原地区の民家庭先に長さ4.2m位で幅70cm位の巨大なカズラ石が5枚置かれており、この石は隣接する畑にあったようで昭和の初め頃に切り出されたそうである。
これらから原石は相当大きい石であったことが類推される。江戸期の地誌絵図によるとこの付近に舞台石が記され、名勝として平石「石面凡拾坪、厚サ三尺余、川成高峰ニ平舞台之如く出張有之候」とあるが現在見当たらないので、この石が切り出されたものとみられるのである。
原地区の民家庭先に長さ4.2m位で幅70cm位の巨大なカズラ石が5枚置かれており、この石は隣接する畑にあったようで昭和の初め頃に切り出されたそうである。
これらから原石は相当大きい石であったことが類推される。江戸期の地誌絵図によるとこの付近に舞台石が記され、名勝として平石「石面凡拾坪、厚サ三尺余、川成高峰ニ平舞台之如く出張有之候」とあるが現在見当たらないので、この石が切り出されたものとみられるのである。