいても渡らなくて」です。例えば、「彼はふだんから石橋をたたいても渡らなくて、慎重、というか、要するに臆病だったんですよ」といった具合です。「渡らなくて」を硬めに言えば「渡らず」となり、「彼はふだんから石橋をたたいても渡らず、慎重というより臆病なのだと周囲の人は見ていました」というふうになります。
そして、単にとても慎重だからこういう行動をとる、ということを言うなら、「石橋をたたいても渡らないで」です。「彼はふだんから石橋をたたいても渡らないで、遠回りでも安全な方へ行きました」という具合。硬めに言えば「渡らずに」で、「彼はふだんから石橋をたたいても渡らずに遠回りでも安全な方へ行きました」というふうになります。
つまり、「石橋をたたいても渡らなく」は、その後に続ける言葉、言う内容について、言っている本人が意識しておらず、中途半端な形のまま放置しているということです。「ぴくりとも動かなく」もそうで、「ぴくりとも動かなくなり」と言ってくれればいいのに「動かなく」までしか言わないものだから、「なく・・・どうなんだっ、最後まで言えよっ」と画面に向かってほえることになります( ̄~ ̄)。
前回、「積めなく」だの「壊れなく」だの若い人は平気で書くけれど、さすがに聞いたことはないと書きました。書き言葉は話し言葉より硬めになるから「積めなく」「壊れなく」が出てくるわけですが、書くということは見直しもできるわけで、日本語としてどうなのか考えるはず。それでも出てくるということは、うっかりではなく、誤りだという認識がないということになります。
これらは、ちょっと前まではごちゃごちゃ考えなくてもすっと出てくる言い方でしたが、「約束を守れず、周囲から非難される」ということを「約束を守れずに非難」なんて書く人がいるこのごろですからいちいち考えてしまいます。何も考えないで文字どおり受け取ると180°逆の意味になりますから注意が必要ですね。ちゃんとした日本語は、「渡らなくて」ならこう続く、「渡らないで」ならこう続くというのが想像できるのですが、「渡らなく」では想像できません。
これはディクテーションをやっていたときに嫌というほど感じさせられたことです。日本語がおかしいから、次はこう言うはずだという流れが変わってしまい、恐ろしく効率が悪いのです。きれいな日本語の人だと、その人が次の言葉を発する前に予想して入力した言葉が概ね当たるのですが、ほとんどの場合、全く思わぬ言葉が出てきます。話し手の言いたいことを理解するのに骨が折れる、妙な世の中になりました。
はい、前回の続きです。「石橋をたたいても渡らなく」の後、だからどうだということを言うなら「石橋をたたいても渡らなくて」です。例えば、「彼はふだんから石橋をたたいても渡らなくて、慎重、というか、要するに臆病だったんですよ」といった具合です。「渡らなくて」を硬めに言えば「渡らず」となり、「彼はふだんから石橋をたたいても渡らず、慎重というより臆病なのだと周囲の人は見ていました」というふうになります。
そして、単にとても慎重だからこういう行動をとる、ということを言うなら、「石橋をたたいても渡らないで」です。「彼はふだんから石橋をたたいても渡らないで、遠回りでも安全な方へ行きました」という具合。硬めに言えば「渡らずに」で、「彼はふだんから石橋をたたいても渡らずに遠回りでも安全な方へ行きました」というふうになります。
つまり、「石橋をたたいても渡らなく」は、その後に続ける言葉、言う内容について、言っている本人が意識しておらず、中途半端な形のまま放置しているということです。「ぴくりとも動かなく」もそうで、「ぴくりとも動かなくなり」と言ってくれればいいのに「動かなく」までしか言わないものだから、「なく・・・どうなんだっ、最後まで言えよっ」と画面に向かってほえることになります( ̄~ ̄)。
前回、「積めなく」だの「壊れなく」だの若い人は平気で書くけれど、さすがに聞いたことはないと書きました。書き言葉は話し言葉より硬めになるから「積めなく」「壊れなく」が出てくるわけですが、書くということは見直しもできるわけで、日本語としてどうなのか考えるはず。それでも出てくるということは、うっかりではなく、誤りだという認識がないということになります。
これらは、ちょっと前まではごちゃごちゃ考えなくてもすっと出てくる言い方でしたが、「約束を守れず、周囲から非難される」ということを「約束を守れずに非難」なんて書く人がいるこのごろですからいちいち考えてしまいます。何も考えないで文字どおり受け取ると180°逆の意味になりますから注意が必要ですね。ちゃんとした日本語は、「渡らなくて」ならこう続く、「渡らないで」ならこう続くというのが想像できるのですが、「渡らなく」では想像できません。
これはディクテーションをやっていたときに嫌というほど感じさせられたことです。日本語がおかしいから、次はこう言うはずだという流れが変わってしまい、恐ろしく効率が悪いのです。きれいな日本語の人だと、その人が次の言葉を発する前に予想して入力した言葉が概ね当たるのですが、ほとんどの場合、全く思わぬ言葉が出てきます。話し手の言いたいことを理解するのに骨が折れる、妙な世の中になりました。