かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感’15(1)

2015-04-21 12:35:03 | 日記
先週末に施設から電話があった。最近は施設から電話があると何事かとドキッとする。母が車椅子から落ちて額を打ちたんこぶが出き痛がっている、念の為に救急車を呼んで医者に診せたいと許可を得る問い合わせだった。施設には看護婦がいるのでそちらのの判断でやって下さいと即答した。その日の夕方再度連絡がありCTスキャンをとり異常がないことを確認した。母は額のたんこぶを痛がっており、目やその下も内出血で青くなるだろう、熱が出るかもしれないので様子を見るとのことだった。

今朝施設を訪問して母を見舞い、看護婦や介護士にその後の様子を聞いた。母は痛がってはいるもののいつもの様に口が悪く元気そうだと聞き安心した。母は寝ていたが部屋に入ると目を覚ました。反応が鈍く私を認識したのかよく分からなかった。額のたんこぶは富士山型で思ったより大きく内出血で顔の右側が青くなっていた。入れ歯を外した顔はくしゃくしゃで母には申し訳ないが老醜がさらに進んだと思った。そういう私もなのだが。

母が長くお世話になった長老が亡くなったと伝えたがほとんど反応が無く、私に起こしてくれと繰り返した。詰所に行き担当の介護士に伝え、しかし母はそう言っているけど何時ものスケジュールでやって貰っていいと付け足した。以前はずっと寝ていたのに最近は母は起きたがると聞いていたからだ。看護婦の詰所に戻り母の認知症が進んだ気がすると伝えたが、そういう認識はないようだった。事務所の介護士も同じような感触を持っていた。

先週田舎に来て最初にやったのは庭と家庭菜園の目立つ雑草をとり、実家に人が住んでいる感を出した。1ヵ月前に5日間滞在していた時に気付かなかったが、家庭菜園と庭の境にある皐月(さつき)の生垣が殆ど枯れていた。母が何十年もかけて丁寧に手入れして来たのに枯らしてしまって申し訳ないと思った。庭の東西にある皐月は日当たりが悪くとも枯れてないから何が原因か分からない。十分じゃないかもしれないが昨年除虫材も蒔いたのだが。他所の家の庭の皐月も青々としている。何とか一部でも再生したいが、多分ダメだろう。

その翌日郵便局に行った帰りに、先月閉鎖されていた行きつけのカフェがそれ以前の昔の名前で再開していた。その頃のお店のコーヒーは特別美味しかったという記憶もなく行ってみたいと思わなかった。義弟によると馴染みのカフェは別の場所に移ったらしいが、どこに移ったのか聞き忘れてしまった。渋谷で飲んだ「羽とう」のコーヒーの味の記憶と比べてみたい。義弟が田舎に来るのを待とうと思う。

長らく閉鎖されたままだったナショナル(旧松下電器)の工場跡地に遂に次のテナントが入った。地元のホームセンターだ。敷地の正門から建物までの芝生の庭にビルが建設されているだけなのだが、それでも庭全てが駐車場とにわか作りの四角い建物で埋まると広大なショッピングセンターみたいだ。閉鎖された大きな工場はゴーストタウンの象徴みたいだったので、派手な色使いのビルが建つとイメージが一新した。絶滅種とされた田舎の町にとってみればカンフル剤になる。■
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残ったのは病院と農協、そして郵便局

2015-04-18 18:37:22 | 日記・エッセイ・コラム
昨日昼食前に郵便局に行った。旧道沿いの商店街は人影が無く、郵便局内も職員3人だけだった。向かいのスーパーや隣の文具屋がなくなり、その隣の酒屋も国道沿いに移転した。田舎は完全に車社会になった。買い物は年寄には不便なコンビニだという。残ったのは病院と農協、それと郵便局だねと言うと3人から苦笑いが返って来た。深刻な現実を考えると悪い冗談では済まされない。

狭い旧道沿いの小さなお店は人の気配はするものの殆ど閉店してしまった。帰りに水をやっている花屋の中年婦人に声をかけ、気になっていた旧蔵元の家敷の名札が無くなっていたが売却したのか聞いてみた。彼女は何も知らなかったが、蔵元を相続した姉妹の近況を教えてくれた。余り幸せそうではなく聞いててため息が出た。

