hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

鳥獣戯画特別展観覧記

2015-05-11 05:00:10 | 日記

GWも終わり、美術館も少しは空いたかなと思い、上野国立美術館に『鳥獣戯画』展覧会を見にいく。雨模様もあり少しは空いているかなと家を午後2時に出る。

上野駅には午後3時に到着、すぐに美術館に行くが、美術館に入るのに40分、鳥獣戯画甲巻を観るのに90分待ちと掲示。止むを得ず最後列に並ぶ。中に入ったのが4時前、しかし、2階にも列、甲巻を観るには並ぶしかなく、展示スペースに入るも中も長い列がまっていた。


鳥獣戯画に対面したのが5時少し前。甲巻は皆が知っている蛙が兎と川に入ったり、弓の腕を競ったり、狐がその賞品を運んだり。

それにしても蛙、兎、猿だけでなく、鼠、貂、梟、狐、鹿、猫など11種類も描かれているとは知らなかった。本物も細かい筆使いでとても平安時代に描かれたとはわからない、素晴らしい躍動感を感じ、誰もが興味を持つだろう。

待つのは2時間弱、観るのは10分程度と大病院の外来のようだが、止むを得ない。次に乙・丙・丁巻を見るため並び直す。こちらもすごい列で絵巻に辿り着くまで30分、そして丁から見はじめる。丁巻は鎌倉時代の作といわれ、当たり前だが甲巻とはタッチが違う。これには人々の生活や祭礼などをユーモラスなタッチが描かれており、特に僧が読経をしているが、拝む掛軸が蛙が描かれているのが、印象的。丙巻も鎌倉時代と云われているが、前半は当時の風俗、例えば賭け双六や賭け碁、耳や胴の引っ張り合いなど中々人間臭く面白い。公開が後期の後半は甲巻同様に蛙や狐を使い、描いている。

最後の乙巻は前半が馬や牛、鷹、鶏など普段近くにいる動物を素直なタッチで描かれており、一流画家の画帳のようである。後半は後期に公開されるが、麒麟や龍、象など当時日本にいない動物を想像で描いてある。

これだけ見終わって5時40分、慌てて妙恵上人が愛した子犬の像や鹿の像、馬の像などを見に行く。子犬の像は愛おしく、妙恵上人が可愛がったのがよく分かる。これ以外にも『華厳宗祖師絵伝』、これは華厳宗の祖である義湘と元暁の物語で新羅で出会った唐の善妙という女性との伝説のような話を絵巻物にしたもので大層興味を引いた。

他にも沢山のものが展示されていたが、時間切れで帰ったことは残念。人気があり、さらに鳥獣戯画は5月19日から展示が変わることもあり、混雑は必至だったが、行く価値は十分ある展覧会出会った。最後にチケットを頂いた朝日新聞の販売店には感謝である。

田端付近の坂道(2)

2015-05-10 05:00:10 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その39。田端付近の坂道の2回目。ポプラ坂を上がりきり、右折すると陶芸家の板谷波山夫妻の旧居跡兼窯跡や新しい老人介護施設などが立ち並ぶ新しく広い道に出る。

この道は平成20年に整備されたもの。その先、左側に東覚寺が現れる。


東覚寺は江戸府内88カ所霊場の66番札所。しかし、有名なのは赤紙仁王で1641年に作られた仁王像の具合の悪いところに赤紙を貼り、祈願すると病気が治ると信じられている。その為、2体の仁王像は赤紙で一杯になり、像の姿が分からないほどである。


この仁王像が作られた時期は疫病が流行っており、これを鎮める目的であったようだ。元は八幡神社にあったが、明治初期の廃仏棄釈の際にこのお寺に移された。今も信仰は途絶えることなく、赤い紙は貼られ続けている。


その先、田端駅に向かう車道から分かれ、台地を上る急坂が『東覚寺坂』である。



少し戻り、バス通りを信号のところで渡ってまっすぐ行くと突き当たるが、これが『与楽寺坂』で由来は坂の下にある寺の名前に因む。この坂の途中は空き地があり、大根の紫色の花が咲き乱れるなど山手線の駅の周辺とは思えない静けさとのどかな風景に驚く。


細く左にくねくねと上る坂の頂上を左に行くと右に下りていく細い坂が『上の坂』。坂の名前の由来は不詳である。この途中から石段になる坂上西側に芥川龍之介は大正3年から住んでおり、数々の作品を創作した。


