かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「バンキシャ!」誤報事件考

2009-03-18 23:00:26 | ニュース

「真相報道バンキシャ!」の誤報問題で、日本テレビの久保社長が引責辞任したと、昨日主要各紙は伝えた。「情報の裏取り不足や、取材の詰めの甘さ」といういわば技術論だけではなく、「取材の過程、取り上げ方、視点を含めた全ての問題」の責任をとって辞職するという。

報道された記事を読んで、久保社長は日本テレビだけで無く、テレビ業界全体へ警告する積りで辞任したように、私には思える。何故そう思ったか、朝日新聞記事(3/17)の件をそのまま引用して論じたい。

“テレビ報道については、「この十数年で影響力が増大し、注目度が高くなった」と指摘。そのうえで、「私が辞職するに値する案件だと、日本テレビ報道局の管理職と報道局員がどの程度理解していたのか」と述べ、社内の危機意識の薄さが辞任につながったことを示唆した。”

彼は読売新聞社の経済記者出身で、報道は何たるか徹底的に訓練されたジャーナリストとして、テレビ報道があるべき姿を逸脱していると警告を鳴らした、とこの一文から感じ取れる。読売新聞と日本テレビ報道局の認識ギャップのことを言っているのではない。もっと一般論として、プロの新聞記者の立場で、ド素人のような問題を起すテレビ報道人と一線を画す物言いと感じた。

私がイメージする報道のあり方はチョット古いが、ウォーターゲート事件でニクソン大統領を辞任に追い詰めたワシントンポスト紙の報道のあり方だ。世界最強の権力に立ち向かう時、最大の武器は反論を許さない確実な事実の積み上げであることを愚直に実行して、新たな報道スタイルを築いたと言われる。我国にこれほどの覚悟で権力に迫る報道がその後あったろうか。

ところが、近年のテレビは新聞に比べ信頼度に欠けているように私は感じていた。特に、ニュースがショー化し、キチンと訓練を受けたことのない芸能人等の素人が、時に正義感を振りかざし、視聴者に媚びる報道姿勢を見る時、テレビ報道の影響力の大きさを考えると、少なくともこの人達は最低限のジャーナリストとしての訓練を受けるべきだと常々思っていた。

久保氏の辞任が発したメッセージは、上記の私の懸念と同じかどうか明らかではない。しかし、底流に同じ問題意識を感じる。視聴率をとらねばならないという経営ファクターが優先し、報道の基本を損なっているという認識である。

今回の久保社長の辞任報道の後、その意味するところをメディアがどう評価しているか注目してみた。1日経過したところで、最早過去の問題になりつつあり、日本テレビの個別問題としてしか捉えおらず、久保氏の警告を自からに当て嵌めて考えようという姿勢が感じられないのは残念だ。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする