先日、常磐自動車道路を北上した。表示版に、この地点の放射線量が、0.1マイクロシーベルトと、あった。福島第一原発から、確かではないが、ほぼ20数キロになるとおもう。原発立地の地区を通過した地点では、3.0とも、表示があった。走り抜けるだけなので、そおかぁと、見ていた。平常時の自然界には、0.04マイクロシーベルトの放射線があった。この値は、原発事故があった時、福島県内各地方、環境放射能測定値報に記載されている。添え書きには、胃の✕線集団検診1回当たりの放射線量は、600マイクロシーベルトと、書いてあった。当時の、いわき市の3月21日の、測定値は、5.04と、報じていた。当時の三月十五日の午前四時は、23.72マイクロシーベルトを観測したと、報じている。福島第一原発から、南南西、約43キロの地点。生活するには、何の問題もない。画像は、前方にも、後方にも、早朝なのでか、今のコロナのことなのか、走行する車はなかった。デジカメを胸にぶら下げ、固定して、連写をした。画面に、うまく収まったのは、この一枚だけだった。
福島第二原発は、廃炉が確定したとある。原発建屋の大きさは、第一が、高さが約59m。第二は、、約76mとある。原子炉格納容器の大きさも、使っていた燃料も、第二の方は、格段に多い。廃炉完了までは、40年を超えるという。いやはや、大したことだぁなぁ。第一原発が運転を開始したのが、1971年[昭和46年]、以後、約29年間にわたり、関東圏へ、電気を供給したとある。
「廃炉を知る」、3月15日号が、配布になった。過酷事故になつた、福島第一原発の、1号機、2号機、3号機は、まだまだ、不安の状態のようだ。放射線量は、2号機は、「内部調査で、予想より放射線量が、低いので、燃料デブリの取り出しを、始める」とある。1号機は、放射線量が、極めて高い。2号機は、放射線量が、比較的高い。燃料デブリの状態は、調査中とある。工法の検討を進めるとある。現在のままの状態から、廃炉のための工程が進まるのを願うだけしかない。もしも、燃料デブリの取り出すまでの間に、過酷な状況になれば、避難ということに、なりかねない。市外への避難を指示という状態は、「市内の線量が、毎時20マイクロシーベルトを超える状況が、24時間以上継続」と、いわき市からの広報にある。避難先は、基本経路で、135km先の、茨城県の守谷市守谷高校になる。こんなことにならないよう、願っている。