昨日午後ここ愛媛県大洲市の気温が31.1度まで上昇した。炎天下に車で1週間の買い出しに出かけ、それだけで汗をかいた。前日庭を除草してカラカラに乾いた残骸を小一時間かけてレーキで清掃し、更に汗が噴き出した。だが、夕方涼しくなった時間を見計らっていつもの堤防沿いの道を散歩すると涼風が最高に気持ち良かった。多分、今年一番だ。
昼間は真夏日になるほど気温が上昇しても、夜になるとまだ5月らしい気温に下がって肌寒くなる。夕方は丁度良い気温になり、最高の散歩タイムになる。涼風に誘われて犬を連れて散歩する人達をよく見かける。だが散歩から戻り谷間にある実家に入ると、昼間の熱気が嘘みたいに肌寒くなる。これが5月の真夏日だ。70にもなると気温変化に合わせた体温調整が難しい。・・・と調べると1年前も同じような記事を投稿していた。進歩がない。
今朝も目が覚めると夏布団の中で寒くて体を縮めていた。朝食後にジャージーを羽織ってまだ肌寒い中、外に出て日陰の軒下に洗濯物を干した。その後熱いコーヒーと甘い物を頂きながら朝刊とメールチェックし、マーケット情報を確認するともう昼食になる。強い日差しの下で洗濯物は乾いていた。予報では今日は32度以上になる。外は更に日差しが熱くなってきた。
今2時前で部屋の中でもついにシャツを脱いでランニング姿になった。だが、まだ暑い。ジーンズをショートパンツに替えたい。でもまだ吹き込んでくるのは涼風なのが救われる、本格的な夏になると吹き込んでくる風が熱くなる。いつもなら、その前に6月になって梅雨に入って湿っぽくなるが気温は下がる。それも嫌だが。
この頃は近隣の山間部でホタル祭がある。私が子供の頃はちょっと大袈裟だがホタルの光で昼間みたいになったのに、いつの頃からか全く見かけなくなった。それどころかトンボや蝶もあまり見かけず、田植え時期に超うるさいカエルの鳴き声も聞こえない。結果として餌が無いものだから燕も飛んでこない。
子供の頃は春になると燕がきて家の中に巣を作れるよう玄関の戸には出入り可能な丸穴が空いていた。何年か後に玄関の土間を小奇麗なタイル張りにしてからは、出入り用の穴を潰した。それからは軒下に巣をつくるようになった。私の記憶はそこで途切れた。東京で働くようになり気が付くと燕は全く見かけなくなった。
レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を著したのは60年代初めだったが、その時指摘されたDDT等の有害農薬は使ってなかったと思う。その頃は田んぼにも小川のどこにでもあらゆる種類の昆虫やカエル・魚がいた。だが、私の推測はそれに代わりもっと強力な農薬が使われた為だと思う。一方で今でもカラスと共にサギが健在だ。シラサギから灰色やまだら模様まで優雅な姿をこの時期よく見かける。
今年はまだキジの鳴き声を聞かない。だが、帰郷する前に多摩川でも鳴き声が聞こえた位なので田舎でも大丈夫だろう。私は適切な環境意識を持って対応しないと田舎より東京の方が生き物に優しい環境になってしまうと危惧する。この地にそういう危機感を持った人はいるのだろうか。燕が飛ばずカエルや魚のいない田んぼの近くで住んで良いものか。鳴門市は市をあげてコウノトリが来る環境作りをしたそうだ。見習ったらどうだろうか。■
昼間は真夏日になるほど気温が上昇しても、夜になるとまだ5月らしい気温に下がって肌寒くなる。夕方は丁度良い気温になり、最高の散歩タイムになる。涼風に誘われて犬を連れて散歩する人達をよく見かける。だが散歩から戻り谷間にある実家に入ると、昼間の熱気が嘘みたいに肌寒くなる。これが5月の真夏日だ。70にもなると気温変化に合わせた体温調整が難しい。・・・と調べると1年前も同じような記事を投稿していた。進歩がない。
今朝も目が覚めると夏布団の中で寒くて体を縮めていた。朝食後にジャージーを羽織ってまだ肌寒い中、外に出て日陰の軒下に洗濯物を干した。その後熱いコーヒーと甘い物を頂きながら朝刊とメールチェックし、マーケット情報を確認するともう昼食になる。強い日差しの下で洗濯物は乾いていた。予報では今日は32度以上になる。外は更に日差しが熱くなってきた。
今2時前で部屋の中でもついにシャツを脱いでランニング姿になった。だが、まだ暑い。ジーンズをショートパンツに替えたい。でもまだ吹き込んでくるのは涼風なのが救われる、本格的な夏になると吹き込んでくる風が熱くなる。いつもなら、その前に6月になって梅雨に入って湿っぽくなるが気温は下がる。それも嫌だが。
この頃は近隣の山間部でホタル祭がある。私が子供の頃はちょっと大袈裟だがホタルの光で昼間みたいになったのに、いつの頃からか全く見かけなくなった。それどころかトンボや蝶もあまり見かけず、田植え時期に超うるさいカエルの鳴き声も聞こえない。結果として餌が無いものだから燕も飛んでこない。
子供の頃は春になると燕がきて家の中に巣を作れるよう玄関の戸には出入り可能な丸穴が空いていた。何年か後に玄関の土間を小奇麗なタイル張りにしてからは、出入り用の穴を潰した。それからは軒下に巣をつくるようになった。私の記憶はそこで途切れた。東京で働くようになり気が付くと燕は全く見かけなくなった。
レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を著したのは60年代初めだったが、その時指摘されたDDT等の有害農薬は使ってなかったと思う。その頃は田んぼにも小川のどこにでもあらゆる種類の昆虫やカエル・魚がいた。だが、私の推測はそれに代わりもっと強力な農薬が使われた為だと思う。一方で今でもカラスと共にサギが健在だ。シラサギから灰色やまだら模様まで優雅な姿をこの時期よく見かける。
今年はまだキジの鳴き声を聞かない。だが、帰郷する前に多摩川でも鳴き声が聞こえた位なので田舎でも大丈夫だろう。私は適切な環境意識を持って対応しないと田舎より東京の方が生き物に優しい環境になってしまうと危惧する。この地にそういう危機感を持った人はいるのだろうか。燕が飛ばずカエルや魚のいない田んぼの近くで住んで良いものか。鳴門市は市をあげてコウノトリが来る環境作りをしたそうだ。見習ったらどうだろうか。■