かぶれの世界(新)

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最後の10年

2020-01-08 21:06:46 | 日記・エッセイ・コラム
2日前は世界(G0)はこの先10年でどうなるかと大風呂敷を拡げた。今回は顕微鏡で私を見てみたい。この1週間でイラン革命隊司令官の殺害とその報復が世界を揺るがし市場は暴落、私の投資資産が新年早々評価を下げた。だが、目盛りを10年に拡げると老人の最後をどう生きるかがメインテーマだ。

いよいよ私にとって最後になる10年が始まった。運が良ければ次の10年の始まりを見るかもしれないし、逆に最後まで全う出来ないかもしれない。いざとなるとジタバタするかも知れないが、ここまで来るともう感謝しかない。55才で早期退職した時、残りの人生は付録だと思ったが、今は感謝の日々だと思っている。

4日に子供達の家族が我が家に集まり恒例の新年会を開いた。毎年のことだが、3人の孫達の様子を見るたびに成長する姿を見て私の老化を実感した。正直言うと女の子がいないのがとても残念だが何ともならない。お店に行くより美味しいと家内が評価した通り、宅配の寿司なのにとても美味しかった。

長男がアキレス腱を切って松葉杖姿で玄関に現れた時は驚いた。会社のレクリエーション行事中に大縄跳びでやったらしい。直前に足に兆候を感じたという。私自身は経験がないが、バドミントン練習中にアキレス腱を切った選手を何度か見た経験があり、驚きはなかった。完全回復に半年はかかるだろう。長男は自然治癒を選んだというが、私の知っている仲間は例外なく縫合した記憶がある。

息子は厄年の怪我だったが、私は70才を過ぎて衰えを実感することが多くなった。この頃当たり前の言葉が出ない、特に名詞が。年末に孫を預かった時、3才の子が海苔巻のおにぎりを食べるのを見て感心した。海苔の食感を嫌がる子も多い。家内にそのことを言おうとして「ノリ」が出て来ず、「黒いもの」と言って怪訝な顔をされ、大笑いされた。こんな日常的な言葉が出なくなるなんて、もはや失語症だと自分でも思った。

肉体的には運動をした記憶が無いのに、最近いつも軽い筋肉痛のようなものを感じる。ハードな運動をした翌日・翌々日に筋肉痛になるのとは明らかに違う。不思議なのは5日にバドミントンの初練習に参加した翌日に寧ろ痛みが引いたように感じたことだ。原因として思いつくのは、普段は起床時にテレビ体操に加え腹筋・体幹・腕立て・膝強化をやるが、バドミントン練習日はやらないからか。聞いたことが無い。

頻尿については何度か投稿し、最早当たり前で恥ずかしいとも思わなくなった。昨年山陰旅行した時は最悪事態を考えドラッグストアの女性店員に相談しパッド(おしめ)を買って行った。その時はいざという時に備えがあるという安定剤になったが、日常生活で本当に必要になる時がすぐに来ると覚悟している。そうは言ってもちょっと憂鬱だ。

こんなところが私の最後の10年間の最初に起こった。G0世界の予測と違い、私の10年間は一方的な下り坂だ。だがこれはホンの手始め。終いは分かっているが、次に何が起こるのか道筋は分からない。本当に「老いの楽しみ」とか偉そうに言ってられるだろうか。日本語が出てこないが英語ではYou’ll seeという。■
コメント
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