かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感13秋(1)

2013-09-16 22:42:55 | 日記・エッセイ・コラム

前回は台風17号の翌日の爽やかな日に投稿したが、今日は台風18号が四国沖を通り抜けた日だ。まだ台風は北海道沖にあり大雨を降らしているが、ここ愛媛は午後から台風一過の素晴らしい秋晴れが戻ってきた。午前中台風の余波で低い雲の下車を走らせて母を見舞い、午後実家に戻る頃には乾燥した秋の空で洗濯物はすっかり乾いていた。

洗濯した携帯電話をまだ騙し騙し使っている。殆どの場合は電源ボタンと決定ボタンしか動かないが、電話やメールを受けることはできる、その時に限り他のボタンも正しく動くから不思議だ。何回かに一度は辛坊強くやっていると、例外的に電話も掛けることが出来る。元々独り暮らしの私が生きているか確認の為だからこれで十分だ。これが携帯を買い換えない理由だ。

1週間前に娘夫婦が東京に戻る朝、玄関に私の友人のゴキブリが腹を上にして足をピクピクさせていた。前日買って来てくれた「1部屋2噴きで虫を殺す」という奇跡の殺虫剤を撒いたからという。それ以来2度撒いたら、台所や居間に落ちていた黒ゴマが無くなった。黒ゴマはゴキブリの糞だと帰納法的に確定した。友人とはいえ糞を撒き散らして良い訳がない。友よ許せ、死んでもらう。

娘夫婦は「コロコロ」も買ってきてくれた。台所は分かるが、使ってみると居間や書斎も小さなゴミが沢山あり、その中にクッキーなどの食べ物のカスが結構あった。ゴキブリには最高の環境だったわけだ。私が餌をやって育てていたようなものだ。家の中がチョット綺麗になった気がする。

もっと衝撃的なことがあった。「紅茶パックにカビが生えていた、容器に使っていた紙の箱のものは危険、全部捨てた方が良い」と娘が東京に戻った後メールで知らせてきた。誰もいない書斎で思わず「ゲーッ」と叫んだ。密封したナイロン袋の食品以外は捨てて、プラスチックの容器に入れ替えた。それにも限界がある、雨が続くとこの家自体の湿度が上がるのはどうしようもない。

すっかり秋の気候になったが、サンルームよりは東屋のオープン・エアの方がいい。秋の風が吹き抜けるのを感じるのが凄く心地よい。本当に寒くなって我慢出来なくならない限り東屋の方が良さそうだ。雨の日は微妙だ、多分、サンルームを使うだろう。ラジオやCDが聴ける。

この季節になると私の好きな香の物、柚子、カボス、スダチが地産地消の市の棚に出ていた。物忘れが酷い私は売り子の女性を捕まえ、皮を薄く切ってヤッコとかサラダにかけて食べるのはどれかと聞くと頭を捻って年配の女性を連れてきた。だが、結局二人とも知らなかった。安いから試してみると言って、皮が少しゴツゴツしてるいのを選んだ。正解だった。

NHKの朝の連ドラ「あまちゃん」が凄い人気だと知って、先月頃から毎日見るようになった。最初の数回見てドタバタの芸会ものだと決め付けたのに、人気だと聞いて見るようになるとはミーハーだ。私の若い頃流行ったものをおちょくったパロディーと思って見ると面白かった。今は朝8時から15分を固定させその前後で朝食やゴミ出しをする生活パターンが出来あがった。■

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私的・リーマンショック5周年

2013-09-13 11:53:57 | 社会・経済

リーマンショックから5年も経った。今週はもう一つその後の世界の風景を変えた大事件9.11のアニバーサリーがあった。こちらの方は(特に日本では)記憶が風化しつつあるが、アフガン・イラン戦争を経て米国の指導力低下が進み、エジプト・シリアなど今日の中東情勢の混迷の一因となっている(英国際戦略研究所)。

だがリーマンショックの記憶は未だに生々しく、世界各国にその後遺症が残っている。内外のメディアはリーマンショック後の5年間を振り返って識者の興味ある論評を報じた。記事を読んで彼等はリーマンショックが終ったと思っていないことが確認された。

私自身、過去5年間沢山の書籍や報道記事を読んできた。だが多くの人達と同じように未だに納得できる答えを得てない疑問がいくつかある。ベアスターズを救って、何故リーマン・ブラザーズは救わなかったのかという疑問だ。識者は起こったことを考えると、結果として破産させる判断はなかったという意見が多い。(ベアスターンズ救済が間違ったメッセージを送ったという指摘もある。)

