福田内閣、国民の信を失う
今週日経新聞を皮切りに福田内閣支持率の世論調査結果が発表され、いずれも支持率が二桁以上の大幅下落を報じるものであった。今回の下落の原因は極めて明確で、守屋元事務次官逮捕などの防衛庁疑惑、宙に浮いた5000万件の年金問題、薬害肝炎問題の対応が国民の支持を得られなかったからだ。
今まで何度も触れてきたように、これらの問題はすべて官僚たちが彼らの責任で起こした問題だ。決して現内閣でもその前内閣が起こした問題でもない。原因を突き詰め問題を起こしたシステムと人の問題を明らかにして、再発防止を図ることが最優先事項である。
官僚を代弁する官邸
詳細は今後の調査によらねばならないが、問題の大枠では何がまずいのか明確になっている。今話題になっている独立行政法人や民間への天下りを含めた官僚制度の抜本的改革をやるしかない。それは誰の目にも明らかで、政治判断のみが求められている。
しかしながら、福田首相も町村官房長官も思わず失笑するほどに、言い逃れと官僚の代弁的回答に終始、何らの政治的リーダーシップを発揮しなかった。それがあからさまに国民に伝わったのでは、支持率が大幅低下するのは至極当然のことである。二桁の支持率低下には現政権に失望し、政権交代しか解決できないと見切った人達の思いを感じる。
福田首相は就任前から調整型といわれてきたが、かといってリーダーシップが全くないとまでは思わなかった。海外アナリストの中に福田内閣が口だけで実は改革する気がないと、就任早々からの見方に私は危惧した。今のところ彼等の予測はよく当てはまっている。
改革続行型といわれ前内閣から留任した大臣達も、手のひらを返したように独立行政法人の整理統合では抵抗している。冬柴国土大臣など得々と官僚の代弁をする絵を見ると、彼は公明党議員というよりXX族の既得権益を守るボスのような顔に見えてしまう。
民主党に千載一遇のチャンスが来た
支持率が30%台に低下しその原因と思われる福田内閣の官僚に対する姿勢を見ると、正に民主党が政権奪取する機会が迫っていると私は思う。しかし、国民は未だに民主党の政権担当能力があるか否か見定めてない気配を一方で感じる。民主党もそれほど自信がないと報じられている。それには理由がある。
小沢党首辞任未遂や額賀大臣会食アリバイなど土壇場で踏みこたえたものの、脆弱な党のあり方を露呈した。寄せ集め党が一丸になれない問題は未だに尾を引いている。テロとの戦いで党が代案を出せない[1]のは、そもそも小沢氏の考え方が少数派でまとめられないからだ。それではきちんとした政権担当能力を示せず、昔の政局狙いの性格からと見做される。
年金問題では社保庁の問題と一括りに議論しているが、実際に現場で問題を起こしたのは民主党が支持基盤にしている自治労の人達だ。日本全国で壮大なサボタージュが行われたのだ。彼らの責任を明確にすることも再発防止の重要なテーマのはずだが、身内には甘い。
又、政府部内で難航し独立行政法人の整理統合が骨抜きになりそうな状況で、民主党の声が殆ど聞こえないのは真に不思議だ。渡辺行革相の手法を指摘することもあるが、福田首相のリーダーシップの欠如が根底にある。国論が割れている給油新法案と異なり民主党が国民の支持を受けて攻勢を取れるテーマである。
先の参院選挙で民主党がマニフェストで主張した政策は、財源のないバラマキと非難された。民主党は税金の無駄遣いを辞めれば増税ナシでやれると言ったはずで、当然独立行政法人も対象のはずだ。それとも独立行政法人の自治労に遠慮しているのか。年金問題における社保庁と同じく身内に甘いのか。国民の信頼を得る為避けては通れない問題と思う。
来年度予算代案で民主党の政権担当力を示せ
昨日閣議に提出された財務省原案において、一般会計は昨年度とほぼ同じ83兆円、社会保障費の増加と地方への配慮が特徴で、新規国債の発行は前年とほぼ同じの25兆円余になり、改革色の感じられないものになった。
民主党は独自の予算案を作ると報じられている。何処を削減してマニフェストの社会保険や農村など地方や弱者を支援していくのか明確に説明できるようにすべきだ。その内容について政府案との違いを詳細に国民に説明し、国民の審判を仰ぐべきだ。
来年度予算の中で官僚制度をどう変えていくのか、年金や社会保険の制度をどう見直し、そのために税制をどう変えるのか将来も含めて具体的な政策で議論していく。国民は各論ではなく「入りと出の総論」の中から実行可能で責任ある選択が可能になる。
民主党の政権担当能力を示すのに、これほど効果的な手法があるだろうか。予算作成の過程で政権担当後の民主党政治の姿を見せるべきである。この機会を逃せば政府の個々の政策や誤りを指摘するだけの万年野党の存在価値を示すだけになってしまう。■
[1] 書いているうちに本日対案が提示された。今まで考え方の差異を国会で議論し国民の理解を深めることが出来ず、この1ヶ月余を無駄にしたのは残念だ。その非難を恐れたアリバイ作りとも言われているが、やらないよりはましだ。