亀 |
田親子の反則行為を指弾する連日の報道を見てボクシング界について随分詳しくなった。日本ボクシング協会(JBC)の下に東日本ボクシング協会があり、その傘下に沢山のジムがあり、プロの選手はジムに所属してプロのライセンスを与えられる。ジムの会長は元ボクシング選手が多く、大相撲に似ている。亀田親子はこの世界から制裁を受けた。
ボクシングファンとこれを伝えるメディア及びスポンサー企業等が日本のボクシングをビジネスとして成立させている。一方、スポーツというカテゴリーから文科省が物を言い指導する立場にあることが分かった。亀田親子については昨年「いと見苦しきこと」と書いて以来、私は全く興味を失っていた。しかし、圧倒的な報道量に接して門外漢の私も一言言いたくなった。
亀田事件の主役はメディア
今回の事件の報道を見て私はメディアの責任が極めて大きいと思う。亀田親子の非常識で礼を欠き品の無い振る舞いを無反省に全国に流し続けたテレビを始めとする報道は実に酷かった。こんな無礼な輩をヒーローとしてお茶の間に流すテレビ局に教育改革など語る資格は無かった。今回の世界戦の反則だけを語って、それ以前は良かったなどというのは全く反省が無い証拠だ。
TBSの姿勢は、父親の史郎氏の「何をやっても勝てばいい」と非難されている姿勢と何ら変わらない。言葉を勝負から金に換えて「何をやっても儲かればいい(視聴率が取れればいい)」と言い換えるだけで、その心根は同じではないか。
こういう親子は昔からいなかったということではない。多くは街の「跳ね返り」的な扱いを受け一生突っ張りながら片隅で生きていくか、中には法を犯し闇の世界に転落して行った。一方、苦労して貧困から抜け出し人間として成長していき子供のお手本になる人生を歩んだ人も数多くいる。
ところが人気低迷に悩むボクシング協会は亀田親子を指導せず、テレビは視聴率だけの為親子を利用した。素質はあるがまだ実力が備わっていない街の跳ね返り者に突然スポットライトが当たった。その成り行きからすれば親子はもっとワルになれと勧められたと理解してもおかしくない。
正直言うと亀田氏は大阪・西成の出身だと聞いて私には特殊な感情が生じた。これは偏見かもしれない。しかし、彼らは西成から抜け出そうと彼らなりの知恵を振り絞り必死にもがいていた絵が浮かんだ。品が無いのも無礼なのも育った環境から言えばある程度止むを得ないかもしれない、しかしメディアがこれを利用したのは酷いと。
TBSだけが問題ではない
亀田親子の悲劇は実質プロモーターだったTBSだけでなく、他のテレビ局を始めとするメディアの責任も免れないと私は思う。メディアは自らを厳しく律しなければならない。しかし、一部の限られた者を除いて亀田親子の無軌道とそれを報じ続けるメディアに対して口をつぐんできた。
見方によっては巨人と日本テレビ、高校野球とテレビ朝日と同じ延長線上に亀田親子とTBSがある。理屈ナシにひいきの引き倒しをする姿勢が垣間見える。海外にも地元スポーツ優先の報道は多い。例えばヤンキースが地区優勝した時、私のところにもそれを伝えるニュース速報がNYタイムスから届き驚いた。
しかし、それは利害関係や既得権益を感じさせるものではない。そうすれば報道機関としての信頼を傷つけるからだ。巨人べったりのスポーツコーナーや、亀田選手を持ち上げる筑紫氏のニュース番組などが、同時に年金問題や政治と金を論じると違和感を持つ視聴者も出て来る。
この事件については、メディアは事が起こる前に問題提起し状況を変えることが出来たはずだ。今回メディアは叩いても安全になって初めて手の平を返した様にバッシングを始めた。もし亀田選手が勝っていれば、バッシングは起こらずメディアは亀田親子におもねり、親子は更に暴走したと私は疑う。揺るがぬ姿勢で信頼を保つのは、事件発生前に問題提起していく報道の姿勢だ。
加えてボクシングに限らず、メディアはまだ実力が備わってないが若くて将来有望だと、極端に大騒ぎし過ぎる傾向がある(例えば「XX王子」)。スポーツ中継するとこの選手にばかり焦点を当て報じる。ここまでやると真のトップ選手とそのスポーツを貶める冒涜行為といっても良い。
メディアの反省すべきこと
一部のメディアにも自らを反省する声が聞かれるがまだ他人事のような捉え方が多いように感じる。昼間のテレビ朝日のニュースバラエティを見ていると、コメンテーターが報道に共通の問題があったと指摘をし始めた途端、女性アナウンサーがそれを遮って話題を変えた。
多くのコメンテーターはお金を頂いている立場にありテレビ局の意向に沿った発言をする傾向がある。にもかかわらず折角の問題提起を遮るような姿勢は問題の理解の浅さを垣間見た感じを受け、寂しい思いをした。良い比較とはいえないが、ここで参考にすべき事例を紹介したい。
イラク戦争が誤った情報に基づいて始められた時、NYタイムスの記者が根拠となる大量破壊兵器の存在が疑わしいという特ダネを掴んだ。しかし同誌の編集は1面には戦争を煽る記事、30面かそこらの目立たない紙面にこの特ダネを潜り込ませたという反省と再発防止策を数年後に発表し、信頼を繋ぎとめる努力を読者に見せた。
メディア(特にテレビ)は先ず亀田親子の悲劇を産んだ経緯、夫々の時点でメディアの果たすべき役割は何であったか検証し再発防止の為の措置をとり、それを視聴者に見せるべきだ。結局のところこれは報道全体の信頼性の問題に帰ってくると深刻に考えるべきだ。
自己反省し自浄能力を発揮せず組織の防衛に走るのは何も日本の官僚だけではない、メディアも例外ではない。プライドの高いメディアに妥協するとしたら、私は上記のNYタイムスのようなアプローチを勧めたい。トップが決断しさえすれば直ぐにでも開始できるはずだ。
例えば昨日の夕方、テレビ朝日が対テロ特措法について色々な角度から見方を紹介し視聴者に考える材料を提供していた。私は正直これを見て同局の従来の姿勢とは随分違うと驚いた。この番組は上記の30面に当たる。同じ日の夜、看板番組のニュースステーションは相変わらず社民党的発想の正義感を振り回していた。逆だろうと思う。しかし、一応30面にアリバイは作ってある。私はこれでもいい、ここから始めても良いと思う。
救いもある。今回報道する側よりボクシングファンが寧ろ健全であることを示し、歴代の世界チャンピオンがインタビューを受け、夫々に的確な意見を述べるのを聞いてホッとした。特にお茶の間でボケキャラ人気のガッツ石松氏が、周り(バラエティショーに代表される)に流されないで自己の主張を繰り返すプロの目の確かさには流石と感心した。■