hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

都電荒川線(大塚駅前~荒川車庫前)

2015-05-21 05:00:13 | 日記

『鉄道シリーズ その106。』前回に引き続き都電荒川線に乗車する。今回のレポートは大塚駅前~荒川車庫前。
大塚駅前で三ノ輪橋行きを待っていると次々に人が集まり、長い列ができる。こんなに混雑するのかと思うほど、特に高齢者のパスでの乗車が多い。


大塚駅前を出るとしばらくは快調に電車は飛ばし、巣鴨新田に到着。しかし、さらに人は乗り込み、ほぼ満員に。そして、次の庚申塚では多くの人が出口を目指す。その勢いに負け、高岩寺は次回に、とにかくとげ抜き地蔵の集客力はすごい。

新庚申塚、西ケ原四丁目、滝野川一丁目とあまり乗り降りがなく、飛鳥山停留所に到着。実はここから次の王子駅前までの区間はこの路線では唯一、一般道路を走る区間である。小生は下車して写真を撮りに行く。ふと前を見ると信号の下に黄色の矢印が出る。運転免許の試験にもよく出るが、路面電車は矢印の方向に走って良いとのサインであることを思い出すが、東京中歩いてもこの信号は中々ない。


電車は左折して一般道路にはいり、飛鳥大坂を右にカーブしながらさらにゆっくり走る。JRの高架下を越えて右折し、再び専用軌道に。ここが、王子駅前の停留所。


小生は王子駅前まで歩き、また、乗車。栄町、梶原と通り、荒川車庫前に到着。

車庫だけに色々な車両はいるし、さらにここには都電思い出広場と名付けられたスペースに2両の旧型車両が保存され、乗ることもできる。


1両はかつて高性能を誇り、1系統を走っていたPCCカー(5500系)、もう1両は荒川車庫に配属されていた7500系で、引退前には学園号とよばれたラッシュ時通学輸送車の計2両が保存されている。車両の中には懐かしい写真やジオラマなど数々の品々、さらに当時の電停にあった標識もあり、ファンなら必ず楽しめる場所である。

都電荒川線は全部乗っても短い区間だが、見所の多い都電散歩。桜の頃なら車窓からも花見ができ、一日乗車券を買えばあらかわ遊園にはタダで入れる小生のお気に入りの路線である。

キッチンABC 南大塚店~大塚ランチグルメ

2015-05-20 05:00:28 | グルメ

ランチは大塚駅から歩いて5分ほどのところにある『キッチンABC 南大塚店』にお邪魔した。この店はもう大塚で46年やっている洋食の老舗で小生も近くに住んでいた友人と大学生の頃によく通った店である。(他にも池袋などに店はある。)

店は都営アパートの1階部分にあり、隣が餃子の王将。若者に今も人気の店で開店の11時直後なのに結構先客は来ている。BGMはJポップで聞き耳を立てるとZARD、ドリカム、そしてビリバンの『さよならを言うために』と中々泣かせる選曲。メニューは豊富で黒オムカレーや豚の辛子焼き、オリエンタルライスにインディアンライスなどが名物。
サービスランチは3つから選べて『ブタの照り焼き+ミニジャンボ(豆腐と肉をニンニク味で煮付け、^_^ネギとキュウリを掛けた小鉢)』にカニクリームコロッケorメンチカツorチキンフライから選ぶことになっている。もちろん、これにスープとライスを加えたもの。(950円)小生はメンチカツを選択、しばし待つ。


5分ほどしてやってきたのはブタ照り焼きが2枚、薄いが大きなメンチカツ、スパゲッティケチャップ炒めにキャベツ、さらにミニジャンボのついたお皿。ご飯、スープ(トン汁)は普通だが、かなりのボリューム。

ニンニクは効いているが、味付けはそれほど濃くなくちょうどいい。ただ、中々やはり小生には少し脂っこい。完食はしたが、悲しいかな、もうあまり若くないなあと実感。

学生当時はこれにご飯やスープをお代わりしたり、名物カレーを別に取ったりしたことを思い出し、懐かしいやらおかしいやら。とにかく店が健在で変わっていないことは嬉しかった。なお、食べログの口コミでは平日昼は行列必至の店とのことである。


