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半世紀前頃に訪れた地にあった窯元で記念に求めたものである。
安来市伯太町母里には江戸期、松江藩の支藩であった母里藩の陣屋があった所で、陣屋跡や街並み、母里焼の窯元など探訪し求めたものである。ノコギリの刃のようにギザギザの町並みがあったのを現在でも覚えている。現在、求めた母里焼窯元は廃窯となっているようである。
今回のミステリーツアーで最後の観光地が国宝の松本城であった。ウイークデーであったが天守閣内は見物客の数珠つなぎであり閣内の展示物などはゆっくりと見ることは出来ないような状態であった。以前に当地の民家や寺院の懸魚を紹介したが閣内に当城の古い懸魚が展示してあった。
今回のミステリーツアーで最も訪れてみたいところであった。伊勢神宮の正殿と同じような形式のものであり、寛永13年(1636)に造営された伝統的な神明造りの様式が残されているようで、本殿・中門・釣屋は国宝に指定されている。神門には積雪があったが側面を廻っていくと国宝の本殿・中門・釣屋を見ることができたのである。
一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
ミステリーツアーで最も訪れてみたいところであった大町市の仁科神明宮に参詣した。参道入口に一の鳥居、参道途中に二の鳥居、社殿前に三の鳥居があったが通常見かける鳥居の形状とは少し異なった鳥居であった。伊勢神社でみられる鳥居と同じようであり伊勢形神明鳥居という形式のようである。
今回訪れた地には当地域では見られないような火の見櫓がみられた。上画像は旧中山道の奈良井宿町並みの中央付近の消防団詰所脇にみられた火の見櫓であり、下画像は善光寺仲見世通りの仁王門脇にある消防団詰所脇にみられた火の見櫓で何れも高さの高いものであった。バス移動中にもみられたが撮影することが出来なかった。
善光寺では明治初期までは「善光寺七名物」という商品があったようで、昨日紹介した八幡屋磯五郎の七味唐辛子、また眼界堂笠原十兵衛薬房の雲切眼薬などがあったようである。雲切目薬は現在も笠原十兵衛薬局で販売されており薬局内には家伝薬であった当時の調合器具や資料、看板などが展示されていた。
ミステリーツアーの最終日に善光寺を参詣した。以前に娘が長野市に居たことがあったことと以前のミステリーツアーで参詣したことがあり三度目の参詣となった。善光寺本堂の外陣に入ると以前に盗難報道のあったびんずる尊者が安置されており、御本尊参拝後に善光寺名物である仲見世通りの八幡屋磯五郎の七味唐辛子を求めた。
安曇野にある大王わさび農場を久しぶりに訪れた。以前訪れた時の記憶は広いわさび畑と水車小屋だけだったが、農場内には数多くの道祖神や石仏があった。これらの道祖神は各所に祀られていたものが集められたものではなかろうか。広島地方ではみられないような道祖神文化が栄えていたようである。
大町温泉郷の宿泊ホテルの玄関先に上画像の道祖神が設置されており、宴会場前のホールには中画像と下画像のような最近築造された道祖神が設置されていた。広島地方ではみられないような道祖神文化が栄えていたようである。
今回のミステリーツアーで大町温泉に宿泊した。当温泉地には積雪が多くあったが、寸暇を惜しみ温泉郷内を散策して広島地方ではみられないような道祖神を訪ねてみた。道祖神はどのような信仰が行われていたのであろうか。