この数年、物理的に行き来する範囲が徐々に狭まってきて感度が低下し、世の中の変化に疎くなってきた気がする。誰にも当たり前のような変化に自分だけ気が付かず、世の中から取り残されたのではないかと。
昨日、用事ができて巣鴨に行った時、電車の中吊り広告が昔に比べ地味になったような気がした。2,3の週刊誌のどぎつい感じの宣伝を除くと淡い色か渋い色使いのものが殆どで、文字の大きさも小さくなったような気がする。
山の手線の車両の出入り口の上側に取り付けられた液晶ディスプレイの画面(2つあるのも初めて気が付いた)が、その周りや中吊りの広告が落着いた色でマッチして、以前に比べ圧迫感が少なくなったような気がした。
回数は減っても時々は電車に乗るのだが、今までこういう感じを受けたことが無い。果たして私の感覚が当たっているのか、年寄りの勘違いなのか、広告コピーをデザインしている人達のトレンドの変化なのか分からない。
90年代後半に海外から久しぶりに東京に戻ったとき、若い人達が皆携帯電話(PHS)を持ち歩き、ヒールが異常に高い靴をはいて電車内で横に並ぶ女性達が私を見下ろした時、浦島太郎の気分を味わった。昨日はそれほどショックではなかったが、それでも小さな驚きを感じた。
彼らにとっては最早当たり前のことになり驚くべきことは何も無かったはずだ。私の感覚が正しいのかもしれない。一方で日本に住んでいても、日常生活が徐々に社会活動から切り離され感覚を失い始めた前兆なのかとふと老いの恐怖を感じた。■