キッチンABC 南大塚店
豊島区南大塚2ー36ー1
0339479854


雑司ヶ谷鬼子母神

2015-05-19 05:00:10 | 日記

『古刹を巡る』その32。今回は伺ったのは豊島区雑司ヶ谷にある法明寺。と言っても分からないだろう。だが、雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)堂といえば大概の人は知っている。今は東京メトロ副都心線の駅も出来たが、かつては都電荒川線で行く人が殆どであった。


早稲田かり都電荒川線を鬼子母神前で降りて左に行くとすぐに参道入口がある。その先には樹齢数百年のケヤキ並木が続く参道、突き当りを左に折れるともう社殿はすぐ前にある。


境内に入ると左右にはそれほど大きくない石の仁王像が2体、これがお堂を守っている。

このお堂に祀られている鬼子母神像は1561年に山村丹右衛門という人が近く(現在の文京区目白台)から掘り出し、この辺りで像を清め、東陽坊(現在は法明寺と合併)に納めたのが縁起となっている。その後、安土桃山時代には更に信仰が盛んになり、1578年に現在の地に堂宇が建立された。

寺の漢字をよく見ると気がつくが、この鬼子母神の鬼という字には『ノ』がないが、それには鬼子母神の縁起に絡んだ話がある。鬼子母神は元々インドでカリテイモと呼ばれていた、王舎城という夜叉の娘。嫁して沢山の子供を産んだが、性格が暴虐で近隣の幼児を捕まえて食べるので恐れられていた。お釈迦様はその過ちから帝母(カリテイモ)を救うことを考え、彼女の末の子供を隠してしまった。すると帝母が大いに悲しむので『千人のうち一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らう時、その父母の嘆きや如何』と諭し、帝母は釈迦に帰依し、安産子育ての神になることを誓い、人々に崇敬された、と言われている。そのため、ツノの付かない鬼の字を用いて『雑司ヶ谷鬼(ノはない)子母神』と尊称している。


堂宇の中にもその文字が掲げられ、子供の初節句などが絶えない。また、ススキで作られたミミズクも江戸時代から売られており、有名であるが、高価なもので小生は買ったことがない。


また、先ほどのケヤキ以上に凄いのが境内の大銀杏で樹齢は700年と言われているが、勢いは衰えていない。高さは30メートル、幹周が8メートルもある。
鬱蒼とした古木の中に、他にも大黒堂や法不動堂、武芳稲荷堂などが立ち並び、その威光を今に残している。かつては病で亡くなる子供が多く、その健康な行く末を祈った父母の気持ちが今も生きている気がした。

都電荒川線(早稲田~大塚駅前)

2015-05-18 05:00:45 | 日記

『鉄道シリーズ その105』今回は1日乗車券で回る都電荒川線についてのレポート。都電荒川線は早稲田~三ノ輪橋12.2kmを結んでいるが、実は以前の系統番号の時代は32系統が早稲田~大塚駅前~王子駅前~荒川車庫前、27系統が三ノ輪橋~町屋駅前~荒川車庫前~王子駅前~赤羽駅前であり、その2つを繋げたのが現在の都電荒川線である。今回はこの内、旧32系統の部分、早稲田~荒川車庫前7.6kmを乗車した。

都電荒川線は日中6分間隔で運行されているため、写真を撮りに降りてもすぐ次の電車がやってくる。しかも、1日乗車券が400円に対して、1回の乗車に170円掛かるため、3回乗れば元が取れる計算になる。なお、購入方法は王子駅前の定期券売り場と車内(当日券のみ)でも購入できる。


今日のスタートは早稲田から。今は新目白通りの真ん中に停留所があるが、かつては新目白通りは未完成で何もない(地下鉄の駅からはかなり離れている)ところにあった。今は屋根もあり、待っていても雨に濡れることもない。電車を待っていたのが、待つ人は10人程度で折り返しすぐ発車する。

次の面影橋にはすぐに到着、面影橋とはロマンチックな名前だが、神田川に掛かる変哲もない鉄橋である。ここでは新たに2人が乗って、少し行くと明治通とのT字路で信号待ち。

明治通は手前を左折して、しばらく明治通と平行に走る。すぐに学習院下の電停だが、ネーミングが中々面白い。普通なら『学習院前』『学習院入口』などと名付けそうなものだが、学習院に行くには坂を上らないといけないとすぐわかる表記である。