だが、リーマンショックの一方の主役ポールソン財務長官を始めバーナンキもガイトナーもインタビューに答え、甚大な影響が出ると予測していたが当時の法制下ではリーマンを救う手立てはなかったと繰り返している。ポールソンは加えて救済された金融機関幹部が巨額のボーナスを得たのには仰天したと強調している(WSJ)。ともあれ残りの主要金融機関と自動車業界は救われ、世界大恐慌は免れた。それだけでも良くやったと言ってもいい。

今米国の経済回復は先進国のトップを走っている。自動車産業は復活し、新しいグローバル企業が登場した。シェールガス革命で経常赤字が大幅に改善する見込みだ。だが、国民の多くは未だに強い反感を持っていると記事は報じている。ウォールストリートは救ったのに、メインストリートはほったらかしにされ、貧富の格差が広がったという思いだ。

依然として1130万人の失業者がおり、住宅ローンを組んだ6人に1人は借金より安い住宅価格にあえいでいるという(WSJ)。この「分断されたアメリカ」が今後どっちの方向に進むか、経済より政治的な変化として現れてくるかもしれないと私は考える。

ここから得られた教訓は何か、それは異なった手法を取った欧州との違いを検証すると見えてくる。欧州も余波を受け大怪我をし、未だに病状から完全回復できず目が放せない状態だ。WSJはその差を以下のように指摘している。

 政府の金融機関救済キャンペーンにおける最大級の成功の1つは、厳しい批判の対象となった「ストレステスト(健全性審査)」にある。09年前半に導入された大手金融機関19社のストレステストは、これを満たさなかった企業に増資を強いた点で重要な意味を持つ。その後欧州でも同様のストレステストが実施されたが、その内容は米国ほど積極的でも厳しくもなかった。現在、苦境に陥っている欧州の金融機関はユーロ圏経済の足を引っ張っている。

私は妥当な指摘だと思うが、日本で政策に反対する連中が常套句「その前にやることがある」という台詞を言いたくなる。これだけ全世界に死ぬほどの迷惑を掛けておいて、一言も反省やお詫びの言葉が何処からも聞えてこないのはどういうことだ、と言いたくなる。非常に個人的だが、これが私の第2の疑問だ。「小さな迷惑は謝るが、大きな迷惑は知らん振りする」とは米国でよく聞いた。或いは経済的なことでどんな場合でも国レベルで謝る事はない、ということかもしれない。

FTは別の言い方でメインストリートの不満を論評していた。オバマ大統領登場時の国民的コンセンサスであった米国経済の不均衡是正が頓挫している。個人貯蓄率は危機発生直後には3%から6%に急上昇したものの、その後4%に近いレベルに戻っている。国民所得に占める雇用者所得の割合はGDP比62%が59%前後になり格差が拡大している。

予算削減に対し適切に対応しないと、長期的には雇用の質と成長のレベル、経済全体の安定性に影響を及ぼす。長期的に見て米国経済にとって金融危機の遺産が持続可能性に向けた転換につながらなかったら悲劇と指摘している。つまり、米国はリーマンショックの教訓を生かしてないと見ている。かもしれないが、正直良く分からない。

私にとってリーマンショックは未だ記憶に新しいが終わった事であり、過去の出来事となった。というのもリーマンショックで大きな損失を受けたが、昨年までに新興国の成長が損を取り戻してくれ、今年はアベノミクスが若干プラスにしてくれたからだ。最終的には証券会社の勧めよりも自ら情報収集し状況判断したのが幸運にも当った、自分の判断を大切にするという教訓を得た。

2009年初め頃に退職金相当の損を出し、更にそれ以前の貯蓄にも大穴を明けていた。最悪の場合でも家族を路頭に迷わすことの無い範囲の投資に留めていたし、日頃の生活スタイルを変える必要もなかった。家族に動揺を見せないよう努めた。だが、100%は開き直れず内心は酷く失望していた。親しい友人の中には当時の私は沈んでいたと気付いていたようだ。先日、娘夫婦は当時私が損したかもと案じていたと打ち明けた。

