大野地区の市境から国道2号線沿い大竹市最初の集落である唐船浜で、中世にはこの浜で造船が行われていたようである。天正3年(1575)の中書家久公御上京日記に「・・・左の方ニくはたとて町立有、是ハ舟を作所也、作おろさるゝ舟五拾二艘かハらはかりをすえ置たるハ数をしらす、・・・」とあり、江戸期の玖珂郡志には「・・・舩板ト云処アリ、是ハ秀吉公御代、芸州久波ノ唐船浜ニテ、防房丸出来シ時、舩板採用有リシ故、・・・」などと記されているのである。
大野地区の市境から国道2号線沿い大竹市最初の集落である唐船浜で、中世にはこの浜で造船が行われていたようである。天正3年(1575)の中書家久公御上京日記に「・・・左の方ニくはたとて町立有、是ハ舟を作所也、作おろさるゝ舟五拾二艘かハらはかりをすえ置たるハ数をしらす、・・・」とあり、江戸期の玖珂郡志には「・・・舩板ト云処アリ、是ハ秀吉公御代、芸州久波ノ唐船浜ニテ、防房丸出来シ時、舩板採用有リシ故、・・・」などと記されているのである。