魅惑の里から少し奥に向かった道路脇に「太田川源流の森」と刻された大きな石碑が建立されている。そばにある看板には広島市水道局の名が見え太田川の清流を守る大切な森林ですと表示してあった。この森林から流れた清流も8月12日に紹介した立岩ダムに留まってアオコの発生した水になっているのだ。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
廿日市港の入口付近にある荷揚場で現在は全く使用されていないけれど、昔多くの船が出入りする頃にはここから臨時の海水浴行きの船が発着していた。歩み板を渡って船に乗り杉の浦、包が浦、絵の島などの海水浴場に行っていた。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
天満宮の正面に江戸時代後期の越中富山の薬売り問屋が寄進した玉垣がみられ、高岡や水橋の薬売り問屋の名が見られる。子供の頃置き薬の入れ替え時に紙風船やゴム風船をもらうのが楽しみであったが・・・人差し指の運動! 両方ポチッとね!
一時マスコミに大きく取上げられていた緑資源機構が行っている細見谷林道の工事が国道488号線分れから200m位先で行われている。工事区間は約100m位で大きく山を削って道路が拡幅されており、今年度の工事はこれで終っているようである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
太田川源流域の吉和地区にある立岩ダムの水が異常なほどの緑色であった。ダムに流入する水はきれいであるが長く留まっているとアオコの発生でこのようになるのだろうか。太田川は清流といわれているがこの水が流れているのだ。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
吉和地区を走る国道186号線の細井原交差点手前にあるひまわり畑では現在ひまわりが満開で見頃である。ひまわりは満開でみんな同じ方向を向いて咲いており壮観である。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
小屋山山麓の山陽自動車道を走っていると「残念さん」と記された大きな看板があり何だろうかと思う人が多いと思われる。幕末の長州戦争のときに幕府方の軍使が長州軍営に赴く途中に狙撃され目的を達成できずに残念といって倒れ、これを悼んで残念社を祀ったものである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
玖島地区の大町集落の道路脇でむしろの上に刻んだハブ草を広げて乾燥させハブ草茶を作っておられた。ハブ草茶は健康茶としてよく知られており、ハブ草の種子を炒って煎じるハブ草茶も香ばしい香りでおいしいものである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
玖島分れから玖島方面に向かっていると永原地区の県道沿いで大きな瓢箪が栽培棚から吊り下げられて栽培されていた。これを乾燥させて加工し飾りの瓢箪を作っておられるようである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
速谷神社の大鳥居前に「廿日市の小さな洋食屋 Petit Bonheur(プチ ボヌール)」が開店している。オーナーシェフは長年ホテルなどで修業の後今回開業したもので一味違ったお勧め料理で舌鼓を打ち、小さな幸せ(Petit Bonheur)を・・・人差し指の運動! 両方ポチッとね!
平成14年に新築移転した平良小学校の跡地は旧体育館を除いては住宅地となって全く面影はなくなった。129年の歴史のあった旧地では親子3代が学んだ数多くの思い出があったけれど・・・人差し指の運動! 両方ポチッとね!
廿日市市域の瀬戸内沿岸で宮島を除いてはほとんどがコンクリート護岸で囲まれており自然海岸はほとんどみられない。大野地区では岬の跡が大小4~5ケ所の自然のまま残されており、JR前空駅前の早時鼻の景観もいつまでも残してもらいたいものである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
住吉土手には桜並木があり桜の時期には大勢の花見客で賑わう名所であり、土手下の潮廻しには親水歩廊が設けられている。親水歩廊からは水鳥を観察することが出来るけれどあまり利用はされていないようである。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
廿日市町並みを通る西国街道沿い常国寺前に懐かしい津田式ポンプが残っていた。電柱脇でありなかなか気付きにくい場所である。カメラを向けていると通りがかりの女性が何があるのかと聞かれて、手押しポンプのことを話すと初めて気が付いたと驚いておられた。この手押しポンプは弁が磨耗して残念ながら水は出なかった。人差し指の運動! 両方ポチッとね!
佐方地区にあるマンションで廿日市市と広島市佐伯区の境界線上に建築されており、境界線はマンションを斜めに横断している。境界線上にあたる住戸の住所はどちらの市になるのだろうか? 玄関の位置できまるのだろうか?面積の多い方によって決まるのだろうか?隣同士で学校が違っていたり税金が違っていたりしたら何か奇妙な感じ・・・人差し指の運動! 両方ポチッとね!
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