かぶれの世界(新)

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人は見かけによらず

2015-11-19 23:22:05 | 日記
人生三度目の買い物

自宅の建て替えかマンションへ引っ越しをする積りで夏頃からずっと調査してきた。10年以上前に退職した会社の子会社の紹介で工務店と打合せを続けて来たが希望の金額に収まらず、この1か月間新聞折り込み広告を手掛かりに中古マンションの見学してきたがまだ決定的な物件に出会ってない。

現在住んでいる自宅は結婚する前に父の支援を受けて建てたもので築40年以上になり、家族のことを考えて私が元気なうちに新しい住処を見つけてやりたいと思ったからだ。私は68才になり、平均健康寿命から3年しか残っていない。30台半ばの息子が残り50年間住める家を残してやるのが目的だ。私にとっては人生三度目の自宅の購入だ。

交渉は家族の共同作業

という訳で息子と家内に目的を説明して工務店との交渉や見学に参加させ、予算の範囲で希望を聞き最終的に決める積りでやって来た。大きな金額の支払いに関わる交渉や意思決定プロセスに経験のない彼等を参加させるのは少し不安だった。だが、交渉の過程で日常生活では知らなかった息子と家内の姿にいささか驚いた。

私は長い会社勤めで国内外の取引先とギリギリの交渉を何度もやって来たので、ビジネス交渉のベテランと自負していた。交渉は基本的に「ウィンウィンの関係」でなければうまく行かない、交渉が不調に終わった時の代案を準備しておくこと、押してダメなら引いてみる、駆け引きするより手のうちを明かし相手にも出来ることを提案して貰う、今回は特に職人がベストと思う提案を出して貰う、等々の交渉を家族の前でやってみた。

難航する交渉に活

正直言うと私は交渉の場面で家族にそれ程期待していた訳ではなかったが、意外にも二人は別の仕方で役に立ってくれた。どういう物件が欲しいかについては出来るだけ二人に決めさせ、それを私が交渉で予算内に持って行く役割を果たす積りだった。だが、交渉に立ち会うにつれ二人は徐々に理解してくれ彼等なりのやり方で助けてくれるようになった。家族に対して「人は見かけによらない」と言うのは変だが、私は分かっていなかった。

息子は交渉中は殆ど喋らず最初は物足りなかった。だが、交渉の席で話し合われたことを私以上に把握して情報を収集し、正しく方向付けして次の行動に繫げてくれた。彼が調べてくれた情報が的確かつタイムリーで、私の判断が正しいか確認できそれを基に先に進めたり、新たな段階に入れた。ビジネス交渉経験だけでは足りない私の交渉を、息子の情報力と以下の家内の行動力を合わせて何とかやって来た。想定外のことだ。

家内の行動力

家内には息子の為の家だと何度も念押ししたが、彼女は熱中すると予算など気にせず自分が望む姿を求め安易な妥協をしないよう主張した。私は予算キープが最優先でそれ以外は妥協するつもりでいたが、彼女の健康寿命はまだ10年位残っているのが執念の差かもしれない。息子が持ってくる情報を見て良さそうだと直ぐに取次店に連絡するのが彼女で、そこから新しい物件と取引先を見つけ新たな展望が開けた。

40年も一緒にいて良く分かっている積りだったが、今回の家内の執念は予想外だった。話しは脱線するが時に彼女は料理中に突然機嫌が悪くなり(何故かは未だ不明)、私も大人げなく乱暴に言い返して喧嘩する。彼女はそんな人(「女心と秋の空」的な女性)だと思っていたのに、躊躇せず取引先に連絡を取る姿はやり手の営業マンみたいに頼もしかった。彼女のそんな姿を見たのは初めてだ。

見かけによらずは人だけでなかった

不動産屋さんと付き合いが増えるにつれ、マンションの部屋がどれも70平米前後かそれ以下が殆どなのに気付いた。一軒家住まいの我々には狭くて圧迫感がある。最近進む核家族化が影響しているという。100平米希望というと高価な高層マンションの最上階か、そうでなければ築10-20年の中古マンションしか無いようだ。

