かぶれの世界(新)

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レッサーイーブル

2012-06-19 17:50:21 | ニュース

数日前の夕方、テレビ朝日のニュース番組で時々見かける評論家が、大飯原発再稼動決定は「再稼動させた時起こりうる悪の方がさせなかった時起こりうる悪より小さい、『レッサーイーブル』だと野田首相が判断したのだろう」と評するのを聞いて新鮮に感じた。レッサーイーブルとはレッサーパンダ(小さいパンダ)と同じような使い方で「小さい悪」という意味だ。

その言葉を聞いて「おやっ」と思ったのは首相判断表明後、関電とか原発の既得権益を守るための再稼動ありきの判断といった一方的に悪と決め付ける報道ばかり見てきてからだと思う。レッサーイーブルという言葉の裏には、賛否両論の詳細に分析してどちらが住民とか国民の為になる判断か、或いは他の選択が無いのか合理的に物事を考えようという意図が底流にある。

だが、翌日の同じ時間帯の番組には別の評論家が出てきて再稼動を原子力村の既得権益を守るためと一方的な悪と決め付け、前日と同じキャスターが我が意を得たようにうなずいた。どうも前日の評論家の意見はキャスターとかテレビ局の主張(シナリオ)とは違ったようだ。期待しすぎだったかもしれないが、前日からの変わりように私は酷く失望した。

テレビのニュース(バラエティ)番組のシナリオに沿って意見を言わせるコメンテーターを出演させ、てんでに同じ主張(やらせコメント)を繰り返させるものが多い。キャスターに異なる意見を纏める能力などない。だが、双方の主張の根拠を明示して戦わせることなく、自説のみ報じるのはニュース報道とは言わない、「原理主義報道」である。ニュース報道は先ず事実を伝えた後、それをどう評価するか複数の見方を紹介するのがあるべき姿だと思う。そうあらねばならない。

レッサーイーブルの言葉を聞いて新鮮だと感じた同じ日、ミノモンタが仕切るTBSの朝のニュース番組で面白い場面に遭遇した。レギュラーのコメンテーター連中が従順に大飯原発再稼動を批判する「やらせコメント」をした後、最後に同局のドラマ宣伝の為に出演した俳優氏にどう考えるかミノモンタは意見を聞いた。多分、予定外のことだったと思う。

彼は聞かれて「電力不足で病院や工場が止まることを考えると、必要最低限の原発を動かすのはやむを得ない」と、同局のシナリオとは正反対の返事をしたと思われる。今まで散々反対意見を言った連中は、そのコメントに対し何の反論もしなかった。多分、TBSやミノ氏が予想しない事故で虚を突かれたのではないかと思う。

私には至極当然の意見を俳優氏は言ったと思う。少なくとも国民の中にはそう考える人が沢山いて、国論は二分されているはずだ。とすれば多様な意見を持つコメンテーターが出演し、テレビ局のシナリオに沿わない主張もさせるべきではないだろうか。そうすれば視聴者は多様な考えに触れて、夫々が自分で考え意思表示するようになり、結果的に報道の質も向上すると私は考える。

原発などある特定のテーマになると一方的に悪と決め付け、データに基づいて冷静に議論しないで自説のみ主張する「原理主義的報道」になる傾向が強い。そのテーマは時代とともに変化してきたが今もある。中立を建前にするメインストリーム・メディア、特にテレビにその傾向があるのを私は憂慮する。どうすればよいのか、私には至極簡単だと思う。お手本もある。

物事を決め付けないで視点を変えて見る、現実は絶対的な善悪を決められることは余り無い、どちらも悪ならどちらが「レッサーイーブル」かの選択になるのである。先行き不透明な物事を確率論的アプローチで判断しなければならない時もある。分り易く言えば、池上彰氏のようなスタイルでニュースを多面的に見て報じればいいのだと思う。■

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