実は、学習院下の先には上を目白通りが通る千登世橋の下をくぐり、次の鬼子母神前までは坂を上って行くが千登世橋までは直線で写真を撮りやすい場所である。そのため、一旦降りて写真を撮ることにする。ただ、あと少しで紫陽花も咲くのだが、まだ蕾の状態で残念ながら絵にならない。


都電には、一つ先の鬼子母神前から乗車、次の都電雑司が谷の停留所は雑司が谷墓地の入口にある。実は高校生の頃に友人の下宿がそばにあり、よく遊びに行った。静かでいいところだったが、夏は蚊が兎に角多かった。


東池袋4丁目、向原と止まり、少しずつ乗客が増えて、坂をゆっくり下り、左手にカーブをきると大塚駅前に到着。大塚駅前周辺では軌道の周りにバラを植えて乗客らの目を楽しませているが、現在、ちょうど見頃で『大塚バラ祭り』が開催中。もちろん写真を撮りに下りるが、都電とバラは中々様になる。(以下次回に続く)



早稲田周辺の坂道

2015-05-17 05:00:59 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その40。今回は早稲田周辺の坂道を巡る。

東京メトロ東西線早稲田駅を降りるとすぐ前に『夏目坂』通りが現れる。反対側に渡ると夏目漱石の生誕の地である碑がある。夏目漱石の父親である夏目小兵衞直克がこのあたりの名主で自分の名前を坂に付けたところ、周囲も夏目坂と呼ぶようになったと随筆集『硝子戸の中』(大正4年)に書かれている。



そして、元の早稲田通りに戻り、高田馬場方向に行くと穴八幡があるが、その参道が『高田八幡男坂・女坂』と名付けられている。年末年始は多くの参拝者が訪れるが、今日は殆ど人はいない。この辺りは江戸時代はミョウガの産地であったらしく、その碑が境内にある。




また、馬場下町交差点から早稲田通りは少し坂になっているが、これが『八幡坂』と呼ばれる。これはもちろん穴八幡(高田八幡)がその由来である。また、階段下には流鏑馬の銅像もある。



さらに真っ直ぐ行き、西早稲田の交差点を左折し、2本目の旧安倍球場の脇を通る坂が『グランド坂』である。今は早稲田大学総合技術センターとなってしまったが、1987年までは六大学野球の学生たちの練習する声が聞こえる球場があった。


今は早稲田大学にも大学生をはじめ、みんなが自由に出入りができるようになっており、小生が学生の頃はヘルメットと看板で埋め尽くされたキャンパスとは隔世の感がある。
早稲田周辺もホテルができるなど随分垢抜けた気がした。

椙森神社大祭

2015-05-16 05:00:13 | 日記

神田明神が先週、今週は浅草三社祭と夏祭りが相次いで行われるが、会社事務所のある人形町でも3年に一度行われる椙森神社の大祭が14~16日で行われる。



椙森神社は日本橋堀留町にある神社で日本橋七福神の一つ恵比寿天を祀っている。秋のべったら市が有名だが、江戸時代は江戸三森(椙森、烏森、柳森)の一つに数えられ、庶民から大名まで崇敬を集めた。また、境内には江戸時代に行われた富くじを偲んで『富塚の碑』が建立されている。





その祭りに使われている神輿は昭和6年に同社1千年を記念して作成された総貫350貫もある立派なものである。

神輿は堀留町、人形町1、2丁目、本町の一部を練り歩く。小生の会社の前も通ったが、なるほどその大きさは大したものである。また、神輿の前には榊を持ち、天狗も歩く行列は壮観であった。16日は大祭式もあり、小学校の校庭も開放される由。いよいよ夏が近づいてきた。


『小』をつけてみると・・・

2015-05-15 05:00:00 | 日記

『改めて日本語を知る』その10。今回は形容詞の前に例えば『小』をつけた場合にその意味が変化はすることに注目してみる。

例えば『小ぎたない』『小ばかにする』『小ざっばりしている』『小ぎれい』『小粋』『小生意気』『小じんまり』『小うるさい』『小ざかしい』などと使う。その場合に『小』が付いているからといって、きたない度(この言葉があるかはしらないが)が必ずしも『きたない』>『小ぎたない』ではないことが面白い。小が付く方が何となく強調されている感じがするし、『生意気』のほうが『小生意気』より許される気がする。(生意気な奴と小生意気な奴がいた場合、小生意気の方が嫌な奴の感じがする)では、この『小』という接頭辞はいったいなんだろうか。

