一昨日の夜に昼間使ったスマホとパソコンの充電を同時にした。スマホの充電時の振る舞いが何時もと異なり、充電に時間がかかり何時まで経っても画面が真っ黒だった。1時間以上たってもスマホ充電のパーセント表示が出ず、何度か繰り返しても変わらず電源も入らなかった。
充電中のパソコンの上に充電中のスマホを置いたので、いつもより温度上昇が高くなってスマホの電源系統に異常が起こったのかと思った。電源が入らない単純な現象でやりようがなく直ぐにギブアップした。1世代前のスマホと合わせ一緒に息子に見てくれと頼みベッドについた。
翌朝目が覚めるとダイニングテーブルに二つのスマホが重ねて置いてあった。朝食時に二階から降りてきた息子に聞くと何の問題もなく正常に動いたとの返事。それを聞き、即電源を入れるとその通り正常に起動した。昨晩スマホの買い替えを覚悟した。今やスマホなしの生活はあり得ない。スマホとパソコンがあれば家族間の連絡から買い物・旅行など大抵のことは何でもできる。
原因は不明だがスマホが使えると分かっただけですっかり元気になった。朝食後に家内と息子にウナギを食べに行こうと申し出た。酷暑の季節になって一度もウナギを食べたことがない私が、今月初めの帰京直前にウナギを食べたばかりの家内と息子に押し付けた格好だった。
二人がお気に入りの市内で一番美味しく何時も行列が出来ているというウナギ屋に行った。10時50分に開店前の店に着くと歩道に並べられた行列用のベンチには誰もいなかった。だが店が開く11時半には20人弱の列が出来た。我々は一番のりだった。気温は高かったが曇り空だったので助かった。長い待ち時間でもスマホがあれば全然気にならなかった。
待ってる間に調理場から流れ出て来るウナギを焼く煙はそれ程好きではなかった。家内や息子は市内で一番美味しい評判と言ってうな重を食べたが、私にはご飯を減らしたうな丼で十分だった。ケチをつける積りはない。偉そうに言うとウナギは普通、「お茶が美味しかった」という程度。でも勘定する時は可愛いおネーちゃんに「美味しかったよ」と言った。
12時半頃に店を出ると待ち行列のベンチに3人の初老の客が座っていた。30分余りの昼食だった。我々が一番乗りだったよと彼らに伝え、曇り空で助かったねとか、暫くの間どうってことない雑談が弾んだ。その後私だけ散歩に行くと言って家族と分かれ新小金井街道に向かった。
大國魂神社から競馬場に向かい遊歩道を経由して旧甲州街道に出て、分倍河原のショッピングセンターで甘いモノを買って帰宅した。1万歩・7キロの距離を歩き、帰京後では最も長く歩いたことになる。途中、会社勤め時代にバドミントンを教わった社会人クラブのリーダーに出会った。
会社のバドミントンクラブは東京地区の当時社会人バドミントン二部リーグに属し彼はリーダーだった。私が30歳前後の頃社員の娯楽を兼ねて終業後にバドミントンクラブの部員がコーチ役になって教えてくれた。それがきっかけで私はバドミントンにはまった。お蔭で歳をとっても趣味の運動として日米でバドミントンを続け仲間が出来た。
彼によるとクラブの仲間も歳をとり、今では足や腰を痛めながらも元気にバドミントンを続けているらしい。私も出来るだけ長く続けたいと思っている。今朝起きると昨日歩いた距離ほどに覚悟した足の痛みが酷くなかった。気持ちの問題か。良い事は続けて起こる。■
充電中のパソコンの上に充電中のスマホを置いたので、いつもより温度上昇が高くなってスマホの電源系統に異常が起こったのかと思った。電源が入らない単純な現象でやりようがなく直ぐにギブアップした。1世代前のスマホと合わせ一緒に息子に見てくれと頼みベッドについた。
翌朝目が覚めるとダイニングテーブルに二つのスマホが重ねて置いてあった。朝食時に二階から降りてきた息子に聞くと何の問題もなく正常に動いたとの返事。それを聞き、即電源を入れるとその通り正常に起動した。昨晩スマホの買い替えを覚悟した。今やスマホなしの生活はあり得ない。スマホとパソコンがあれば家族間の連絡から買い物・旅行など大抵のことは何でもできる。
原因は不明だがスマホが使えると分かっただけですっかり元気になった。朝食後に家内と息子にウナギを食べに行こうと申し出た。酷暑の季節になって一度もウナギを食べたことがない私が、今月初めの帰京直前にウナギを食べたばかりの家内と息子に押し付けた格好だった。
二人がお気に入りの市内で一番美味しく何時も行列が出来ているというウナギ屋に行った。10時50分に開店前の店に着くと歩道に並べられた行列用のベンチには誰もいなかった。だが店が開く11時半には20人弱の列が出来た。我々は一番のりだった。気温は高かったが曇り空だったので助かった。長い待ち時間でもスマホがあれば全然気にならなかった。
待ってる間に調理場から流れ出て来るウナギを焼く煙はそれ程好きではなかった。家内や息子は市内で一番美味しい評判と言ってうな重を食べたが、私にはご飯を減らしたうな丼で十分だった。ケチをつける積りはない。偉そうに言うとウナギは普通、「お茶が美味しかった」という程度。でも勘定する時は可愛いおネーちゃんに「美味しかったよ」と言った。
12時半頃に店を出ると待ち行列のベンチに3人の初老の客が座っていた。30分余りの昼食だった。我々が一番乗りだったよと彼らに伝え、曇り空で助かったねとか、暫くの間どうってことない雑談が弾んだ。その後私だけ散歩に行くと言って家族と分かれ新小金井街道に向かった。
大國魂神社から競馬場に向かい遊歩道を経由して旧甲州街道に出て、分倍河原のショッピングセンターで甘いモノを買って帰宅した。1万歩・7キロの距離を歩き、帰京後では最も長く歩いたことになる。途中、会社勤め時代にバドミントンを教わった社会人クラブのリーダーに出会った。
会社のバドミントンクラブは東京地区の当時社会人バドミントン二部リーグに属し彼はリーダーだった。私が30歳前後の頃社員の娯楽を兼ねて終業後にバドミントンクラブの部員がコーチ役になって教えてくれた。それがきっかけで私はバドミントンにはまった。お蔭で歳をとっても趣味の運動として日米でバドミントンを続け仲間が出来た。
彼によるとクラブの仲間も歳をとり、今では足や腰を痛めながらも元気にバドミントンを続けているらしい。私も出来るだけ長く続けたいと思っている。今朝起きると昨日歩いた距離ほどに覚悟した足の痛みが酷くなかった。気持ちの問題か。良い事は続けて起こる。■