かぶれの世界(新)

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私的・聞いてはいけないこと

2013-02-20 22:40:42 | 日記・エッセイ・コラム

聞いてはいけないこととは、個人的で濃密な歴史に関ることが多い。私にもこんな経験がある。帰郷する前日のバドミントン練習の後、仲間が文庫本を貸してくれた。私は、普段小説は読まない。歴史やビジネス等の硬い実利的な本しか読まないので断わったが、彼は良い本だから是非読めと勧めてくれた。百田尚樹の「永遠のゼロ(0)」だった。600ページ弱の長編だ。

松山行きの飛行機で読み始めた。特攻で戦死したゼロ戦パイロットの実の祖父の最後を辿る孫の姉弟を描いたものだ。若い時に昭和史や戦記物を好んで読んだ私には馴染みのある世界だった。彼らの祖父が26歳で戦死したという書き出しを読んだだけで、私は祖父のことを思い出した。貸してもらって良かったと思った。まだ読み終わっていないが、私も読書をお勧めしたい。

著者は私よりほぼ一回り若いが、多分私とそう違わない時代背景で育ち価値観が形成されたと読み始めて思った。小説では彼の子供の年代を主人公にし、彼の父親世代を理解させようとした。そういう小説の背景を私は感じ取って、自分に重ね合わせて読み進めた。

私の祖父が死んだのは大正時代、同じ26歳だった。水兵だった長兄が早世し跡を継いだが、祖母と結婚し私の父が生まれた後直ぐに死んだそうだ。鴨居に頭がぶつかるほど背が高く、メガネをかけた神経質そうな写真しか、祖父の事を私は知らない。数年前、生帽に黒マント姿の若き日の祖父の写真と残されたコメントを見つけ、彼がどんな青春時代を送ったのかと思った。

小説の主人公の母親のように、祖母も祖父の死後一度は再婚したそうだが直ぐに離別したという。分かれた理由は二人の間に子供が生まれたら財産分与をどうするのか問われ、子供が出来て話がややこしくなる前に分かれたという。大正時代の旧家を守る立場の寡婦と周りの価値観がそうさせたのだろうと想像した。

祖母が夫の死後50年以上も寡婦となり、息子(私の父)の死後も母と一緒に家を守って来たと聞かされていた。祖母の死後暫くして母が祖母の再婚のことを教えてくれた。再婚は曽祖父が勧めたというが、その後の離別も祖母に他の選択は無かったのかもと思う。その心内がどうだったかは誰も聞いてはいけないことだったと私は思う。今、私は知らなくて良かったと思う。

その後、彼女が夫を失い乳飲み子を抱えて旧家を守った健気な姿と、戦前小作だった近所の人達は何かあると相談に来て彼女の判断を頼った、地域のゴッドマザー的存在だったと懐かしがる声を何度も聞いた。その話を私がすると母は急に機嫌が悪くなったのを覚えている。‘偉大な’祖母に仕える母が如何に難儀したか綿々と苦労話を聞かされた。

母は祖母が如何に立派だったか何度も私に言い聞かせたが、私が母に対して祖母が立派だったと言うのは許せなかったようだ。それも聞いてはいけない微妙な心の襞だったようだ。一方で子供心に祖母と母は父を凄く愛しているが競ってはいなかったと思う。小説に戻ると、主人公の義理の祖父がまだ生きていて、実の祖父のことを調べるのは気にしなかったという件がピンと来ない。

私は中卒業後直ぐに実家を出たので両親や祖母と過ごした期間は短く、祖父や曽祖父母のことを聞く機会も稀だった。実家に住んでいれば親戚や近所の人達から聞くことも出来たはずだ。小説を読みながら祖父のことを何も知らない自分に気がついた。だが、今となっては私自身が高齢者となり、祖父のことを知っている人は誰も生きていそうもない。■

コメント
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