品質問題について米国公聴会に出席したトヨタの対応を、私の独断的で天邪鬼な見方でコメントする。大雑把な見方だが何かとケチをつける傾向のある論評に対して、ここはプラス志向全開で行きたい。
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国下院の公聴会に出席した豊田社長及びトヨタの対応について、日米のメディアの評価を見比べた。総合すると「日本人トップとしては」と注釈付だが、かなり成功したと私は思う。実際、海外の公の席で日本人トップが言葉で説得して窮地を切り抜けた例を私は思い出せない。
端的に言うと、公聴会出席前の米国メディアの報道は質量共に前例のない多さだったが、公聴会後からピッタリ止まった。過熱報道を黙らせたとは言わないが、豊田社長の証言で少なくとも暫らくは沈静化させることに成功した。冷泉彰彦氏の評価「ひとまず及第点」が適切な見方と思う。
公聴会での通訳の妥当性は分からないが、具体的なやり取りについてトップが前面に出て説明する米国文化では受けられない等と問題を指摘する専門家・評論家の声を殆どの日本メディアは取り上げていた。だが、テレビで批評している人達が元々極めてドメスティックな人達で、彼らの尤もらしい批評を聞いても説得力があるようには聞こえない。
米国での集中豪雨的な報道のお陰で、豊田社長は今最も顔を知られた日本人だろう。鳩山首相は知らなくても豊田社長なら誰かすぐに答えられるだろう。公聴会では偉大なトヨタ創設者の孫(米国でも名門出を特別な目で見る者も多い)に敬意を表し、彼自身も誠実な印象を与えることにある程度成功した。トヨタは米国の企業市民であることに疑問をはさむ声は余りなかった。
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聴会の後トヨタディーラーや従業員との会合で声を詰まらせ涙を見せた映像は印象的で、彼が強欲な経営者ではなく血も涙もある人間だと印象付けた。電子制御のブレーキの安全性など肝心なところをはっきりさせなかったという非難もある。その通りだ。
だが、リーマンショック後の金融関係や自動車産業トップが如何にも傲慢で強欲な印象を与えたのに比べると、豊田社長の誠実そうなつぶらな瞳を見て誰も強欲だったとは思わなかったと思う。その意味で広報戦略としては寧ろ大成功だった。米国企業でもそうはうまくやれてない。
一般に言われるように涙は一概にマイナスとは限らない。今回の豊田社長の涙とボディランゲージの組合せは、米国人にとっても弱さより誠実さの表現になり悪くなかった、というのが私の受けた印象だ。感極まり涙が出そうになるのをグッとこらえ、おもむろに向き直って決意を表明すれば満点だが、それ程芝居がからなくとも「ああこの人はいい人だな」と誰もが思ったはずだ。
もちろん車の安全性が明確に証明されない限り最終的な決着はありえない。既に起こった不幸な事故に対する賠償金は巨額にのぼるのは間違いない。過去は変えられない。だが、車の販売は何があろうと今後も続く、販売の落ち込みを食い止め前向きな仕事に全力を注ぐ、そういう環境を作るために最低限の社長の仕事をしたと私は評価する。■
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