また、与楽寺坂の頂上まで戻り、左に向かう(与楽寺坂をまっすぐ行く)と信号にぶつかるが、その先、JRの線路方向に向かう石段の坂が『不動坂』である。かつては田端駅東口付近に石造りの不動明王像と不動の滝があったことによるらしい。1935年に駅拡張によって田端不動尊(田端3ー14ー1)に移されて坂の名前だけが残された。坂の先まで行くと新幹線などがよく見える。


不動坂からはすぐに田端駅に着くが、ぐるっと回って分かるが、寺が今だに多く残り、昔の風情を残す町巡りはなかなか愉しいものだ。そうだ、田端へいこう!

大雄山最乗寺

2015-05-09 05:00:00 | 日記
『古刹をめぐる』その31。今回は大雄山最乗寺を参拝した。場所は小田原から伊豆箱根鉄道大雄山線終点の大雄山駅で下車、バスで10分ほど行ったバス終点から山道を15分くらい登ったところにある。


禅宗の一派曹洞宗の寺格のい寺院で福井の永平寺、鶴見の総持寺に次ぐと称されている。バス停で降りると左に参道、右に車道と分かれるが、しばらく歩くと三門が見えてくる。周囲は何百年と続く杉林でその高さには圧倒される。15分くらい歩き、左に明神ヶ岳の登山道が出てくるあたりを右に折れると碧落門、それをくぐると境内に入る。



大雄山最乗寺は了庵慧明禅師が1394年に開創した禅寺で、修験道では有名な寺院である。守護の道了大薩埵は修験道の満位の尊者として著名であり、三井寺、金峰山、大峰山などで修行後この寺の開創に尽力し、数々の伝説を残したと伝えられている。


本堂が目の前に出てくるが、その裏には滝が流れ、中には本尊の釈迦牟尼仏が祀られている。さらに開山堂、鐘楼などを見たあと少し登ると多宝塔が見え、その後ろには洗心の滝が流れ落ちており、修験場らしくなってくる。結界門の左右には大きな天狗が守りに目を光らしておりなかなかの迫力である。


さらに階段を登っていくと御真殿、この周りには天狗のうちわや大きな下駄が並んでいる。世界一の大下駄を謳っているが、下駄は日本くらいしかないのではと思ってしまう。御真殿の中では護摩が焚かれ、祈祷が行われている。


そしてその奥が奥の院、下から階段を2つ(各50段程度)上がると右にさらなる階段が出現。300段くらいあるらしく子供が数えながら登っている。小生もこれは修行だと登ったが、なかなか厳しかった。


ただ、その大自然に抱かれたこの寺院の階段を心を無にして上れただけでも修験道の厳しさの一部を垣間見た気がした。まあ、この寺に来る前にビール工場の試飲は控えたほうが良かったのではないかとあとで反省しきりではあったが。

みや穂(再訪)~大塚グルメ

2015-05-08 05:00:24 | グルメ

GWは満喫したが、毎年GW明けには飲みに行きたくなるのが呑んべいの悪い所。今日は久々に大塚に行く。駅を降り、都電の線路沿いを行った、駅から3分のところにある『みや穂』。

この店に伺うのは初めてではないが、前回お邪魔した時(昨年1月)は途中から発熱による体調不良でようやくリベンジといった気分で店に入る。


まずは生ビールで乾杯。工場でも味わったが、ビールも美味いシーズンになってきた。お通しは『小松菜と油揚げのお浸し』、そして『ハマグリのお吸い物』。いずれもスタートには丁度いい。特に吸い物はしっかりした味付けで胃も落ち着く。

さらに『大人のポテトサラダ』、たぶん味付けはフレンチドレッシングと胡椒、塩昆布。マヨネーズなしのポテサラは美味い。

酒に移るが、メニューには兎に角目移りするほどある。最初は軽く『風の森』、しかし、飲んでみると雄町でそれなりにしっかりしている。

次は『刺し身の盛り合わせ』、炙りがサワラと喉黒、さらにカマスの押し寿司。せっかく炙ってくれたので、喉黒からいくが、脂がのって美味い。他にもタイ、中トロ、イカ、生ウニ、ボタンエビ、カツオ、タコ、〆鯖と10種以上乗っており、迫力満点。これを2種類の醤油、粗塩、薬味がミョウガ、芽ネギ、生姜、山葵、海苔と付いてくる。さすがにどれをとっても美味いが、特にカツオの刺身を塩で食べると絶品である。