ネットや付き合いのある証券会社の情報から推測すると、リーマンショックを機会に損切りして投資を止めるか、塩漬けにした個人投資家がかなりいたのではないかと思う。その中でアベノミクスのお陰で塩漬けした投資物件が生き返った個人投資家も相当数いると報じられている。リーマンショック後は私にとって波乱の5年間だった。■

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シリア情勢:オバマは逡巡、迷走或いは巧妙な・・・

2013-09-11 15:21:33 | ニュース

この記事は何度か投稿しようとして、大雨で実家の近くを流れる川の氾濫注意報騒ぎになり、母の一時帰宅と娘夫婦などで考えを纏めようとしているうちに状況がドンドン変化して今日まで来た。その間に見えてきたのはオバマ大統領の威信の低下だ。

迷走するオバマ大統領の決意

その間に米上院外交委が90日以内・地上軍抜きという条件付で軍事介入を認める決議案を纏めたというニュースが入った。だが、下院では圧倒的に介入反対の議員が多く、世論調査でも60%が反対でオバマの議会と軍事介入決断の責任をシェアする作戦は裏目に出ていた。

その後のG20首脳会議でも米ロ対立で軍事介入の多数派工作がままならず、賛否相半ばする結果となって国際的な支持で米国内の空気を変えようとする作戦は失敗した。そこへプーチン大統領がシリアの化兵器を国際管理する提案をして日本を始め国際的な支持を受けた。

米国は国際的に支持を集めたロシア提案を無視できない状況になった。当面、米ロは連携してロシア提案実現の可能性を探り、米英仏は国連調査団の結果を待って化兵器の国際管理後に廃棄する国連決議を探り、その間米議会採決延期を要請したと今朝方報じられた。

迷走はオバマの性格がもたらした?

この一連のやり取りはオバマ大統領の威信を著しく傷つけたといわれる。オバマ大統領の「軍事介入ありき」の姿勢が米国内外の反対を受け頓挫のコースを迷走しているように私には見える。オバマが振り上げたこぶしをどうやって収めるか、これがシリア軍事介入の裏テーマになった。

元々オバマは一方的に言いっ放しになる演説は上手いが、意見を交換する交渉ごとはそれ程得意ではないとの評価がある。オバマが議会対応に苦労するニュースを見るにつけ、彼の説得下手が又出たと思った。ネジレ構造では難しいのが当然の議会との関係だが、同じ環境におかれた大統領が成果を出した例はいくつもある。

安倍首相との建前はともかく個人的には冷めた関係も私には気になる。訪米時や国際会議等の機会あるたびに、オバマ大統領にビジネスライク(素っ気ない)扱いを受け、首相と大統領が個人的に親密な関係を築けたとは思えない。ロシア提案の安倍首相は躊躇なく賛意を示した。他国の首脳もそういう感情的なものがあるのかもしれない。

誰が世界の警官をやるか?

オバマがシリア軍事介入を言い出したのはアメリカ特有の理想論的で“世間知らずな”ものだった。シリア内戦で既に10万人以上が死に、化兵器が原因と思われる1400人余の犠牲者が出ても、国連が機能しなかった。オバマは米国兵の犠牲を出しても止めさせるという考えだったはずだ。自国の都合と言われようが、米国は世界の警察の役割を果たす決意だったはずだ。ファイナンシャル・タイムズ(FT)は9/2に以下のような論評をした(日本経済新聞の抜粋)。

 米国主導の国際的な軍事行動を起こす根拠はいっそう強まっている。8月にサリンガスで少なくとも1000人の市民を殺害したアサド政権は、最も基本的な人道上の規範に背いており、再度使用する可能性もある。非難と積極的に行動する姿勢を世界が示さなければ、アサド政権とその支持者をつけあがらせるばかりだ。キャメロン氏の不手際とは対照的に、オバマ政権は限定的かつ懲罰的な攻撃を一貫して力強く主張してきた。オバマ氏が声明に用いた言葉だけを見ても、現実的なスピードで(できれば来週中にも)米議会の支持を取り付けるのに値するだろう。

だが、欧米の世論はアフガニスタン・イラク戦争疲れでうんざりしており、米英仏とも圧倒的な差で軍事介入に反対した。世論を反映して英議会は介入に反対決議し、米国下院も多分そうなるだろう。日本は世論もマスコミも大勢は他人事のように扱っていると私は感じる。

