渡之瀬ダム建設のために大野町内にあった佐伯町の飛地である渡之瀬地区は、水没するために立ち退きを余儀なくされた。各地に四散した旧渡之瀬住民とその血縁者は旧地をしのび平成5年にこの碑を建立している。小学生の頃立ち退きで転校してきた同級生がいたのを思い出した。ポチッとね!
小瀬川水系の玖島川に設けられている渡之瀬ダムは昭和31年に造られてもう50年になる。この水は玖波発電所に送水して発電をした後にはトンネル水路で小瀬川に戻しているそうである。このダムには若い頃バイクに乗ってよく行ったものであるが今は訪れる人は少ない。ポチッとね!
針山地区にあるバス停留所でここの民家は昔唯一の商店であったが、超過疎化により廃業されており、商店であったなごりの塩の看板が残されている。ここは佐伯地域自主運行バスとして飯山行きのバスが一往復運行している。バスは中道まで行って出合橋までもどり飯山まで運行しており、このバス停前は4度通ることになる。一往復で4度とは?と思う人はポチッとね!
JR廿日市駅北側の土地区画整理事業と都市計画道路畑口寺田線の工事が少しずつ進んでいる。駅裏とは思えない街の喧騒から隔絶された美しい景観の洞雲寺周辺も数年後には消滅しようとしているのである。ポチッとね!
原小学校前の民家の築山にある長さ約10m位の臥龍松で、石垣上の生垣を龍がはうように伸び続けている。いつまでも松くい虫被害を受けなければよいが・・・ポチッとね!
洞雲寺の山門前に戦時中弾丸鉄道が計画されて用地買収もされ、田畑には鉄道用地の範囲を示す枕木の杭が現在でも残されている。弾丸鉄道は日中戦争に伴う軍事輸送の激増に対処するために計画された高速新幹線で、後に別のルートで現在の山陽新幹線が開通したのである。山門前には弾丸列車は走らないけれど数年後には都市計画道路ができて自動車が疾走しそうだ!ポチッとね!
県道廿日市佐伯線で河津原地区にある中組三叉路交差点付近には町道廿日市津和野線と表示された標識がなぜか3本立てられている。旧佐伯町時代に設置されたものであるが、この道は江戸時代の津和野街道に沿った道のためにこのような路線名となったのだろうか?ローカルな田舎道であり廿日市から津和野まで継続性のある道とは思えないが?・・・ポチッとね!
佐方サービスエリア下にある市道脇の民家の庭先ではアニメ「隣のトトロ」の草壁サツキとメイがネコバスのバス停でお父さんの帰りを待っている。この家の主はトトロの熱烈なファンとみられネコバスの停留所などを作って庭は遊び心いっぱいで道行く人を楽しませている。ポチッとね!
上平良地区の最奥部にある大歳神社の境内には寄進された石燈籠がずらりと並んでおり田舎の神社では珍しい。この中には女剣劇で一世を風靡した地元出身の不二洋子の寄進した燈籠もある。ポチッとね!
吉和地区で草葺きの民家は数棟しか残っておらず、田尻集落にある草葺き民家は傷みの早い棟部分に瓦葺の箱棟を設けてある手入れの行き届いた草葺き民家である。農山村には草葺き屋根の民家がよく似合うのだが・・・・しかし、維持管理は大変だ。ポチッとね!
極楽寺山の極楽寺に歩いて参詣するにはいくつかの登山道がある。表参道である廿日市道には江戸時代に建立された里程碑が数多く残されている。極楽寺が37丁でありところどころに残っている里程碑を見ながらあと何丁だといいながら登ったものである・・・ポチッとね!
野貝原山山頂にあるかつての展望台から宮島方面を遠望すると遠くには大黒神島や能美島が見える。宮島に3隻の連絡船が航行しており、ナタリー跡や宮島口には屏風のように建っているマンションがみられる。両手を広げて飛んでみたい人はポチッとね!
野貝原山山頂にあったかつての「のうが高原ホテル」の現状で、麓から山上を見上げると奇異な残骸が見られる・・・レジャー施設の全盛時代に設置されたものであり、大浴場からの絶景の眺望が思い出される・・・ポチッとね!
昨日は一日中時雨れ模様で偶然にも午後の2時ごろかんのん山に虹がかかった。極楽寺山のことを地元の人はかんのん山といっており、観音さんの虹の光背であろうか。今年も残り少ないけれど何かいいことがありそうだ・・・ポチッとね!
上平良地区に最近オープンした石材店に可愛い親子4匹の豚が並んでいる石造があった。石質などから中国で作られたものであろうか・・・はるか昔に3匹の子豚と言う話はきいたことがあるが・・・可愛い! と思った人はポチッとね!
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