子供の頃見渡す限り田畑だけだった国道沿いに今では切れ目なく見慣れた店が並んでいる。それらは全国チェーンのスーパーや専門店、ガソリンスタンドが殆どで、昔からの地元の店は少しはあっても今にも潰れそうだ。その周りに新しい住宅が点在し、その住人は国道沿いのお店に勤めているのだろう。こういうところだけを見ると人口が減っているとは感じない。

実家のある集落に戻ると馴染みのおばちゃんたちを見かけ世間話をした。彼女達は元気そうに見えるが、80代から90代だ。亭主はとっくに死んでいる。10年後にはこんな風景は続かないだろうと思った。そうなる可能性は極めて高い。今年唯一人の女子高生が卒業し大阪の会社に就職した。遂にここには子供を産める年代の女性が一人もいなくなってしまった。

昨日発表された総務省の人口推計によれば四国の総人口は前年比0.69%減(全国平均0.17%減)であり、自然減と転出両方で減少率が拡大したと報じられた。田舎に来て私が受ける印象は東京と地方の関係が、愛媛県では松山と他の地域の関係と相似している様に感じる。人口減少のマトリョーシカ症候群は細部に行くほど深刻で、全国で消滅する自治体が続出するというショッキングなレポートを今でも現実のものとして実感できる。

私の実家のある集落は正に消滅の危機にある。危機と言うのは甘い、最早避けられない現実と言うべきだろう。私はこの沈没する船に残る積りだが、家族を道連れにはできないというのが正直なところだ。その時は郵便局も農協は何をするのだろうか。■
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旅は道連れ

2015-04-16 22:21:59 | 旅行
昨日LCC(Jetstar)を使って四国の実家に戻った。LCCは二度目で大体のコツが分かった積りで、バスや電車の接続に特別余裕を持たせないスケジュールを組んだが予定通りにいかなかった。朝の通勤時間帯の京王線はスローなのは織り込み済みだが、新宿に近づくと駅の手前で電車が時折停止するとイライラした。中央線は忘れ物処理で5分遅れ、東京駅の八重洲口のバス乗り場に急ぎ間に合ったが額に薄っすら汗が滲んだ。

成田空港の第3ターミナルは最後のバス停でいつもより5分遅れで到着、そこから搭乗口までかなりの距離があり出発時刻の10分前にやっと着いた。途中で軽食何てとんでもなかった。ところがその直後、「松山からのフライトが今着いた、搭乗開始は10分遅れ」と放送があり、結局のところ定刻の35分遅れの離陸だった。予定通りに行かないのを忌々しく思ったが、相手のあるビジネス旅行じゃない、気ままな旅だと思い直した。

昨日投稿した記事の整理を終ると隣の席の若い女性に声をかけた。私の「人畜無害の枯れた老人」という見かけのお蔭か、いつも誰も警戒せず気楽に話し相手になってくれる。彼女も直ぐに話相手になってくれた。私がLCCは二度目で毎回遅れるとぼやくと、彼女も初体験ではなく前回は定刻で飛んだと応えた。ちょっとくらい遅れても安いLCCの方が良いとお互い意見が一致した。

となると成田空港へのアプローチの方が問題、以前使った新宿からのリムジンは3000円もした、でも前回から息子が教えてくれた東京-成田バス(900円)にしたと言った。彼女は長野-成田のリムジンは1万円以上すると答えた。「エッ、長野なの、僕は安曇野に親戚があるよ」、「安曇野?私は白馬です」、「若い頃白馬から唐松、鹿島槍と縦走したよ」、「長野の人はあまり山登りしない」、「それ聞いたことある」、話は途切れなく続いた。

彼女は仕事で松山に来るようになり知り合った男性と6月に一緒になるという。それではと松山の「知ったかぶり一口知識」を解説し始めた。温暖な地で暮らし易い土地柄で、昔から争いが少ないせいか松山の人はのんびりした性格で、有名なヤクザや大政治家が育たず小物が多い。食べ物は何といっても魚がおいしい、スーパーで買った魚が新鮮で美味しいのには感激だと。魚が美味しいのは既に彼女も実感していたようだ。