やっぱりアメリカしか警官になれない

一方、世界で最も信頼されているといわれるFTの以下の記事(抜粋)で、良くも悪くもアメリカが世界の警察官を止めたら日本も大変なことになると警告している。ポピュリズムにおもねることなく一段高みからあるべき姿を述べている。日本にもこの「クオリティ・ペーパー」と呼ばれる高級紙のような大局を失わない見識が是非とも欲しいと思う。

For better or worse, Mr Obama drew such a red line over Syria. As he suggested over the weekend, America’s adversaries will draw conclusions if the US fails to act over Syria, and the same would be true of its allies. The governments of Japan, Israel and Poland ? to name just a few ? will all feel less secure if Congress votes against military action in Syria. The world relies on the American policeman more than it realises.9/2 Gideon Rachman chief foreign affairs commentator FT)

米議会はもうすぐ議論を再開し、オバマは今夜シリア軍事介入の必要性について国民に向かって演説をぶつという。今までの成り行きを見ると私は悲観的だ。Bディラン風に言うと後何人死んだらシリア内戦を止められるだろうか。それとも、オバマは議会承認無に軍事介入に突っ走るのだろうか。■

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母の一時帰宅に感謝(下)

2013-09-10 16:20:44 | 日記・エッセイ・コラム

翌日曜日は遠出はせずゆっくりすることにした。娘夫婦は愛媛は初めてではないし、それも良いと思った。朝食後新聞をチェックしていると二人は家中の掃除を始めた。私が一人暮らしでろくに掃除をせず、二人の訪問の前に慌てて掃除したのがバレバレだった。台所や居間には原因不明の黒ゴマ大のゴミが散らかっていた。多分友人のゴキブリの糞だというと、気持ち悪がられた。

普段手をつけてないところにも掃除機を掛けてくれた。じゅうたんやカーペットは全部買い換えろ、コロコロを買ってきてくれてカーペットだけでなく床や畳も転がせ、ゴキブリはしっかり駆除しろ、等々約束させられた。娘でなければ言ってくれないことだ。最初は「俺の行動基準は面倒臭いかどうかだ」とふてくされたが、月曜に娘夫婦が帰京する時には礼を言ってやると約束した。

母は二日目の日曜日の午後3時頃予定通りに実家に戻ってきた。専用車は思ったより大きかったが、何とか実家の庭まで辿り着き小型クレーンみたいな自動アームで母を車椅子ごと下ろした。最初は母の希望の東屋で皆とお茶を飲み、娘が額に入れた刺繍とお見舞いを手渡した。勿論お見舞いは私が預かったが。

その後付き添いの介護員と運転手の助けで母の望み通りに実家の内外を見せて回った。何処を見たいか聞くと、母は即座に炊事場と答えた。新築したサンルームから車椅子ごと母を台所に連れて行き、その後車椅子は気にしなくて良いからと畳敷きの居間、応接、座敷から縁側に行き庭を見せた。

後で後悔しないように庭や家の周りも一周し、ついでに別棟のお風呂も見せ最後に東屋に戻った。母は途中何も言わなかったが、最後にどうだったと聞くと「草ぼうぼう!」と一言。「えー、それかい」(とは言わなかった)が、家庭菜園は雑草だらけなのは事実だった。無口になった母だが、話す時はためらわず本音を言う。合計1時間足らずの一時帰宅だったが、「もう時間だ」というと母は素直に従って車に乗り帰って行った。無事に終ってホッとして娘夫婦と顔を見合わせた。

娘夫婦は5年ぶりの田舎だということなので、初日には家内の実家に行って義兄夫婦に挨拶し、最後の日に入院中の義母を見舞った。義兄は70を越え体力が続かない、いよいよハウスミカン作りは今年が最後だと聞いた。その話をして年齢を聞くと義母は80歳と答え、計算が合わないというと80になって以来年をとらなくなったのだと朗らかに言って皆を笑わせた。

その後施設を訪ね、娘夫婦に母がどういうところに住んでいるか見せた。施設の担当に聞くと帰りの車中の母はずっと機嫌が良かったという。娘のくれた額入りの刺繍を大事に抱えていたと。母は若干疲れが見えるものの、血糖値や血圧は正常だったのを聞き安心した。母は娘に「気をつけて帰れ」と私に一度も言ったことのない言葉を掛けた。喜んでくれてよかった。