彼等が口を揃えて府中市の人気が高いと言うのに驚いた。ある営業マンは府中市ブランドは都内の23区に次ぐと言いながら、隣の武蔵野市は吉祥寺があるので別格で23区並という。そんな話は聞いたことが無かった。引っ越しするなら市内でなくても良いと思っていたが何だか府中市に未練が出て来た。ニュージャージーよりニューヨーク、千葉より東京、多摩より府中、名前が変わるだけで不動産価値は大違い。良くある話だ。

真の「人は見かけによらない」

二日前にバドミントン練習を終えて体育館の自転車置き場に行くと、アラサー女性が長いケースを肩にかけシュッとした姿で立っていた。思わず声をかけて「弓道の練習ですか」と聞くと、彼女は笑って「居合い」だと答えた。「えっ、ということはそれ真剣?」、「そうです、でも本格的なものより軽い、私はまだ初段だから」と言って肩から外して持たせてくれた。確かに重いけど、真剣刀はもっと重いのだろうと思った。礼を言って彼女の肩に戻した。爽やかな香りがしたように感じた。この人に真剣とは、正に「人は見かけによらない」と思った。■
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報道失格・かも知れない症候群

2015-11-18 11:04:39 | ニュース
パリ同時テロの深層に切り込む報道を期待して、3日後の昨夜普段は見ないテレビ朝日のニュースステーションを見た。それまではリアルタイムで圧倒的な情報量のCNNが主な情報源で、補足としてBBCや日本マスコミなどを確認していた。慌てて記者一人を送り込む程度の日本マスコミが事件をカバーできるはずがないからだ。どうせ欧米メディアの報道を拾ってきてまた聞きのニュースを流すだけだ。

今朝もドイツで予定された国際サッカー試合が中止になったりとテロの余波が続いている。だが、表に現れて来る事実関係の情報でテロの全体像が徐々に見えてきたところで、ニュースステーションがどう報じているか聞いてみたくなった。報じられたニュースをどう料理して伝えるかも興味があった。だが番組を見て私の目には、テレ朝が報じたパリ同時テロ関連のニュースはお粗末そのものに映った。

最大の問題はキャスターとコメンテーターが「かもしれない」とか「…と思う」といった個人の感想を垂れ流し凡そ事実を伝えるニュース番組とは思えない内容だった。「かもしれない」を連発するコメンテーターが以前いたが、実は昨夜は「かもしれない」はあまり聞かれず「・・・と思う」連発だった。具体的にXXやYYという事実からZZである可能性があるというべきで、根拠を示さず「かもしれない」はジャーナリストとして無責任で恥ずべき表現だ。

裏付けとなる事実や具体的な根拠のない自分の思いを表現する為、「かもしれない」とか「…と思う」を多用する報道を「かも知れない症候群」と名付ける。思いばかりが先行して根拠の薄い意見をまき散らす三流ジャーナリストがかかる病気だ。昨日見たテレ朝のニュースステーションは重症の「かもしれない症候群」にかかっていた。

報道において自分の意見を言う替りに、出来るだけ多くの事実を拾い集めて見る人に結論を出させるべきだ。その基本が出来てないのは報道失格であり、ジャーナリスト失格だ。その国を代表する主流メディアは謙虚に我が身を振り返るべきだ。「かも知れない」は免罪符ではない。どうしても自己主張したければ簡単な方法がある。放送局はニュース番組という看板を「XXはこう考える」という意見番組に架け替えればよい。

ところで、今回の報道を見て私にも根拠は明確でないが意見がある。一つはテロと戦い勝てるのは欧米的民主主義ではなく、イスラム内の過激派対スンニ・シーア連合の謂わば内戦であるという思いだ。イスラム社会ががテロを根絶すると本気にならない限り終わらない。貧困や差別という西欧民主主義の物差しでは解決できない。

もう一つは「国際的インテル(情報)連合」だ。ISはSNSや暗号などのITを駆使してテロを計画実行した。米政府の情報部門は今回のテロ攻撃をある程度把握していたと言われている。テロはシリアで計画し、ベルギーでヒトモノカネを準備し、パリで実行したと言われる。繋いだのはITだ。テロを防ぐ鍵は事前にその動きを把握してテロの芽を摘み取ることで、世界的な情報の連携を構築すべきであると考える。■
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私的・法治国家

