昨日今シーズン最後のバドミントン練習を終わり、クラブのまとめ役に田舎に行ってくると告げた。秋には帰って来るがもう最後になるかも知れない、秋になっても練習に来なかったら皆に宜しく伝えてくれと頼んだ。半年後にやれると思ったら又顔を出す、でも今は皆にサヨナラを言いたくないと補足した。昨年も同じことを言ったので彼女は直ぐに私の言わんとしていることを理解してくれた。
昨年頃から万一のことを考えて私が死んだ時にやるべきこと、相続対象になりそうな資産や運用状況などを定期的に子供達に開示することにした。又、親しい友人にも知っておいてほしいことをそれとなく伝え始めた。これもある種のサヨナラだと私は思っている。本当にサヨナラという訳ではなく、万が一の時知ってて欲しいことを予め伝えておきたいと思ったからだ。エリーがマッサンに書き残した手紙と違い、私の場合は感傷抜きだ。
父が定年前の55才で死んだ年令に近づいた時に私は早期退職を決め、残りの人生は長くないどうせ付録みたいなものと根拠なく思った。その私ももうすぐ68才になるが、直ぐに死にそうだなんて全然思ってない。万一の準備を粛々と進めるだけだ。この10年余の付録の人生で何度もサヨナラを言ったが、もしバドミントンのような日常生活の一部になっていたものを諦めるとなれば退職後初めてだ。
それは大切な友人であるクラブ仲間へのサヨナラを言うことになる。これから先の人生は長生きすればするほど大事な人にサヨナラを言うことになりそうだ。当たり前だがそれが人生だ。先日は息子の嫁さんの父君が亡くなった。身近な人にサヨナラを言った。だが、昨年は彼と私にとって二人目の孫が生まれた。
サヨナラがあればコンニチハがある。先月末いつもの散歩道の前方を歩く母子が目に留まった。白黒のボーダー・スカートをはいた幼児のちょこちょこ歩く姿が余りに可愛いのでつい声をかけた。母親によれば引っ越してきたばかりで娘の行く小学校に下見に行く途中だった。偶然にも同じ町内で私が最初に口をきいた人になったと彼女は言ってくれ嬉しくなった。
3日前には線路沿いの満開の桜の木の下でランドセルを背負った女の子の写真を撮っている母親に出会った。彼女は入学式の練習で小学校まで娘を連れて行った帰りだと言った。子供達のはにかんだ笑顔が輝き、母親達も喜びが溢れている様に感じた。春になるとサヨナラとコンニチハが一気に来る。■
昨年頃から万一のことを考えて私が死んだ時にやるべきこと、相続対象になりそうな資産や運用状況などを定期的に子供達に開示することにした。又、親しい友人にも知っておいてほしいことをそれとなく伝え始めた。これもある種のサヨナラだと私は思っている。本当にサヨナラという訳ではなく、万が一の時知ってて欲しいことを予め伝えておきたいと思ったからだ。エリーがマッサンに書き残した手紙と違い、私の場合は感傷抜きだ。
父が定年前の55才で死んだ年令に近づいた時に私は早期退職を決め、残りの人生は長くないどうせ付録みたいなものと根拠なく思った。その私ももうすぐ68才になるが、直ぐに死にそうだなんて全然思ってない。万一の準備を粛々と進めるだけだ。この10年余の付録の人生で何度もサヨナラを言ったが、もしバドミントンのような日常生活の一部になっていたものを諦めるとなれば退職後初めてだ。
それは大切な友人であるクラブ仲間へのサヨナラを言うことになる。これから先の人生は長生きすればするほど大事な人にサヨナラを言うことになりそうだ。当たり前だがそれが人生だ。先日は息子の嫁さんの父君が亡くなった。身近な人にサヨナラを言った。だが、昨年は彼と私にとって二人目の孫が生まれた。
サヨナラがあればコンニチハがある。先月末いつもの散歩道の前方を歩く母子が目に留まった。白黒のボーダー・スカートをはいた幼児のちょこちょこ歩く姿が余りに可愛いのでつい声をかけた。母親によれば引っ越してきたばかりで娘の行く小学校に下見に行く途中だった。偶然にも同じ町内で私が最初に口をきいた人になったと彼女は言ってくれ嬉しくなった。
3日前には線路沿いの満開の桜の木の下でランドセルを背負った女の子の写真を撮っている母親に出会った。彼女は入学式の練習で小学校まで娘を連れて行った帰りだと言った。子供達のはにかんだ笑顔が輝き、母親達も喜びが溢れている様に感じた。春になるとサヨナラとコンニチハが一気に来る。■