また、形容詞だけでなく、『小悪魔』『小役人』『小利口』『小姑』など幾つかの名詞に小を付けると意味が全く変わってしまうこともある。

これだけ並べてみるとどちらかというと本来の意味を強調する、又は賤しめたりする場合とコンパクト、可愛らしいというニュアンスを出す場合があるように考えられる。

これと似ているのが中国語で『小』を付けると見下した表現や小馬鹿にした表現となる。(普通に使う時は◯◯ちゃん、◯◯君的な表現)最近も日本バッシングの際に『小日本人』(シャオリーベン)と使われるが、これは日本人を小馬鹿にした表現である。

しかし、これが使われ始めたのは日中戦争の際に『大日本帝国』を揶揄して、抗日活動をする際に対語として使われ始めたと言われている。
高々『小』という一字をくわえるだけでニュアンスが大いに変化する日本語は中々面白い。


蔵前駅(都営浅草線)

2015-05-14 05:00:00 | 日記

『metroに乗って その18』。このシリーズは前回が1月30日の牛込柳町駅だからかれこれ3ヶ月ぶりとなる。今回訪ねたのが、都営浅草線蔵前駅。同じ都営地下鉄でも大江戸線とは離れており、地上に出て乗り換える方が便利である。



蔵前駅を厩橋寄りの出口に出ると目の前を江戸通りが通っている。大通りから一本中に入ると直ぐに蔵前神社に到着。この神社は江戸の鬼門を固めんと1694年に岩清水八幡宮として5代将軍綱吉により建てられたもの。大相撲ゆかりの神社で協会から色々なものが奉納されている。


元犬の像があるが、この神社は古典落語の『元犬』『阿武松』の舞台になったことに因む。『元犬』は白い犬が神様に人になることを祈願してその願いが叶い、人になって色々な騒動を起こす中々面白い噺である。



蔵前神社を出て直ぐ隣にあるのが、榧寺。この寺は1575年頃に草庵として開かれたもので、1599年には観智国師が開山。寺には榧の木が茂り、寺宝を火災から守ったことから榧寺と言われた。また、日本では珍しい銅造菩薩立像があるが、朝鮮半島にあった高麗製といわれている。昔は大きな灯篭があり、これを目印に渡し船が通っていた。


榧寺から少し歩くと春日通りと江戸通りの交わる厩橋交差点、その先が隅田川の橋のひとつ厩橋である。


1970年頃にはこの橋を都電16系統錦糸町駅行きが走っていた。今も橋の袂には屋形船の乗り場があり、まだ、時間も早いためのんびりムードである。

春日通りを渡ると隅田川沿いに遊歩道が伸び、黄色く塗られた蔵前橋が見える。川の護岸には昔の米倉の地図や錦絵が描かれており、10分ほど歩くと蔵前橋。


蔵前橋の袂には浅草御蔵の碑があるが、江戸時代には幕府の米蔵が並んでいたことを示している。

そして、その先のピンクの建物が下水道事務所だが、かつてはここに蔵前国技館があった。戦後GHQに両国国技館が接収され、その代替として1949年に建設開始、1950年から仮設で開館、正式に完成したのが1954年である。その後、両国国技館(2代目)が落成した1984年までここで大相撲の興行が行なわれた。


向かい側に渡ると『首尾の松』の碑がある。この松には幾つかの説があるが、隅田川が氾濫した際に謹慎中の阿部忠秋が、将軍家光目前で人馬共々川に飛び込み、見事対岸に渡り付き、これを家光が賞して勘気を解いたので傍の松を首尾(しゅび)の松と称したという説もある。


また。蔵前橋通りを戻り、交差点の手前に楫取稲荷神社がある。これは江戸時代前期に江戸幕府米倉造営用の石材を船で運んだが、その遭難を避けるため、浅草御蔵内に造った稲荷神社である。楫取とは神徳に因んだもので、船の楫取りをした稲荷神の社の意味と云われる。


僅かな距離を廻るだけでこれだけ色々な史跡がある蔵前は江戸時代の繁栄を彷彿させる街である。

なな蓮~日本橋ランチグルメ

2015-05-13 05:00:33 | 日記

有名店が事務所のそばにあるのが、人形町の良いところ。昼飯を食いそびれ、2時になってしまったため、近くのいつも混雑しているラーメン店にお邪魔した。店の名前が『製麺庵 なな蓮』。

