亀 |
田事件でメディアが手の平を返したように亀田親子バッシングを始めた要因の一つは、放送局などのメディアに抗議の電話やメールが殺到したからだという。「今時の若者」の中で、従順で与えられた役割を果たし、酒やタバコをやらず、堅実で慎ましい生活をしている若者像を描いたが、抗議の多くは彼等からのものだったようだ。
先に紹介した「Q世代」を書いたNYタイムズのTフリードマン氏によると米国でも似た事情があるようだ。氏は黙々と理想を追い求めるが自己主張しない大学生像を描き、メール交換等のバーチァル・コミュニケーションよりも、街に出てもっと人と人の直接コミュニケーションをして影響力を行使すべきと勧めている。
国内でも最近メディアが取り上げた事件を振り返ると、スポーツに限らず恥知らずで分り易い不祥事の当事者に対して抗議の電話やメールが集中し、これが関係者のアクションを後押しする結果を生んだものがある。複雑で多様な角度からの洞察が求められる問題は素通りされるが、それでも何も起こらなかった従来と比べれば決して悪い事とは思えない。
ここで、例によって大胆な仮説というか私の直感を紹介してこの議論を一旦終わりにしたい。「日米の若者は逆方向から来て今同じところに向っている」というのが今回の仮説だ。多分、それはグローバリゼーションとIT技術革新がもたらした。
米 |
国では個人が立ち上がり不正を糾弾することをスタンドアップといって長らく尊敬されてきた。最近では経理担当がエンロンの粉飾決算を内部告発し、同じく9.11関連で内部告発したFBI捜査官とともにタイムの年の人に選ばれたのが記憶に新しい。彼らは若者ではない。若者は粛々と自らの理想の為に汗を流している。
一方、日本では組織の中に個人が埋没し、不正が温存される固い構造が長い間続いた。しかし、今世紀に入り談合や偽装が次々と告発されるようになった。その殆どは内部告発が発端になっていると理解しているが、所謂スタンドアップというより匿名の告発の形をとっているようだ。
結論を急ぐと、米国では個人がバーチャルな世界に後退し、日本ではバーチャルな世界になって個人が傷つくことなく意思表示をするようになった。言い換えると、米国ではインターネットの匿名性に逃げ込み、日本では匿名性が意思表示の手段となったように見える。
ただ、若者のメンタリティにおいては両国間に差もあるようだ。たまたま昨日米国から帰任した元同僚がスタンフォード大で講義した経験を聞いた。議論を通じてビジネスの世界では日本人学生に比べ彼らの独立志向が極めて強く印象に残ったという。それはそれで、間違いないだろう。
しかし、年金・保険からイラク戦争など政治的な反応を見ると、日米ともに若者が全体的に内向きになり、自らの将来を決める選択についてさえ必要以上に分かり易くなっているのを私は感じる。この若者像が的を射たものかどうか正直私にもわからない。
これを書いた後もどうにも掴みきれないもどかしさが残ったが、折角だから書き込みすることにした。近い将来に影響力を行使するだろう世代・グループとしてネチズンの動きを今迄ウォッチしてきた。同じように彼等が今後世界にどういう影響を与えるのか複合的な目で見て行きたい。■