五年前の今日、三月十五日は、福島の妹のところに、避難をして世話になった。当時、福島では、電気が使えるようになったから、来るようにと。食料品はスーパーには、ほとんど無くなった。避難するには、介護中のばあちゃんの物が多い。車いす、ポータブルトイレ、介護用のマット、おむつ用品、着替えのもの、食べ物など、車に積んだ。仕事で使っていたハイエースバンの後部座席を、取り外して広くして、身の回りの物もつめこんだ。乗用車では、とうてい無理だった。あの時は、避難をしなくてはならないと、いち早く逃れることだけだった。原発の建屋が、爆発するのを、はるか遠いことだと、見ていた。まさかと思いながら、放射線への恐怖をかんじた。もう二度と、原発事故が、無いことを願っている。