現在JR宮内串戸駅前が整備されつつあり駅前広場は植栽が取除かれて、駅の開通に伴って建立された「朝の詩」と題する彫刻像がぽつんと取り残されている。いずれどこかに移設されるのだろうがなぜか寂しそう。寂しそう! と思う人はポチッとね!
JR宮内串戸駅前の整備に伴って周辺道路も拡幅整備されつつあり、拡幅された道路には従来のコンクリート電柱に換わって景観に配慮したと思われるカラー電柱が設置されていた。九州地方ではカラー鉄塔があったのを見たことがあるが・・・ポチッとね!
平成17年2月に鹿児島旅行した際に桜島大根の種を購入して種を蒔いて昨年一代目の桜島大根が出来、その種を蒔いて今年二代目が出来た。その内一本が何故かせいが高くなり桜島大根らしくなくなった。廿日市では土壌が違うので鹿児島で取れるものと比べると小ぶりであるが重さは6.3kgあった。大きいな! と思う人はポチッとね!
山陽自動車道の宮島サービスエリア沿いの道を東に向かっていくと長い石段があり上りきると極楽寺道に出合う。その手前の石段脇にはフェンスを食い込んで越境した木がある。06年9月24日の「看板を食った樹」ほどではないが・・・ポチッとね!
原地区を歩いていたら畑の草が生えないようにビニールが敷いてあり重しにボーリングのボールが置いてあった。ボーリングブームの全盛期には廿日市市域には3ヶ所のボーリング場があって順番待ちでなかなかゲームはできなかったが・・・廃棄ボールの行く末はレーンの溝でなく畑の溝に・・・ポチッとね!
玖島地区にある民家の土蔵ケラバの蔵飾りで、楷書で表してあるので調べれば解るのではないかと思ったが??? 全体的には鼉(だ)の字のようであるが下部分が亀の旧字龜のようになっており該当する漢字は見当たらなかった。土蔵には米などの収穫物や什器類を保管する大切なところであり、縁起の良い亀の字が誤って施されたものだろうか???・・難解な字だ! と思う人はポチッとね!
可愛川に架かる平良大橋西詰め下流の公園内にある旧平良村の戦没者慰霊碑で碑文を元衆議院議長であった灘尾弘吉が揮毫している。この慰霊碑の先端に06年9月30日に紹介した大砲の砲身が設置されていたが、危険なために昭和44年に碑脇に下ろされた・・・斬新なデザインだ! と思う人はポチッとね!
国道2号線の廿日市市大野支所前交差点から山陽自動車道大野インターに向かう道がJR山陽本線下をくぐる立体交差として整備されている。大野インターから2号線に出るには狭い道を通るか大廻りをしていたが便利になったものだ・・・便利だ! と思う人はポチッとね!
阿品地区からふじタウンに行く途中の道路脇に教え地蔵が安置されている。江戸時代の西国街道とは違った阿品の谷尻から更地や中山に通じる脇道があり、ここで旅人の安穏を見守っていたが廿日市ニュータウン造成のために現在地に移設された。ポチッとね!
山陽新幹線の五日市トンネル内で湧出した水は西口で廿日市市の水道水に利用されて余った水が電柱脇の側溝に流出しているようである。JRにとってはやっかいな水であっても水道水に利用できるのであれば有難い水だ・・・ポチッとね!
原地区にある立善寺の鐘楼基壇で明治42年(1909)に築造されたものである。石積面の曲面仕上げ、目地の仕上げなどや上部のかずら石下面の繰型など細やかな細工がしてあり相当腕の立つ石工が施工したものであろう。ポチッとね!
交通安全の神様としてよく知られている速谷神社では現在社務所の車祓所が新築されている。車社会に入って交通安全の神様として著名となり、多くの車所有者が安全祈願のために訪れている・・・なんとこの程度の建物であるが大手ゼネコンが工事施工を行っている・・・ポチッとね!
旧大野町の公共の汚水・雨水排水管マンホール蓋である。旧大野町の大の字を中央に図案化された単純なデザインのマンホール蓋である。ポチッとね!
原地区にある民家の土蔵ケラバの蔵飾りで、宝袋が漆喰鏝細工で施されている。土蔵には米などの収穫物や什器類を保管する大切なところであり、縁起の良い宝袋が施されたものであろう・・・ポチッとね!
今年も家族一同健康で元気に過ごせるようにと近所の速谷神社、西蓮寺、八幡神社に初参りした。速谷神社には大鳥居のところまで順番待ちの参詣者でいっぱいであり、お参りまでには相当時間がかかった。三社寺とは欲張りすぎだったろうか・・・ポチッとね!
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