渡ノ瀬地区の氏神であった三島神社はダム建設に伴って越峠に移設して祀られた。当神社は江戸期の地誌によると伊豆国三島明神を勧請、また予州三島明神を勧請したともあり、疱瘡の守り神といわれていたようである。現在は越峠・大向井の氏子さん達で祀られているようである。拝殿には絵馬や三十六歌仙額が架けられているが退色、剥落、破損が激しく何が描かれているのか判別できない。
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2.だから、渡瀬(わたのせ)の村人は、鰻を食べなかった。
3.周南の山間部でも、同様の風習。新聞では、昔、腹痛を起こしたから、とありましたが、
4.T字型の交流があり、山ー山のー字の山間部の縦断文化が、山ー海の|字の横断文化と並んで交錯していたのでしょう。
5.スファラディも鱗のない水産物は、たべないとか。
御来訪ありがとうございます。江戸期の地誌に三島大明神「・・・当村ニウナギヲ取ル事ヲ禁ス又疱瘡ノ守リ神ト云伝ふ」とあります。