昨日紹介した広電の柳庵1踏切の手前にJR柳庵川橋梁があり、上り線側の石積みは明治30年(1897)山陽鉄道開通当時のものとみられる。江戸期の絵図には鷲川となっており柳庵は地名であったが現在では柳庵川と呼ばれており、時代とともに地名や川名称も変わっていくものだ。現在川は暗渠となって道路として拡幅されている。更新の活力になります! ポチッとね!
フォロー中フォローするフォローする