話は尽きなかったが、無事松山空港に到着しもう会うこともないのでと一言「お幸せに」と言うと、彼女は礼を言い笑いながら「もし6月以降に安曇野で会ったら・・・」と付け加えた。彼女の冗談ぽい言葉の意味が私には微妙で、言葉に詰まり「エッ、その時は何といえばいいのかなあ」と曖昧に答えた。後から彼女が何を言おうとしたか想像したがよく分からない。私は手を振ってサヨナラを言い、待ち人を見ない様に到着口を急ぎ出た。

フライトが遅れたせいで予定していたバスはもういなかった。後続のバスは15分毎に来るのだが、実家方面に向かう長距離バスの接続に間に合わない。別の会社のリムジンバスを30分以上待つことにした。その間に狭い空港内を1周して戻るともう辺りは人影が無く閑散としていた。到着出口横に続くJALカウンターの隣の小さな机に暇そうにしている制服姿の女性を見つけた。JALカード勧誘が仕事のようだが肝心のお客がいない。

私は暇潰しの積りで近づき目が合うと、彼女達は突然仕事モードの笑いを浮かべ勧誘の決まり文句を言い始めた。瞬くと風が起こりそうなマスカラをした若い女性に「カードはあるよ、君たちが暇そうだから話し相手になってあげる」と先制した。フライトが遅れて僕も時間潰しなんだというと、彼女達は謝り話し相手になってくれた。そこで初めてフライトはJetstarとJALの共同運航だと気付いた。

時間帯によって多少の差はあるけど、フライトが到着して暫く経つと乗客がいなくなるのは普通でこんなもんだと教えてくれた。普段乗客の多い空港か、或いは搭乗時の混雑しか見てない私と違い、1日のお客の流れを見ている彼女達とでは見え方が違うと気が付いた。彼女達がまだ見たことが無いという成田の第3ターミナルの印象を説明し始めたところでお客が来たので、私の役目は終わったとばかりにバス停に急いだ。

既にバスは停車場にいた。そこでドライバーと口を聞き、彼が今日口をきいた2人目の男性だと気付いた。最初は八重洲口から乗ったリムジンのドライバーだった。男性とは全てビジネスライクな会話。特に選んだ積りはないが、私から声をかけたのは全て女性だった。旅は道連れ、でもどうせなら女性の方が良い。■ 
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統一地方選の敗者

2015-04-15 17:55:36 | 国際・政治
12日実施された統一地方選の前半は大勢に変動なく静かに終わった。マスコミの扱いは地味で、特にテレビ報道は、選挙などなかったように直ぐに他の事件を追っかけ始めた。多分、昨日福井地裁が差し止め処分を決定した高浜原発の方が扱いが大きいのではないだろうか。そこで天邪鬼な私が一言民主党に苦言を述べたい。

だが、私はこの統一地方選で民主党が政権交代の打撃から立ち直っておらず、寧ろ混迷を深めている状況が鮮明になった状況を深く憂慮する。と言うのも前回の選挙が民主党政権が惨敗した直後に行われ、最悪の選挙結果であった、誰がやってもこれ以上悪くはならない酷い負け方だった。分かり易く換言すると、リーマンショックで暴落した株はそれ以降何を買っても上昇あるのみ、みたいな選挙だった。

だが、民主党は今回も奈落の底から這い上がれなかった。民主党はなぜ失敗したか総括していないからだと私は思う。失敗させた責任は小沢、鳩山、輿石の3氏が負うものだ。菅氏の福島原発対応のまずさは問題だったが誰が宰相でも満点は取れない国難の時だったのを割り引く必要がある。問題はこの3氏の後遺症がまだ癒えておらず、民主党が生まれ変わり政権を担当できる責任政党に見かけも実態もなってないところにある。

元々選挙に当選することだけを目的にした、いわゆる選挙互助会の助けで水膨れして生まれた多くの議員が整理されたと思う。だが、3氏と決別したことを明確に示すメッセージが新体制の人事や発言に感じられない。彼等に振り回され国民の期待を裏切った責任は余りに大きい。私は民主党の国民に対する裏切りが、PTSDみたいに深刻に残っていると思う。民主党は一体何をどう反省し、どこに向かうのか全く分からない。