酒は2杯目、『東洋美人』の薄濁り、ここは1杯100ccを400~600円にて提供される。肴は『空豆の炙り』、ホクホクして美味い。


さらに秋田・横手の『阿櫻』、ここで出てきた『だし巻き卵』がバランスがいい。ぐるナビで絶賛の声があったが、同意したい。


肴は『若竹煮』、やや濃いめのカツオの効いた出汁は呑み屋ならでは。これには『萩の露』を合わせる。


そして、最後は『和牛入りコロッケ』、肉が大きく食べ応えあり。最後の酒は『大那』。もう、腹いっぱい。色々美味いがやはり刺身は秀逸である。生ウニなしなら少し安くなるとのこと。休みもいいけど、やっぱり居酒屋というのが、感想である。


みや穂
豊島区南大塚3ー48ー5
0339883577

ツバメ

2015-05-07 05:00:03 | 日記

先日から植物の話題が多いこのブログではあるが、春らしいものは必ずしも植物ばかりではない。GWの少し前にはツバメが南の国から越冬を終えて繁殖のために日本に帰って来る。

久我山駅は新聞記事にもなるほどツバメの営巣が有名で、この時期になるとツバメの鳴き声が聞こえ始めた。記事にもある通り、糞をするので気をつけなくてはいけないが。

食品スーパーの駐車場には天井から吊り下げられている非常口サインの2箇所に以前から巣を作っていることは知っていたが、今年も同じ場所に巣を作っていることを発見した。よく見ていると2羽が同じ巣に入ったり出たりしており、まだ、卵を産んではいないのだろうか。

オスの鳴き声がチュピチュピチュピチュルルルビーと聞こえるが、これはメスをよぶ繁殖の声らしく、結構うるさい。もう後1ヶ月もすると今度は餌を求めるヒナの可愛らしい声が聞こえてくるだろう。ツバメの姿をみるともう夏も近い。

菖蒲湯のヨモギを探して

2015-05-06 05:00:27 | 日記

5月5日は現在では国民の祝日であるこどもの日だが、もとは端午の節句と言って男子の健やかな成長を祈願し、各種の行事を行う風習がある。

我が家では他の家同様に鯉のぼりなどのついた玩具を飾ったり、鯉の掛け軸をかけたりする。

さらに昨年のブログに書いたように粽や柏餅を食べるが、いつものように予約してある富ヶ谷の岬屋という店に買いに行く。実は菖蒲湯のための菖蒲を昨日求めたのだが、一緒に付いてくるはずのヨモギがなかったので併せて探す羽目なった。

菖蒲湯は名前の通り菖蒲の葉や根を入れるが、これは昔の中国の言い伝えに菖蒲は病邪を打ち払う薬草とあり、宮廷では戦国時代くらいからの記録がある。庶民も江戸時代に入り、自宅の風呂や銭湯で菖蒲湯に浸かったようである。実際に根の部分には鎮痛・血行促進の効果がある。ヨモギにも保湿効果や肩こりに効く効果があるため、一緒にいれて楽しむことが多い。


前置きは長くなったが、駒場東大前駅を下北沢寄りの出口から出て、東大構内に入る。左側には清流が流れ、右側の藪では近くの人が蕗を採集している。


周りにはヘビイチゴが実り、タンポポのわたぼうしが揺れる、この風景を見るととても高級住宅地の目黒区とは思えない。しかし、中々ヨモギを捜せない、と言うのも直前に一部は草が短く刈られ、さらにイネ科や竹が蔓延っているからであろう。止むを得ず一旦諦めて、肝心の岬屋に向かう。

岬屋はやはり端午の節句と言うこともあり、人が並んでいる。予約してあるので無事に水仙粽や柏餅を購入、そして、東大構内に戻り、再度探索することとなった。ランニングする人たちの迷惑になりながら、色々と足を踏み入れるが、ヨモギは中々見つからない。

そして探索後15分、野球場のセンター後ろの草原でようやくヨモギを発見。ヒメジョンやタンポポ、ヤブガラシ、ナズナ、ツユクサ、ナガミヒナゲシ、ヒメムカシヨモギなど他の植物は多いのになぜこんなにヨモギは少ないのだろうか。まあ、何とか発見できたが。


