「対立軸の耐えられない貧しさ」の続編として、それを助長しているメディア批判を補足したい。
政 |
府の社会保障国民会議は、基礎年金の財源を全て税金で賄う所謂「全額税方式」を導入すると、消費税を9.5%-18%に引き上げる必要があるという試算を一昨日(5/20)の朝刊各誌は伝えた。この全額税方式は民主党、産業界、日本経済新聞が提案しているものだ。
だが、これに対して民主党の鳩山幹事長は党が主張する最低保証年金とは考えが異なり、民主党を批判する為の試算だと非難したと伝えられている。そうかもしれない。一方、現行方式の修正を推す読売新聞案だと2%の消費税アップになると報じているのが目立った。
同じ日の閣議で決定された2008年版の高齢社会白書によれば、75歳以上の後期高齢者は2007年10月で総人口の約10%の1270万人、2055年には26.5%になり現役世代1.3人が1人を支える社会になるという。65歳以上は21.5%から40.5%になる。負担のあり方の見直しは必須だ。
だが、民主党は代案を示さずに反対し一向に議論が深まらず進捗が見られない。まことに問題だが、それを許しているのはメディア、特にTVの論調であることが私には同じ程度に問題だ。この試算や白書をたたき台にして基本に戻り「財源と配分の優先順位」について議論し、国民的コンセンサスを得る絶好の機会のはずなのに。
先週与野党の議論が余りにも「対立軸が貧しい」ものだと嘆いたが、今週はそれを許している問題について議論したい。例によって他人の記事を引用させていただく。竹中正治氏の記事によると日本のメディアはネガティブな表現を多用する傾向が強いという。
日 |
本の週刊経済主要3誌と米国2誌[1]の過去1年間の表紙見出しを調査した結果、日本の雑誌はネガティブ用語とポジティブ用語が夫々73対23だったが、米国週刊誌は32対25だったという。日本全体にその傾向があると思う。かく云う私のブログもネガティブに捉えたテーマが多い気がするが。
電車に乗ると雑誌の中吊り広告には「没落」とか「危機」、「崩壊」などという言葉があちこちに目に付く。テレビのワイドショーは芸能人ネタに先立って「消えた年金」や「姥捨て山」がヘッドライン・ニューズとなる。「ポピュリズム」とか「木を見て森を見ず」という報道の姿勢が高じて、政治の優先順位を決めるまでになっているように感じる。
事件や問題をセンセーショナルに報じる傾向はニューズメディアにとってある程度止むを得ないが、それによって本質が見えなくなり根本問題の解決が先送りになるのでは本末転倒だ。以前にここでも紹介したが、柏崎原発の放射能漏れや上越新幹線脱線事故は本来なら高度な安全技術を世界に誇るべきだったのに、わざわざ貶めるような報道を繰り返した。
今、目先の取り分を増やすか減らすかの問題のみが議論されて、本質的な問題が議論されず先送りされる熱病にかかっている。このばかげた状況を皮肉っている英国メディアの記事を小さい扱いで載せるだけで、日本のメディアは反省が無い。まさか自らがその張本人とは思ってない。
私 |
的経験だが、実は米国駐在時同僚との会話では問題なければ「グレート」(最高)を連発、よく分からない時でも「サウンズ・グッド」(良さそうだね)と言った後に質問するとか、ネガティブな表現を避け能天気な程ポジティブに振舞った。グレートは口癖になり相手も「OK」程度に受け取ったはずだ。
ところが白状すると日本人同士の日本語の会話になると、スイッチが切り替わって細部の問題を付いてネガティブな表現頻発の会話に戻った記憶がある。文化の違いを暗黙のうちに使い分けていた。一貫性が無い日和見といわれたら、言い訳できない。見に覚えのある読者の方もいると思う。
米国だってITバブル崩壊前に楽観的な投資に反対した大手証券会社のアナリストは皆クビになり、その後戻ってくることは無かったそうだ。必ずしもネガティブであることが悪くはないし、決して日本だけのことではない。それよりも少数派にもかかわらず組織の中で意志を通したほうを評価すべきだと思う。
今の日本のようによってたかって熱病にかかり本質から外れ重要問題が先送りとなるのが困るのだ。次の争点の公務員制度改革も100点取れないから反対し現状の零点のままで放置しかねない民主党の姿勢に対し、メディアは大声を上げない。かくして問題先送りを図る官僚たちの作戦は成功する。
状況認識に欠ける振る舞いは状況に応じて「危機感がたりない」とか「KY」と言う。どうも限られた仲間内で居心地の良いKYばかりに気を取られ、肝心要の全体がどうあるべきかに目がいかないように仕向けているメディアの責任は極めて大きいと私は思う。
モチロン報道を読み解いて何が優先するか判断できる成熟した民意があれば、もしくは、民意を正しく誘導できる発信力のある指導者がいれば話は変わってくるが、歴史を紐解けばそれは極めて稀でそういつも運に恵まれているわけではない。健全なメディアがいれば毎度ベストではなくとも、今みたいな酷い状態にはそうそうならないと思うのだが、期待し過ぎだろうか。■
[1] 日本:エコノミスト、東洋経済、ダイヤモンド、米国:Business Week, TIME