2015-11-14 21:52:55 | 日記・エッセイ・コラム
朝小雨の中を自転車に乗って、バドミントンの練習に多摩川沿いの市立総合体育館に向かった。ナイロン製の傘にウィンドウブレーカー姿で自宅を出たのだが、車の通らない遊歩道でもすれ違う自転車に乗った人達は皆フード付きのレインコート姿で雨傘をさしていないのに気付いた。最初の100m程度走ってまずいと思い傘をさすのをやめた。日和った。

改正された道交法で傘をさして自転車に乗れなくなったのは知っていたが、殆どの人は守らないと思っていたので意外だった。2km先の体育館に着くまでに傘をさして自転車に乗った人を見たのはったったの二人だった。総合体育館は中学生のハンドボール大会が開催されており、今日の練習場は別の体育館だと気付いた。事前に調べなかった私がうかつだった。

小雨が続く中、今度は多摩川とは反対側の国分寺市に近い地域体育館に向かった。多分4km以上の距離だったが誰一人として傘をさして自転車に乗った人を見かけなかった。練習が終ってもまだ雨が降っているので、いつもは浴びるシャワーをスキップして汗で濡れた体をウィンドウブレーカーに包んで自宅に戻った。3kmの道のりでは唯一人道交法を守っていない人を見かけただけだった。

結局、10km近くを自転車で走り傘をさして自転車に乗った人を3人見ただけ、驚くべきことに道交法違反は1割以下だった。歩行者の時の私は赤信号でも車が見えなければ構わず道路を横断するが、大抵の人は信号が変わるまでじっと待っている。何度も海外出張したがどの国でも私のように安全を確認すると道路を横断していた。私の知る限りどんな時でも信号を守るのは日本人だけだ。

改めて日本人のどんな時も法を守る順法精神を実感した。何10年も傘をさして自転車に乗っていたはずなのに、道交法が改正され禁止されると直ぐに新法を守るとは凄いなと思った。決して馬鹿にするつもりはない。これが日本人であり、この生真面目さが法治国家を支える土壌になっていると思った。同時に私のいい加減さも。■
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大胆解説・東芝会計不正(けじめ)

2015-11-13 16:50:40 | ニュース
最初に大胆解説を投稿したのが5月だった。それから半年、東芝の粉飾決算の概要が明らかになって来た。東芝の役員責任調査委員会の報告書の全文が公開され、責任を指摘された元役員5人が民事訴訟で責任を問われることになった。ほぼ予想通りの展開になったのは驚きだ。今迄の報道で会社ぐるみの不正が明らかになったので歴代社長の責任は当然だろう。東芝の意向を受けた調査委員会という批判もあるが新たに判明した事実もある。

調査対象の元役員98人のうち14人が不正に関与し、法的な責任は5人に絞り込んだと報じられている。私は14人のうち5人と残りを分ける線が何か、更に98人内の14人の線引きが何か知りたい。報告書は会社の経営を統括すべき役員会議の責任を問わないで、業務に直接関わる役員だけに絞り込んだ印象だ。他の役員の責任は問えないのかという声(日本経済新聞11/10)は当然だと思う。

法的な責任を問い対外的に象徴的な「けじめ」をつけるという点では多分これでいいのかもしれない。だが、東芝は会社組織として継続して活動し、他の会社や顧客の信頼を取り戻し立て直していかなければならない。会社ぐるみの不正が明らかになった後、不正に関わった上司や同僚が今迄のように一緒に働けるか、不正な取引を強要された取引先とどう付き合うのか。5悪人だけ処分しても、組織としての「けじめ」や取引先との「けじめ」が付いたわけではない。

私が最も興味があるのはこの実行レベルの「けじめ」だ。報道では東芝社内では深串副社長(パソコン担当)など複数の事業責任者が会計不正の懸念を社長に直言したという。だが、彼等事業責任者は社長に押し切られ結局のところ部下に不正を強いたはずで、部下は部下で不正を実行したはずだ。問題提起しましたから罪はありませんなんていう論理は通用しない、申し訳ないけど不正に手を染めた実行犯だ。彼等が実行犯の責を逃れるためにはエンロンの会計責任者のように内部告発するしかなかったと私は思う。