国政レベルでも地方自治レベルででもこれでは多数の支持を得られない。かつての社会党の様に全体を考えず一部の利益や不満層だけを代表し、ポピュリズムに走るニッチな政党に成り下がる道を辿るのだろうか。現在のところ自民党政府の重箱の隅をつつき、敵失を待つしかないように見える。民主党は責任を持って国政を預かる政党への復活を目指し、自民党政権に緊張を与えることを是非とも望みたい。

この原稿は成田行きのバスで作り飛行機の中で見直しています。久し振りに朝9時に東京駅に着く通勤モードの電車に乗り、口に入れたのは甘いものにコーヒーだけですっかり疲れています。舌鋒鋭く矛盾を指摘するにはエネルギー不足かもしれません。民主党に対する期待が大きかっただけに失望も大きく、統一地方選の体たらくを見て呆れ飛行機の中でこれを書いて総て忘れ、田舎に持って行かないことにしました。■
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俺の渋谷

2015-04-12 14:36:47 | まち歩き
昨日久し振りに渋谷に行き、家族揃って食事をした。家内の誕生祝の食事会が目的で、初めは私の好みで新宿のスペイン料理のお店でパエリアやタパスを頂こうと提案した。ところが、直前になって家内がウナギが食べたいと言い出し、急遽ウナギ屋さんを探す羽目になった。直前だったので老舗のウナギ屋は個室の予約が取れず、渋谷の姉妹店を紹介して貰った。

食事の1時間前にヒカリエの裏手にある喫茶店ルノアールで、子供達と恒例の資産運用会議をやった。私が若い頃ルノアールは喫茶店というより談話室と言われ、新宿界隈に何軒もあり利用したが渋谷にもあった。仕事の合間や飲み過ぎて終電に遅れ始発の電車待ちに使った。何十年ぶりかのルノアールは昔の面影はなくお洒落れなカフェという感じだったが、コーヒーの拙さは変わらなかった。

実はここまで渋谷駅から連絡橋を通りヒカリエを抜けてルノアールに行ったので、渋谷の地面に降りてなかった。渋谷の地面から見た風景は様変わりしていた。そこからうなぎ屋に行くには青山通りに出て東横線をくぐり桜丘町の坂を上っていくはずなのだが、周りの風景が全く変わって方向感を失ってしまった。高層ビルが建ち東横線は地下に潜ったし、南口の蜘蛛の巣みたいな歩道橋で私の頭の中の地図がぐちゃぐちゃになった。

かつて駅の両側にあった東急プラザや文化会館が目印だった私には、子供達がスマホでここだと言われてやっと昔の記憶が修正された。だが、桜丘町に向かって坂を上っていくと、両側に東急ホテルや大学キャンパスがあり再び頭の中の地図は混乱した。うなぎ屋は文化センタービルの1階にあった。そこで家族全員が集合して家内の誕生日を祝った。肝心のウナギは特別美味しい程ではなかったが、ウナギパーティは楽しく過ごせた。

その後、長男夫婦が気に入っているという最近注目の喫茶店「茶亭羽とう」に行った。うなぎ屋からもう一度渋谷駅の反対側に出た所の宮益坂下にあった。と言っても子供達の後をついて行くだけで、どこを通っているかよく分かってなかった。これは「俺の渋谷じゃない!」と叫ぶと、長男の嫁さんも「私の渋谷じゃない」と反応した。私の知っている渋谷は30年前の渋谷、彼女のは10年前息子とデートした頃の渋谷だ。

米国でコーヒートレンドになった人気の「ブルーボトル」が参考にしたコーヒー店だと紹介され、「羽とう」が注目され人気になったという。私もネット情報を見たことがあり興味津々でついて行ったが、何のことはない昔からの喫茶店のコーヒーの味だった。スタバの焦げ臭いコーヒーと違い、低温でハンドドリップしたものだ。このトレンドは悪くないと思うが、これなら田舎の馴染みのカフェの方が安くて美味しいと思った。お店は御客で一杯だったが、何でこんなものに一杯850円とか950円払うんだろうと訝った。

いささか疲れた私は先に自宅に帰ることにした。昔と変わらない小汚い高架下を通りハチ公前に出た。外国人観光客に人気のスクランブル交差点のせいなのか物凄い人出だった。理解できない言葉があちこちから聞こえて来た。時代は変わった。渋谷は「俺の渋谷」じゃなくなっていた。■
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