当初目的は達成し、東大を後にする。そして夜は柏餅を食べ、ゆっくり菖蒲湯を味わうことができた。まあ、来年のヨモギ確保は大丈夫であろう。






アサヒビール神奈川工場見学ツアー参加

2015-05-05 05:00:25 | 日記

連休に家にいてばかりもつまらないこともあり、昨年予約し忘れたこともあって、今年は用意周到にアサヒビール神奈川工場の見学ツアーに申し込んだ。早めのつもりが、4日の11時の回は小生が最後の2席を申し込んだくらいに人気が高い。


家を8時前に出て、新松田着が9時半。天気も何とか持ちそうな状況。殆どがビール工場見学者と思われるバスが10時05分発で20分かけて工場に到着。


中に入って驚いたのは工場の美しいフォルムである。深緑色の建物がゴルフ場の中にあるようでその手入れに頭が下がる。受付をして時間が30分あったので周囲を歩くが実に気持ちがいい。

ビール工場は15年前にアサヒビール四国工場を見学したことがあるが、規模的にはかなりこちらが大きい。神奈川工場は2002年に安藤忠雄氏の設計によるものでアサヒビールでは最新鋭とのこと。


見学は最初ビデオを観て、次に中のコースを歩くもの。残念ながらいまは連休中でラインは停まっている。それをビデオなどで40分も丁寧に説明してくれ、しかも子供が質問をする真面目な回であった。

質問内容は『ビール瓶リサイクルでは他社のビール瓶は使うのですか』と中々、的を得た内容。その答えは『キリンさん以外は共通化しており、リサイクルできています。』でした。

そのあとはお待ちかねの試飲。適正飲酒を進める観点から20分以内で3杯までとなっている。飲める銘柄はアサヒスーパードライ、ドライブラック、ドライプレミアムの3種類。まず、最初に出来立てのスーパードライをいただくが、とにかく美味い。これは工場内を歩いて準備運動ができていたためか、腹が減っていたためか、ビールの温度管理が上手いからかか、注ぎ方が上手いからか、いや、出来立ての新鮮なビールを今挙げた全ての条件の中で飲むから美味いのだろう。

2杯目はスーパードライブラック、これは黒ビールの飲みやすさを追求したビールで、小生のようにハーフ&ハーフが好きな人にはぴったり。

他にもスーパードライプレミアムもあったが、これは妻の分を一口いただき、最後はまたスーパードライ。美味しかったね。

出来立てのビールを工場でいただく、こんな贅沢が無料でできる、そりゃ人気がある訳である。
因みに工場併設のアサヒビール園は1時間待ちで諦めたのは残念である。


深大寺~神代植物園 2015

2015-05-04 05:00:00 | 日記


我が家のGWの定番スポットは深大寺~神代植物公園の散策である。いつも家を早めに出て深大寺まで約4キロの道のりを歩くが、今回は歩かずバスで深大寺に到着。すぐにいつもこれも定番の蕎麦屋にいくが、バスできたためかまだ列もできておらずすぐに深大寺そばに舌鼓を打つ。その後、深大寺にお参りするわけだが、この時期に深大寺の境内には大きなナンジャモンジャノキ(ヒトツバタコ)が白い小さな花で覆われる。


この木はモクセイ科の落葉高木で5月に花を咲かせる。ちょうどすぐ裏に葉の茶色のもみじが植えられているためそのコントラストが美しい。必ず参拝客はこの白い花で覆われた木を写真に収めている。その後は元三大師堂、金銅製の白鳳仏にお参りをすることにしている。


坂を上るともう神代植物公園の入口である。ところで『神代植物公園』と『深大寺』、同じジンダイなのになぜ字が違うのかが以前からの疑問であったが、入口近くの看板が全て解決してくれた。看板を読んで頂ければ簡単にわかるが、江戸時代は『深大寺村』と呼ばれていたが、明治22年に周囲の村と合併して『神代村』となった。昭和15年に東京府は防空緑地として71万平米を買収して『神代緑地』とし、戦後これをベースに昭和36年『神代植物公園』が開園、一方、昭和30年に調布市と神代町が合併したが、その後『深大寺』を名乗る地名が復活した。というややこしい経緯によるものらしい。ともかく『神代』も『深大寺』も意味が有ることが分かり、すっきりした。
植物園はバラフェスタをやっているが、予想どおりまだほとんどバラは咲いておらず、藤棚の藤の方が美しい。その後も芍薬、シャクナゲ、ボタンと見て歩く。




