日曜日に長男家族と高尾山にハイキングに行った。いつも単独行でガツガツ歩くだけの私にとっては気付かないことがあり、当たり前のことに気付くことが多かった。好天に恵まれ花見シーズンとあって、高尾山口駅前広場や頂上は都心の賑わいで驚いた。何十年にわたり高尾山を歩いたがこれ程の人出を見た経験がない。最近外国人ハイカーが増えたのも一因かもしれない。
出掛ける前に長男は保育園年中組の下の子供の気分にムラがあり、歩き続けられるか心配していたが何とか頂上まで辿り着いた。元気に走ったかと思うと地べたに座り込むといった繰り返しだ。今春から小学2年になる上の子は遠くまで走り、戻って来るといった調子でエネルギーを持て余していた。
(1)下の孫と同い年の可愛い女の子とお母さん達のグループが丁度同じ頃に歩き始めた。例によって女の子をダシにママさん達に近づいて行き声をかけた。彼女達は長男の嫁や私の娘より一回り若く、中々の美人ママもいた。彼等はのんびりとしかし同じペースで歩き、気が付くと我が家のグループより前にいた。まるでウサギと亀だった。
(2)結局3時間かけて頂上に到達し人並みの中でテーブルの片側を確保、ベンチの横にレジャーシートを拡げ昼食を頂いた。昼食は家内が作った定番のお握りと卵焼きやウィンナーなどで、子供達が喜んで食べてくれ、家内は満足した様子だった。小さい子供達が私より沢山食べたのには驚いた。新陳代謝量は少ないはずなのにこのエネルギーはどこへ行くのか、成長の為に消化されるのだろう。
(3)食後、家内と嫁さんは下の孫を伴い頂上周辺を歩いてリフトで下山、息子と上の孫と私は更に先の小仏城山まで足を延ばした。ここから孫の脚をチェックする積りだったが、学年トップを争うという彼の健脚ぶりに驚かされた。急坂を駆け登り下って行く速さに周りの大人のハイカーからも驚きの声が聞かれた。70過ぎても多少の自信があった私も、一旦遅れるともうついて行けなかった。
(4)それではとヨーイドンで登坂競争を必死の思いでやると何とか対等に走れた。トレイルラン用の靴で良かった。これを2,3回やると城山に着いたが、それでエネルギーの殆どを使い切った。自慢の脚力など大したことなかった。リフトに乗りたいという孫の希望で城山から引き返し、私だけ高尾山3号研究路を下り琵琶滝で子供達に代りスタンプを押して貰い、ケーブル乗り場で家族と合流した。
(5)3号研究路は人影が少なく、途中から通常の登山で経験した荒れた岩の急坂になった。中ほどで場違いな格好の外国人家族に出会った。米国駐在時代にレニア山麓やオリンピック半島を歩いた時を思い出し会話を交わした。近づく直前の彼等の会話は英語の様に感じなかったが、いざ話し始めると私の耳には純正の英語が返ってきた。アイルランドからだそうで、二人のお嬢さんがとても綺麗だった。
(6)頑張って英語でコミュニケーションしようと思ったが、中々言葉が出てこずバカみたいな単純な会話になった。自然と奥さんとの会話になった。最初の印象でドイツからかと聞くと、アイルランドの南西部からだという。アイルランドからとは珍しいと水を向けると、日本は歌舞伎とか素晴らしい文化があるから来たと返事が返ってきた。もうそこで行き詰った。語る中身が何もない。
(7)しょうがないから、「私みたいな普通の日本人は見に行かない、僕らはサムライじゃないからね。」と笑わせた。自分がアホですと宣言している様な会話だ。最近は日本語でも中々言葉が出てこないのに、まして50代前後で覚えた英語など無理。結局、英語と言っても普通の挨拶だけ。出会い道を譲る時はGo aheadとか After youと言い、その後普通に会話して去り際にEnjoyと言えばそれらしくなる。にっこり笑って言えばいい。だが、その間の普通の会話が全くうまく行かなかった。
その日の夕方から身体がだるかったが、翌日朝から疲労感が漂った。バドミントンやジョギングでもっとハードな運動をしても、こうはならなかった。ただ、どこかに筋肉痛があるとかではなく、体全体がだるく疲労が溜っているように感じるだけ。昨日は散歩やストレッチをしても違和感がなかった。ただやる気がしないだけだった。最後に一言、声をかけたのは可愛い女の子だけではなく、今にも倒れそうなお爺ちゃんやお婆ちゃんとも会話した。■