その後、道後温泉の近くで娘の希望のおうどんを頂き、空港まで送って行った。その日の夜明りのついてない実家に戻ると何ともいえない寂しい気持ちになった。こういう時必ず思い出すシーンがある。米国赴任時のクリスマスイブに娘が来てくれ仕事で来た知らない人達も含め30-40人の盛大なパーティをした翌日、帰国する娘を空港に送りがらんとした大きな家に帰った時だ。頭の中が真っ白ではなく、真っ黒になった気分だった。あの時ほどでは無いが今虚しい気分だ。■

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母の一時帰宅に感謝(上)

2013-09-09 22:53:44 | 日記・エッセイ・コラム

2週間前に施設の母を見舞った時、「家に帰りたい、東屋でお茶を飲みたい」と彼女は言った。これが二度目だった。1、2年前にも帰りたいと言われたが、その時は施設に相談し担当医に確認するといわれ、そのままになっていた。車椅子の母を自分の車に乗せるのは無理だったが、どうすれば良いかアイデアもなかった。

今回も事務室に行き相談すると、担当員から一時帰宅を支援するサポートがあると聞きお願いすることにした。車椅子を扱える施設の専用車で送迎、介護担当が付いてくれ帰宅中もケアしてくれるという。母が帰りたいと自分の意思をはっきり言う事は珍しいし、この後も同じ機会があるかどうか分からないので、是非かなえてやりたいと思った。

東京の家族にメールで連絡すると、娘夫婦が会社を休んできてくれた。母の一時帰宅はホンの小1時間だったが、お陰で娘夫婦と三日間一緒に過ごす貴重な機会が出来て楽しく過ごせた。娘は10年以上勤めた会社を最近退職し、夫君は丁度仕事の切れ目というタイミングだったので思いついてくれた。土曜日の午後空港に迎えにゆく途中、峠に差し掛かった頃携帯がなった。

「クラフトの里」といういつもなら通り過ぎる小さな市(いち)の駐車場に車を止めて掛け直すと、羽田の駐車場が満杯で飛行機に乗り遅れた、3時間遅れるという。開き直った笑い声で娘に明るく言われると、文句いう気になれなかった。地産地消の市を覗きアイスクリームを食べながら当地の観光案内をチェックした。だが、お店が3軒の狭いところで1時間も間が持たない。空港に向かった。

空港での2時間も何とも困った。本もタブレットも実家においてきた。最初、お土産店のサンプルを一通り試食・試飲したが、2度行くほど強心臓ではない。だが、いよかんジュースのキャンペーンの売り子が助けてくれた。やけに馴れ馴れしく勧めてくれ私も調子よく軽口で応えた。解説を聞き全種類試飲してチャチを入れながら会話を楽しんだ。時間潰しにはこの手があった。嫌いじゃない。

その延長線上で話し相手を探した。1階の案内所に降りて行き、娘夫婦が来るが初めてではないので、普通の観光客が行くところじゃないところを紹介してくれと可愛い案内嬢に聞いた。話は長くなりそうだ。後から聞くと彼女の役割は空港内の案内だったが、快く対応してくれた。他のお客の問い合わせに応えながら対応してくれた。奥の方から幾つかのパンフレットを取り出し、中でも今治からしまなみ海道(中四大橋)を渡るサイクリングが一番のお勧めだといった。

私も大橋のサイクリングには凄く興味があった。実家に着いて夕食後お酒を飲みながら娘夫婦に勧めたが二人にあっさり退けられた。翌日の母の一時帰宅が午後予定されているのでフルに1日使えない。折角の休みをゆっくりしたいという気持ちも分かった。情報は役に立たなかったが、時間潰しにはなった。空港の二人には、バカなおじさんに相手してくれたお礼を言いたい。

3ヶ月ぶりに会った夫婦だが、夫君は遠目に直ぐ分かったのだが娘は短期間にぽっちゃり体系になり一目では見分けがつかなくなっていた。しかし、以前より快活になった気がした。会社を辞めてゆったりした気持ちで過ごせるようになったからという。そのせいか以前に比べ食欲があった。太ったといっても余り気にする様子もなく、アッケラカンとしていて好感が持てた。

娘は田舎にいる間は美味しいものが食べたい、特にうなぎや魚、とうるさかった。そんなに滅茶苦茶魚が好きな子ではなかった記憶があるのだが。夫君は遠慮していたのか何も言わず、結果娘の希望が優先になった。いずれにしても5年ぶりの田舎なので出来るだけ要望に応えた。娘がネットで調べて内子町の料亭に行った。そこで頂いた鯛めしは私も初めてで美味しかった。(続く)■

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