今年も咲いた。年々歳々花相似たりというが、水やりしかしていないが、毎年咲いている。病に倒れる前のばあちゃんが、手入れをしていた。先日、日向ぼっこのついでに、見せたが、ちらっと見ただけ。もう、記憶にないのかも。「年々歳々花相似たり」の後段は、「歳々年々人同じからず」という。ばあちゃんも、一年一年、体は衰えている。苦しんで、この世を去るのか。枯れ木の枯れるように、静かに去るのか。早かれ遅かれ、その時がくる。それまでは、延命させる手だてだけはする。「親孝行、したいときには、親はなし」ということもある。「親孝行、するもしないも、金次第」ということもある。ばあちゃんが、この世を去る時は、ばあちゃんは笑って、周りの人は、涙を流す。こんな情景になることを、願っている。
前日は、避難先から戻った。記憶をたどれば、街中の様子を見に行った。車の往来は、普段通りのようだった。人の行き来は、まったくない。町はずれにも行ったが、人影は全くない。海岸添えの、取引先の様子も気がかり、しかし、幹線道しか走れなかった。津波に襲われ、破壊されている。画像は、原発事故から、11日目の、三月21日の、市役所からの、お知らせの表題。一件につき、35枚、八件計、280枚コピーするので、小一時間かかった。ホッチキスで留めて、配布して歩いた。画像の左側の、放射能測定値をみて、体に取り入ってしまったら、どんな症状になるのか。体のどこが痛くなるのかなぁ、くらいしか考えていなかった。配布したある家では、「放射能は、どっからくんのかぁ」と、聞かれた。今となっては、笑い話だ。放射能に汚染された水を入れたタンクの、多さを、除染した土を入れた袋が、山積みしてあるのを、テレビで見ている。