そして見つけたのがハクウンボク(白雲木)、枝先に可愛らしい白い花がいくつもついて垂れ下がっている。木は高いが花が下に向いてついているので眺めてもよく見える。木自体は5m位はあると思われたが、枝全体に花がつき美しい。毎回植物園に来ると新しい発見があるが、今回はハクウンボクがそのようである。



そして広場で風にひらひらしているのがハンカチノキである。中国原産のこのキハ中国四川省・雲南省原産で『樹木のパンダ』とも言われるくらい珍しい木で、遠くから見ていると白いハンカチがふられているように見える。よく見ると花は中心の黄色いところでハンカチのように見られるのは2枚の苞葉である。ハナミズキの親戚のような樹木だが、今が満開なのか強い風に一部花びらが飛ぶ有様はなかなか素晴らしい。



そのあともまだ青い実付き始めた梅の木などを見て植物園はほぼ1周。しかし、椿や竹などは少し外れていて見る人がおらずやや寂しげであった。毎年来るたびに発見のある植物園はGWの格好な散歩コースである。


スズラン

2015-05-03 05:00:54 | 日記

春は色々と花が咲くが、ハナミズキの次はスズランである。妻の実家に生えていたのをプランターに移したものだが、あまり細かい世話をしなくても毎年咲く。

スズランは在来種は本州中部以北に自生し、北海道に特に多いが、東京あたりでも公園や庭先でよく見る。スズラン亜科の宿根草で秋には枯れて姿はなくなるが、春になると葉がでてきてあっと言う間に花が咲く。


さらに香りの強いドイツスズランが観賞用に栽培される事が多い。可憐な白い花と爽やかな甘い香りが春を感じさせるが、実は全草に毒を持つ有毒植物で牛や羊などが食べないため、北海道では余計増えるといわれている。

また、香りが高いことからスズランの香水は数多く作られ、クリスチャンディオールのデオリッシモは最も有名である。しかし、あまり知られていないのが、スズランからの天然香料は製造できないこと。つまり、調香師たちがスズランの香りに仕立てた香水ということである。


スズランを一株切って花瓶に挿しておくと良い香りが漂ってくる。この香りで春になった喜びをまさに実感。

田端付近の坂道(1)

2015-05-02 05:00:18 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その38。今回から2回は田端駅付近の坂道を歩く。田端駅は小生が最も馴染みの薄い山手線の駅で、数少ない地下鉄や私鉄の乗り入れもない駅。強いて言えば山手線と京浜東北線の分岐駅である。



駅の駒込寄りに出ると前には広い道、右に跨線橋があるが、左手すぐのL字に曲がった上り坂が『江戸坂』である。田端から下谷浅草方面に向かう道のため、この名前が付けられたようだ。ちょうどその坂の内側には田端文士村記念館がある。

坂を上りきるとT字路になり、右に曲がる。少し行くと『サトーハチローの旧居跡』のプレートがある。正確には福士幸次郎(評論家、詩人)の自宅に大正9~11年に居候していたものであるが、現在は万栄寺となっている。



その先を左に曲がり八幡神社を目指す。この辺りは道幅が狭くなったり、広くなったり。特に狭くなるとくねくねと曲がり、なかなか分かりにくいが、その先にある下り坂が『八幡坂』である。坂の下、右手に八幡神社があり、名前はそこからきたもの。前の通りは八幡坂通りと呼ばれている。


なお、坂の下にある児童公園にはかつて紅葉館があり、堀辰雄が下宿していた。また、坂の近くには室生犀星、菊池寛、倉田白羊なども住んでいた。


坂を下まで下り、左に曲がると日枝神社の参道があるが、その一つ先を左に曲がると『ポプラ坂』となる。坂の下から急に滑り止めの赤い塗装に変わり、それなりの急坂である。



別にそばにポプラの木が咲いている訳でもなく、坂の説明板を読むと『田端保育園(児童館)はポプラ倶楽部の跡でポプラ坂はそれに因むもの。ポプラ倶楽部は明治41年に洋画家の小杉放庵が作ったテニスコートで田端に住む洋画家などの社交場だった。大正2年に田端に引越してきた芥川龍之介はポプラ倶楽部のことを手紙に書いている』とある。
とにかく、とても山手線の駅から歩いて10分くらいとは思えないほど静かで道幅も広くなったり 、狭くなったり。尾久とも雰囲気は違う田端の街歩きはなかなか面白い。
(以下次回)