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田原氏の変節

2015-04-26 23:31:52 | ニュース
評論家の田原総一朗氏が日経BPに面白い記事を投稿していた。私から見るとその記事の内容は驚きだった。と言うのは、彼が従来からの主張を大きく転換したように受け取ったからだ。しかも、私が日頃思っていることを的確に表現している。下記の日経BPの紹介文は記事の内容をうまく要約している。是非、一読頂きたい。

  田原総一朗:批判ばかりで対案を出せない「戦後リベラル」の限界
  http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/100463/042200007/?ml
  終戦から現在に至るまで「戦後リベラル」はポピュリズムと温情主義に陥り、日本の社会を変えられなかった  のはなぜか——。そんなテーマで書かれ、朝日新聞批判がひとつの柱になっているのが経済学者・池田信夫さんの『戦後リベラルの終焉』だ。

私は田原氏が出演したテレビ番組を何度も見たことがあるし、著作物も何冊か読んだことがあるがこのような意見の持ち主だとは思ってなかった。少し長くなるが何故驚きだったかその理由を説明したい。まず最初に私がこれまで持っていた田原氏の印象を紹介する。

彼は一貫した主義主張よりも状況を鋭く把握して、何が起こったのか大胆にグランドゼロ(核心)に単身切り込んでいく無色透明のジャーナリストで、その時その時の彼の言うことは朝日や毎日より公平だと思われた。だが、一方で主張が根なし草的で状況に左右される、鳩山前首相ほどではないにしても直前に聞いた情報に影響される傾向があるように感じていた。極端に言えば大阪都を巡る維新と既存政党との激しい対立を見て、大阪のオバチャンが政策の是非より仲良くやって欲しいとテレビに答えるのと似た印象があった(失礼、他意はありません)。

ところが、この尊敬すべき大評論家は戦後70年の今頃になって、池田信夫氏の本を読んで急に目覚めたように心変わりをした。「戦後リベラル」の代表である朝日や毎日は批判ばかりで代案を示さなかった。冷戦終了後米国の力が相対的に衰えた今、日本独自の道(代案)を求められるようになった。なのに、アベノミクスに始まり安全保障から社会保障まで依然として批判ばかりし代案を示さない。田原氏は自省を込めてこう指摘したのだ。

田原氏の変節(と私は思う)に対して世間は殆ど反応してない様に私は感じる。かつて世界標準の改革主義者だった中谷巌氏が反グローバル資本主義に転向して話題になり、一時期テレビ出演に引っ張りだこになった様にはなってない。田原氏の変節が本物かどうか見極めようとしているのか、マスコミは(意図的に)無視しているのか、単純に気付かれてないのか分からない。

だが、日本におけるマスコミと田原氏の影響力を考えると、彼の主張は「戦後リベラル」の問題を指摘する池田信夫氏の著作を何倍かにして後押しをしたと私は高く評価する。私は最近も「不幸な国民」(4/22)で指摘したようにマスコミ批判記事を何度か投稿してきたので同志が増えた気分だ。変節という言葉にマイナスイメージがあるなら、それは私の本意ではない。実は引用された池田信夫氏の本も読んでない。引用だけ読んで書くのは違反かもしれないが、田原氏の変節を全面的に支持したくフライイングでこの記事を投稿する。■
コメント (1)
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