八十路徒然なるままに

かくて明けゆく空のけしき、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへめずらしき心ちぞする。徒然草より

避難して二日目

2016年03月17日 20時01分03秒 | Weblog
原発事故で、福島に厄介になった翌日、三月十六日、車の燃料補給で、ガソリンスタンドを探してみたが、駄目だった。雪空から、吹雪いて寒い。車の列に並んでみたが、エンジンを切って、燃料を節約したので、車の中でも、防寒対策をしていた。結局、並ぶのは、無駄だった。その後は終日、テレビの放映を見ていた。掲載の画像は、先日、NHKテレビで放映があったもの。避難先で見ていたのは、原発建屋が、爆発で、噴煙が立ち上るのだった。爆発の実況映像には、驚いた。安全神話を、聞いていたので、まさか、まさかだった。当時、いわき市は、市独自の判断で、30キロ圏内を、避難をさせた。当時、政府からは、屋内退避の指示だつた。避難の恐怖は、今も忘れてはいない。当時、いわき市の市街地は、車も人も、消えていた。当時の福島市は、車の往来もあり、人の行き来もあった。普通の生活のように思えた。実際は、放射線は、風向きの関係で、いわきより、線量の値が多かったようだ。
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