店の入口に券売機があり、食券を買い、中に入るシステム。メニューは支那そぱ、支那つけそば、濃い出汁そば、濃い出汁つけめんの4つ。他にも煮卵などトッピングもある。初めての店のため、オーソドックスな『支那そば』(800円)の食券を買う。

店の中はポップスがかかり、カウンター主体ながら川沿いの奥にはボックス席も3つある。店内はカウンター内に2人、外に1人、注文を繰り返し、あとは待つだけ。既に半分くらいの席は埋まっていたが、あとからも1~2人ずれが結構入ってくる。

5分ほどでラーメン到着。まず、スープを一口、秋田の手作り濃口醤油と鶏ガラ出汁のしっかりした味付け。正直、小生にはやや塩辛い気がする。麺は中細の平打ち麺、これが秋田の稲庭うどんに似たツルツルとした食感でいわゆる支那そばというイメージとは違うが、美味い。トッピングは大きなチャーシューが2枚、メンマ少々、ほうれん草、白髪ネギである。

チャーシューはこれも秋田の濃口醤油で煮たものらしくしっかりした味だが、柔らかくほろほろなるまで煮てあり、これは大変美味しい。麺の量はわれわれには十分だが、若い人には少し物足りないかも知れない。

これが店づくりも含めて、いわゆる最近受けているラーメンという感じだが、味付けがやや濃いのを除けばあっさりしていた。混んでいなければまた訪れてみたい。

製麺庵 なな蓮
中央区日本橋室町1ー8ー7
0335166288

伊豆箱根鉄道大雄山線

2015-05-12 05:00:00 | 日記

鉄道シリーズ その104。今回は伊豆箱根鉄道大雄山線に乗ってみる。JR小田原駅を始発駅にしている私鉄は小田急を除き2社ある。1社が小田急系の箱根登山鉄道ともう1社が今回乗る伊豆箱根鉄道である。名前が似てはいるが、箱根登山鉄道が箱根の山を登り、強羅まで結んでいるのに対して、伊豆箱根鉄道の方は伊豆には路線を持つが、正確には箱根には鉄道路線を持たない。但し、バス路線は箱根方面に多くあり、看板に偽りありとまではいえないが。


伊豆箱根鉄道大雄山線の沿革であるが、大雄山鉄道という会社が1925年10月に仮小田原~大雄山で開業。当時はまだ国鉄小田原駅までは乗り入れておらず、今の小田原駅に乗り入れたのは1935年のことである。また、1933年8月に箱根土地(現、プリンスホテル)の傘下に入り、それ以来西武グループ。営業距離は小田原市から南足柄市に向けて僅か9.6kmでその中に12駅もあり、走ると止まるという感じ、特に小田原~緑町間は0.4kmしかない。

全て電化されており、電車は5000系の3両編成の車両を使用。面白いのは全部で7編成あるが、全て同じ車両でしかも短い18m車体である。

小田原駅を出ると右に向かい、緑町駅を超えてJR東海道線と立体交差、左手と正面に山を見ながら住宅と畑の中を走る。五百羅漢駅の先で小田急小田原線の下をくぐり、大雄山駅に向かうが、全て単線のため、交換を途中駅で行いながら進む。


1時間に5本がダイヤの限界のため、12分間隔で運行、終点は大雄山と『山』がついているが、ほぼ平担な土地を行くため、駅間が短い割にはスピードを出す。乗車時間は20分程度で終点に到着する風景の変化の少ない鉄道である。


終点の大雄山駅からは道了尊最乗寺までバスが運行されている。最乗寺は1394年に了庵慧明禅師が開山した曹洞宗の名刹で永平寺・総持寺(鶴見)などの総本山に次ぐ寺格を有する。



大雄山駅は駅前には金太郎像、動物などもいる銅像などがある。また、この駅は日本の駅100選にも選ばれている。駅に車庫が隣接しており、コデ165が留置線に止められていた。


(この車両は1928年鉄道省で作られ、その後相模鉄道を経て1976年に伊豆箱根鉄道に譲渡。その後、コデ66が廃車になったため、後継の工事車両となったもの。)

大雄山からの帰りは保育園児と同じ車両になる。子供達の歓声を聞きながらも眠くなってしまうほどのんびりとした路線で駿豆線に比べ、あまり著名な観光地もないため、あくまで地元住民の足として活躍するローカル線だが、こういう線も中々趣きがある。