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かぶれの世界(新)

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田んぼの変遷

2021-06-12 21:37:30 | 日記・エッセイ・コラム
1週間余り前から実家の周辺の見渡す限り田んぼの風景が一斉に変わった。短期間に田んぼが耕され、水が引き込まれ、田植えされた。その間毎日散歩したが一二度農機具が動いているのを見ただけ。それ以外に田んぼに農夫の姿を一度も見なかった。農夫がいないのに田植えが終わった!

子供の頃は川の上流から引いた水を順番に田んぼに流し込み、集落の人が集まって田植えをする。並行して微妙に高さを調整した下流の田んぼに水を流し込み田植えの準備をする。田んぼの片側には傾きを逆にして田んぼの水を上流に逆流させ川に戻す溝があった。機械が田植えの風景を変えた。

実はその風景は大洲盆地の中でも地域によって異なる。実家から見て3つの領域に分けると変化の時間軸が見えてきて分かり易い。北側の山裾のある集落から表通りまでの狭い地区Aは、昔からの農家に接する田畑だった。数年前頃から農家が高齢化し稲作を諦め耕作放棄地になったようだ。

表通りから散歩道の矢落川までの地区Bは殆どが田んぼで、ここが上記の短期間に田植えが終わって驚いた所だ。土地の持ち主は高齢化で農作業できず、農機具の持ち主に依頼して稲作を続けている。私のように「農地バンク」制度を利用して、専業農家に稲作を依頼していると推測する。

川から南側の山裾までの広い地区Cはかつて全て田んぼだったが、この50年の間に高速道路が走り並行して国道沿いは新興商店街が連なっている。地区Cは一気に田植えした地区Bとは異なり田植え準備中、田植え済、地目変更中、畑に転作とバラバラで、子供の頃見た風景とは全く異なる。地区Bも国道が走っていたら同じ風景になった可能性がある。

他にも子供の頃見た風景と違うのは、燕を全く見かけなくなった一方で川辺に鴨が来るようになった。トンボや蝶等の昆虫が数匹程度しか見かけない、蛍は全くいなくなったのはとても残念だ。田植えの時期は1日中集落に鳴り響いたカエルの鳴き声が聞こえなくなった。農薬が原因かどうか分からないが、大きくは田んぼの在り方の変化ではないかと思う。■
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体力の衰えにあらがう年配者の言葉

2021-06-11 21:10:14 | スポーツ
今朝がた義弟から電話を受けた。介護施設に入居中の母君を見舞いに帰郷したが、今回も面接は出来ないので1週間余りで帰阪予定だという。その後、珍しく彼の嘆き節が始まった。久し振りにゴルフをやったら体力低下が半端なく、まともにスィング出来ずゴルフにならなかったという。

彼は私より2歳年下で若い頃からゴルフにはまり、アマチュアとしては結構なスコアで回っていたとよく聞いた。仕事上の付き合いでイヤイヤやった私と違い、彼は仕事をやめてもずっとゴルフ大好き人間だった。なので、彼のショックの大きさは想像できた。

怪我に起因する体力低下で趣味のバドミントンが出来なくなり、この数年何とか復帰したいと運動能力低下にあらがい、負け続けてきた私は出来るだけ助言してやりたかった。助言と言っても何とか老化に打ち勝つべく、負けても負けても諦めず頑張るしかないと。それは心が折れる戦いだ。

決して勝てない戦いだ。だが、経験では諦めた時から急速に体力の劣化が倍増する。人により差はあるが怪我する前の状態まで回復しなくなる時が来る、更にある時から回復どころか劣化が加速する様になる。年齢とともに劣化するのは宿命であり、如何に劣化速度を遅くするかの戦いだ。

今日も午前中にバドミントンの練習に参加した。正に私的「老齢化にあらがう」作業だ。悟った様なことをいう私だが、今日も上手く行かない失敗と失望の日だった。モチロン、それでもやめる積りはない。練習の後、40歳前後の男性で膝を痛めたという男性の話を聞いた。

彼は私から見ると瞬間的な動きやプレイスメントが二桁も格上で、ママさんクラブでは手を抜いて相手になってくれた。しかも、膝を痛めているのに奥さんに頼まれて練習に来たという。膝周りの筋肉強化はスクワットの他に捻りなどを加えて補強した方がいいと助言した。

彼の年齢は体力の劣化が始まる頃で、怪我がきっかけで一線から引いたという例をよく聞く。医者の助言は膝の負担を減らす為もっと痩せろと言われただけという。スポーツドクターならずっと運動を続けるためにもっと違った助言をしてくれると思った。モチロン、私が適任ではない。■
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為にする批判 やっぱり報道方針変更

2021-06-09 21:53:46 | ニュース
米国務省は日本への渡航警戒レベルを4段階で最も高い「渡航中止」から「渡航を再検討」のレベル3に下げた。先月「渡航中止」に引き上げた時、マスコミは東京五輪中止の結論ありきで米国の決定を大騒ぎで利用する「為にする批判」だと先月26日に指摘した。

