休憩で道の駅阿蘇に寄ったので隣接する豊肥本線の阿蘇駅に向かった。駅前ロータリーには黄金色の不思議な像があった。ウソップ像というようで詳しくはネット検索してみてください。丁度ホームには宮地発肥後大津行きの列車が入ってきた。前日通った道沿いには豊肥本線のスイッチバックがあったようだ。
阿蘇中岳火口を訪れたのは何十年ぶりであろうか。現在はシャトルバスで火口まで訪れるのであるが以前はロープウェイで登っていた。阿蘇山ロープウェイ仮事務所と表示された建物があった。ロープウェイがあった名残りが表示として残されていた。
先日、サントリーの熊本・阿蘇ビール工場を見物したことを紹介したが、当工場は阿蘇山からの天然水を使用して製造されており、天然水のビール工場と称されている。工場内はオートメ化されており、作業をする人影は一部でみられるのみであった。
ビールには関係ないがサントリーの前身である寿屋時代のTORYSの空瓶が物入の中にあった。(下画像)
若い頃に北九州の窯元を訪れた時に記念に求めたもので、福岡県田川郡赤池町(現福智町)上野皿山にある上野焼は遠州七窯の一と言われ三窯元を巡ったように記憶している。この茶碗は高鶴窯の高鶴夏山の作品である。
瑜伽大権現は明治期の神仏分離令により由加神社と蓮台寺に分離されているが、山内の広くに蓮台寺の施設が散在しておりその中に由加神社の境内があり、神仏混合の瑜伽大権現時代の名残りである。
客殿は本瓦葺裳階付入母屋造の堂々たる建造物で県の重文に指定されているようであり、多宝塔は県内最大の規模のようで県の重文に指定されている。
以前に権現山頂の廃瑜伽祠について記し、江戸期の地誌に「此祠、備前児島に移すといひ伝ふ」とあったので、児島地区にある瑜伽大権現(由加神社・蓮台寺)まで足を延ばした。
由加山は古くから磐座信仰が行われ、瑜伽大権現と呼ばれ神仏習合の山であったようである。
由加神社の鳥居は珍しい備前焼の鳥居であり、狛犬も熊野神社と同じような備前焼のものであった。本宮本殿は県の重文に指定されているようであり、本殿脇には磐座信仰が行われていた巨岩がみられる。
三重塔
梵鐘
後鳥羽上皇御影塔
後庵室
五流尊瀧院は修験道の寺院で昨日紹介した熊野神社は明治時代の神仏分離令により十二社権現が熊野神社として祀られたようである。
三重塔は文政3年(1820)に建立されたようで県の重文に指定されており、鐘楼に架けられている梵鐘は康正3年(1457)に鋳造されたようで県の重文に指定されている。
後鳥羽上皇御影塔は仁治元年(1240)に亡くなった後鳥羽上皇の供養のために建立されたようで国指定重要文化財に指定されている。
昨日は孫娘の運転する車に便乗し倉敷美観地区からは車を借りて別行動で、林地区にある熊野神社に久しぶりに参詣した。備前焼に近い地であり備前焼の狛犬に出迎えられた。社殿は第一殿から第六殿まであるが現在第四殿は修復工事中であった。
安来市広瀬町には中世尼子氏の居城月山富田城があり、江戸期、松江藩の支藩であった広瀬藩の陣屋があった所である。半世紀前頃に月山富田城跡や陣屋跡、街並みなどを訪れ八幡焼の窯元があったので記念に求めたものである。
アルプス公園内に設けられている山と自然博物館の5階展望室からは北アルプス連峰や松本平、安曇野平など360度が一望できた。生憎の曇天で美しい北アルプス連峰の画像は撮れず画像のような状態であった。
今年の3月に訪れてから再度の探訪となった。城内見物は数珠繋ぎ状態であったが、前回の時よりは少な目であった。前回は時間の関係で赤い埋橋方面に行くことが出来なかったが赤い折れ曲がった埋橋と天守閣画像が撮れた。松本城は国宝の天守閣5城の一つであり、現存の天守閣12城の一つでもある。
松本城下町に祀られている深志神社を参詣した。当神社は中世にこの地の領主により先日来紹介している諏訪大社の分霊を宮村宮としてこの地に祀り、北野天満宮の分霊が他所に祀られていた。
後に天満宮を宮村宮の傍に遷し宮村両社とされていたのを深志神社と改称されたようである。
ここの宮司さんは何と当市佐方にお住まいであったようで、遥か昔に当ブログ主は父上様と姉上様に別々の場所でお逢いしたことがあったのである。
信濃国一ノ宮である諏訪大社は諏訪湖の周辺4ケ所に祀られている神社で、下社春宮は旧中山道脇に祀られている。社殿配置は秋宮とほぼ同じようであり中央に神楽殿があり、後方に弊拝殿と左右片拝殿と東西御宝殿が配置されている。現在車道となっている参道中央に下馬橋(太鼓橋)があったが、マイクロバス移動だったので撮影できなかった。
これで諏訪大社の上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮を参詣することが出来た。