出掛ける前に長男は保育園年中組の下の子供の気分にムラがあり、歩き続けられるか心配していたが何とか頂上まで辿り着いた。元気に走ったかと思うと地べたに座り込むといった繰り返しだ。今春から小学2年になる上の子は遠くまで走り、戻って来るといった調子でエネルギーを持て余していた。
(1)下の孫と同い年の可愛い女の子とお母さん達のグループが丁度同じ頃に歩き始めた。例によって女の子をダシにママさん達に近づいて行き声をかけた。彼女達は長男の嫁や私の娘より一回り若く、中々の美人ママもいた。彼等はのんびりとしかし同じペースで歩き、気が付くと我が家のグループより前にいた。まるでウサギと亀だった。
(2)結局3時間かけて頂上に到達し人並みの中でテーブルの片側を確保、ベンチの横にレジャーシートを拡げ昼食を頂いた。昼食は家内が作った定番のお握りと卵焼きやウィンナーなどで、子供達が喜んで食べてくれ、家内は満足した様子だった。小さい子供達が私より沢山食べたのには驚いた。新陳代謝量は少ないはずなのにこのエネルギーはどこへ行くのか、成長の為に消化されるのだろう。
(3)食後、家内と嫁さんは下の孫を伴い頂上周辺を歩いてリフトで下山、息子と上の孫と私は更に先の小仏城山まで足を延ばした。ここから孫の脚をチェックする積りだったが、学年トップを争うという彼の健脚ぶりに驚かされた。急坂を駆け登り下って行く速さに周りの大人のハイカーからも驚きの声が聞かれた。70過ぎても多少の自信があった私も、一旦遅れるともうついて行けなかった。
(4)それではとヨーイドンで登坂競争を必死の思いでやると何とか対等に走れた。トレイルラン用の靴で良かった。これを2,3回やると城山に着いたが、それでエネルギーの殆どを使い切った。自慢の脚力など大したことなかった。リフトに乗りたいという孫の希望で城山から引き返し、私だけ高尾山3号研究路を下り琵琶滝で子供達に代りスタンプを押して貰い、ケーブル乗り場で家族と合流した。
(5)3号研究路は人影が少なく、途中から通常の登山で経験した荒れた岩の急坂になった。中ほどで場違いな格好の外国人家族に出会った。米国駐在時代にレニア山麓やオリンピック半島を歩いた時を思い出し会話を交わした。近づく直前の彼等の会話は英語の様に感じなかったが、いざ話し始めると私の耳には純正の英語が返ってきた。アイルランドからだそうで、二人のお嬢さんがとても綺麗だった。
(6)頑張って英語でコミュニケーションしようと思ったが、中々言葉が出てこずバカみたいな単純な会話になった。自然と奥さんとの会話になった。最初の印象でドイツからかと聞くと、アイルランドの南西部からだという。アイルランドからとは珍しいと水を向けると、日本は歌舞伎とか素晴らしい文化があるから来たと返事が返ってきた。もうそこで行き詰った。語る中身が何もない。
(7)しょうがないから、「私みたいな普通の日本人は見に行かない、僕らはサムライじゃないからね。」と笑わせた。自分がアホですと宣言している様な会話だ。最近は日本語でも中々言葉が出てこないのに、まして50代前後で覚えた英語など無理。結局、英語と言っても普通の挨拶だけ。出会い道を譲る時はGo aheadとか After youと言い、その後普通に会話して去り際にEnjoyと言えばそれらしくなる。にっこり笑って言えばいい。だが、その間の普通の会話が全くうまく行かなかった。
その日の夕方から身体がだるかったが、翌日朝から疲労感が漂った。バドミントンやジョギングでもっとハードな運動をしても、こうはならなかった。ただ、どこかに筋肉痛があるとかではなく、体全体がだるく疲労が溜っているように感じるだけ。昨日は散歩やストレッチをしても違和感がなかった。ただやる気がしないだけだった。最後に一言、声をかけたのは可愛い女の子だけではなく、今にも倒れそうなお爺ちゃんやお婆ちゃんとも会話した。■