昨日「渡航を再検討」のレベル3に下げたと報じられた時、マスコミは都合の悪い事実はスルーするだろうと思っていた。そしてその通りになった。私は退職後20年弱の間マスコミ報道を見て来て、自社の報道にとって都合の悪いニュースを流さないか、巧妙に方向を変えた報道を何度か見た。

昼間のニュース番組を見てると今回は米国務省の決定については一言も引用せず、五輪中止から方針変更し「パブリックビューイング中止」にテーマを変えて騒いでいた。どうも五輪中止をメインテーマで報道するのはマズイと方針変更したようだ。

視聴者は「あれっ、五輪中止はどこへ行ったのか」と思わないのだろうか。何故断りなく方針変更したのか、黙ってこっそりやればマスコミ不信を招くことにならないか。ワクチン接種が急速に進み始めて世論が変わりそうだと考えた結果のように感じる。

私のマスコミ批判とは朝と昼のテレビのニュースバラエティ番組と、新聞及びネット情報を比較評価したものだ。ニュースバラエティが世論調査に影響している印象があり、しつこくて申し訳ないがマスコミ批判をした。こんな軽い世論調査結果で良いのかという気持ちだ。■
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バラの名前

2021-06-07 22:10:59 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午後、庭の手入れ中に誤ってバラの花が咲いている枝を切ってしまった。濃いピンク色の花びらが満員電車みたいにひしめき合っている感じのバラで、母が植えたもので名前は知らなかった。もったいないのでガラスの小瓶に入れて台所のテーブルに置いた。

すると殺風景な部屋のなかでたった一輪のピンクのバラが美しく輝くように見えた。緑色の葉まで美しく見えた。部屋を移動するたびにずっと目に届くところにおいて眺めた。夜になり寝る前にご先祖様にも見せて喜んで貰いたいと思い、居間の隣にある仏壇の花の横に置いた。

ところが、今朝起きて仏壇を見るとバラの花の中央部の色が少し萎れ花びらが2‐3枚落ちていた。エッ、たった一晩でこんなになるのと思った。外に出て庭のバラの木をチェックしたが、残りの花は変わりなく美しかった。訳も分からず取り敢えず東屋のテーブルの上に置いて外気に晒した。

午後になって東屋をチェックするとバラは更に色が褪せ花びらが数枚落ちていた。私は花の手入れなんて全く知恵がない、特に生け花も。部屋に飾ったバラが余りにも美しかった、仏壇がいけなかったのだろうか。この散文を書く前に調べるとバラの名前は「ロサ・ダマスケナ」というらしい。■
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尾身氏は専門家として正しい

2021-06-06 21:31:37 | ニュース
コロナウィルス感染症対策分科会の尾身会長の国会発言が連日マスコミを賑わしている。尾身氏は東京五輪は「普通ならやる状況にない」と答弁し、翌4日には観客の移動や海外からの大会関係者の感染リスクについて懸念を示したと報じられた。

尾身氏は従来曖昧な発言をしてきた印象があり、周りには突然変身したように感じて驚かせたように私は感じる。だが、今回尾身氏が東京五輪開催の感染症リスクを指摘するのは、政府に助言する資格のある唯一のコロナ感染症の専門家として正しいと思った。

昨春以来テレビで見かけた「専門家」という人達も私見(自分の信じる意見)をテレビで開陳して来た。テレビのニュースはその時々の状況に合わせて都合よく専門家を利用して取り換え引っ換え意見を言わせてきたと私は思う。そのような扱いを受けると何を言おうと影響力は限られる。

だからこそ尾身氏の「真の専門家」としての発言は重要であると考える。一方、彼の発言はあくまでも感染症の専門家としての発言である、言い換えると官房長官がよくいうところの「総合的な判断」ではない。

最終決定は各種専門家の意見を文字通り総合した判断でなければならない。専門家の意見はその道の最も優れたものであることが期待される。マスコミは尾身氏の意見を重点的に報じ、視聴者の多くはその意見しか聞かないから、どうしても一方的な見方になる恐れがある。

だが見方を変えると違う風景が見える。例えば時折指摘するようにワクチン接種が最も進み感染が劇的に減ったという英国は、今でも人口比日本の倍以上の感染があるという。だが医療崩壊とは報じられない。そういうことは尾身氏は触れないし、マスコミもスルーする。チョット変だ。

もう一つ皮肉な例を示す。最近報じられた2020年人口動態統計によると、死者数は137万2648人で前年比8445人減った。つまりコロナ禍でも日本の死者数が減り寿命が伸びた。その中でコロナ死者数が3466人の一方、肺炎死者数が1万7073人だった。何が大事か迷う。

その他にもコロナ死者数より関連して自殺者数が増えているのは無視できない。モチロン、航空会社とか観光業、飲食業界等のサービス業界が受けたコロナの影響も極めて大きい。その中で尾身氏が渾身を込めて狭くとも自分の得意な分野で最高の意見を出せば専門家として正しい。相も変わらず天邪鬼な物言いでした。■
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