東芝トップの民事訴訟に続いて社内的な処分がどうなるかとても気になる。上記のように心情的にも不正に関わった人達をそのままにしてはおけないが、残された人達で組織を機能させる為には当該事業を熟知する専門家が絶対に必要だ。東芝の新しい組織の責任者は人材をどう振り分けて活性化するか悩みに悩むだろう。私は社内的にも象徴的な人事で「けじめ」をつけ、その後は福島原発事故みたいに”公正委員会”が作った新ルールを遵守して「皆で頑張ろう」しかないと思う。関わった者全員を左遷するわけにはいかない。                                     

不祥事が相次いだ東洋タイヤは幸いにも事業の8割を占めるタイヤに不正はなかったとされる。経営幹部の不適切な処置があったがそれは事業の2割の話で、これからは8割に集中して頑張りますといえば理屈は通る。ところが、東芝のように会社ぐるみの不正でリンゴの芯から果実まで腐っていたとみなされると難しい。マスコミのありきたりな論調を借りて言うと、東芝新経営陣の手腕が問われることになる。■
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雰囲気を変える男

2015-11-11 22:43:19 | 日記
いるだけで場の雰囲気を変えてしまう人がいる。政治の世界だけでなく、ビジネスやスポーツでもそういう場面を見聞きしたことがある。会社勤め時代に仕えたある上司が部屋に入って来ると、一瞬にして職場に緊張が走った。同席した海外の打合せの席でもそうだった。最近ではブラジルW杯のコートジボワール戦でドロクバが交代で入ると、素人目にも戦いの様相が一変し日本は重要な試合に敗れた記憶が鮮明に残っている。

昨日、何とこの私が「雰囲気を変えた」と言われた。この夏田舎にいた時ママさんのバドミントンクラブの練習に週3日のペースで参加して体調が良くなった。帰京後、土曜日に活動する所属クラブのリーダーにお願いして、平日活動するママさんクラブを紹介して貰い昨日の午前中練習に参加した。体育館のコートには若い女性に混じって30年前頃に一緒にプレーした見覚えのある顔ぶれが数人いた。

旧知の彼女達は私と同じ年代だが元気だった。昔は同じレベルで戦うことなどないと思ったのに、昨日やってみると私の方が動けず足を引っ張った。ある程度そういう覚悟はしていたが、現実にそんな羽目になるとショックだった。だが、この数年運動能力の低下を「減らず口」で補ってきた私は全くへこまなかった。

彼女達に何を言えば受けるか大体分かっている。若いメンバーが知らないけど昔はこうだったとか、場違いに派手な色のユニフォームを来たオバサン(昔はルールで白と決まっていた)を見て色気を絡めてからかったりして笑いをとり、参加1時間足らずで私は昔からいるメンバーみたいになった。彼女達も遠慮なく私をやっつけた。

その時、私と同い年のオバサン(と言っても元気溌剌で若々しい)が、私が来てクラブの「雰囲気が変わった」と言った。たった1時間余りなのに。その前の雰囲気がどうだったかよく知らない。想像するに、楽しみとはいえ少しでも上手くなりたいと生真面目に練習する、無駄口を叩いたりせず、ましてや冗談連発したりなどしない、といった雰囲気だったと思う。

男性も3、4人いたが皆黙って練習に集中している感じで、ゲームの合間も寡黙だった。メンバーの多くが地域の大会に参加したり、公式戦に出場しそうな感じだった。そんな中で私がオチャラケ連発するのだから雰囲気が一変してしまったのは間違いない。それでも誰も嫌な顔をしたようには感じなかったし、今後続けて参加したいというとリーダーは了解してくれたから多分大丈夫なんだろう。

朝一でいつもの様に血圧を測定すると110-70台に下がっていた。スポーツの中でも瞬発力と持続力の両方を必要とするバドミントンの効果は大きい。昼食前にいつもの散歩に出掛け競馬場の横を通って遊歩道に出ると、昨日練習した同い年のオバサンに出会った。ピンクのジャージーにバドミントンにしては長めのラケット姿で、聞くと今日はグランドゴルフだという。日本のオバサンは元気だ。■
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