神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

退屈な日々を過ごす

2023年07月12日 14時59分37秒 | ライフスタイル
夏風邪で気管がやられて熱も出たのに、気候は蒸し暑さと熱中症になるほどの高温、不快指数が高くて今までの疲れが出たらしい。

微熱が5日、咳が5日続いて、こんな長い期間の不調は初めてだ
それでも二度医院に行き、それぞれの薬をもらって体がだいぶ楽になって来た

薬のせいなのか21時になると眠くなる
夕方、畑に水を撒いて、ちょっと葉を整えたり、野菜のチェックをしていると汗まみれになる。
それでシャワーで体を洗ってから夕飯を食べるので、いつ寝ても問題はない
咳が出るので人混みに出るのは控えるが、どこが悪いわけではないのでいろいろやっている
但し、暑い中の散歩や、長時間の畑作業はできない
結局、幕下からの相撲を見たり、ブログチェックで長い時間を潰している

眠い時に寝るのが一番気持ちよい、無理に寝ようとしても快眠は得られない
明日は8時からメジャーのオールスターがあるので、早寝するのも悪くない

毎朝行動はルーティン化された
まずはベランダのカーテンと戸を開けて網戸にして風を入れる
仏壇から、お供えのご飯を下げて、それを水でほぐして畑の隅に撒いてやる
10分くらいたつと、ちゅん太たちが食事にやってくる

私は、お供えの器を洗って、炊き立てのご飯を盛って、二つの仏壇に供える
花と水も入れ替えて、それから合掌
そして自分の朝食のおかずと、全員の一日の味噌汁(スープ)を作って食べる(一人で)それから薬を飲む。

あとは新聞を読んで自分の部屋に入る、あとはエンジェルスの試合が始まるまで自由時間、たいがいは畑のチェックをしてなりものを収穫する
今朝はキューリ4本、トマト1ケ、ナス4ケだった
キューリの一本を葉の陰で見逃していたので、30cmにもなった超特大のキューリがとれて、その使い道に苦労している。

今日の昼食
キューリもだぶつき気味になったので、積極的に使う
キューリがこれほど獲れるとは思わなかった、一株で良かった

ナスの素揚げ トマトとキューリのオリーブオイル漬け 冷やしそうめん



4日目まで 関脇三羽ガラス9勝3敗 新入幕三羽ガラス10勝2敗












正反対の人生を体験

2023年06月25日 07時00分46秒 | ライフスタイル
エンジェルス ホームランが出やすいという標高1600mのロッキーズのホームで3番トラウト、4番ドルーリー、5番サイスが合計4球で3者連続ホームラン
打者一巡の大谷は3回で3打席目、ノーヒットは大谷だけだったが渋いタイムリーヒットで先発全員安打達成、これで7-0 アンダーソン降板。
しかし1イニング2打席目のトラウトは四球で満塁、ドルーリーもヒットで9-0
ドルーリー1イニング2安打3打点、サイスは四球でまた満塁
イニング13人目のレンフローが二塁打で12-0 レッズから移籍いきなり出場のエスコバーがタイムリーで13-0、15人目のモニアックが2ランホーマーで15-0
この回、4本目のホームラン、一イニング13点
帰って来たフレッチャーは先制2点タイムリーで2回に口火を切った、そのフレッチャーが16人目でようやく3回は終わった。


日記の一行転記作業もついに結婚前夜までやって来た
14歳の日記から始まって、今は27歳になっているから転記も14年目に入ったのだ、70歳まで続けるとして(今も日記は書き続けているから)残りは44年分
ようやく20%程度を書き写した。
はたして年内に終わるだろうか?

結婚したのは4月だったが、その年の秋、私は婿らしく女房殿の実家(農家兼会社員)へ稲刈りの手伝いに行った。
もちろん料理人と魚屋以外の仕事は初めてだった。 女房殿の家は当時6反歩(1800坪)米造りをやっていて村では中サイズの田んぼである。
機械化が進む中でも珍しく手作業一本やりで、屋内(やうち)という隣近所の親戚並みの人たちが互いに助け合うシステムで数人が手伝いに来てくれていた。
私もそこに混じって鎌を手に見よう見まねで稲を刈った。

ようやく要領がわかって調子が出てきて面白くなったら「昼飯だ」ということで午前の部はお終い、家に戻って(近い)昼飯のおにぎりを食ったら昼寝だ
私は店でも昼寝をしたことが無いので、戸惑ったが1時間以上皆さんは寝ていた。
午後の部が始まり、私だけ何かに追われるように急いで仕事をしているが、皆さんは悠然と作業を急ぐ風もなく、しかし同じペースで作業している。
そしてまた「休憩だ」と土手に腰を下ろして一服、遅々として進まない
(こんなんでいいのだろうか)毎日、分単位で緊張が続く料理作りの感覚ではこのペースは信じられない


内心(もっと早く動けば、早く終わるのに)と思った。
あとから思えば、それはいつも時間に追われている料理人の考えで、農業は正反対の作業理論がある。
わかりやすく言えば料理人は100m競争の選手、農家はマラソンどころか100km、200kmを歩き続けるトレイルレーサーなのである。
時間との勝負は同じだが、短時間にエネルギーを集中させる調理人、時間配分、ペース配分を考えて急ぐ部分と休む部分を作る農作業
昼までに100人前作る料理人と、植え付けから収穫まで半年かける米造りは全く違った作業なのだ。

今、畑つくりを始めて見て改めて農作業の心がわかって来た
のんびりしながらも、雑草取り、肥料、害虫退治、病気予防、水まきなど日々の目立たない作業をしている。
農業は静、調理は動という正反対の作業を体験している
やって見て調理は目の前の美を作る仕事、農業は大空の下で自然相手におこなうダイナミックな世界、それを感じた。

昔、うつ病になった調理仲間が仕事を辞めて引きこもりになったが、数年後に同じ村の建設会社の社長が気にして、彼を雇用して単調な穴掘り手作業をさせていたら、いつの間にか彼のうつ病は治った。
自然の下で急がず、自分でペース配分を考え、周りからのプレッシャーもない、一人の世界で何かを思いながらの作業が彼を再生させたのだろう。

私も今、慌ただしい商業の世界から落ちこぼれて、私の心が求めるままに天の意思に任せて始めた畑作業、はじめてゆっくりと広々とした様々な景色が見えてきたのだった。



毎日が日曜日・・ でもありません

2023年06月22日 17時19分54秒 | ライフスタイル
仕事を辞めれば毎日が日曜日
それは今年の春になるまでの1年4か月はそう思っていたのだが、今年は春から忙しい、なんといっても畑を始めたのが最大の原因だ。

1年4か月、様子がわからずおとなしくしていたが、やはり虫が起きてくる
ただ持つべきもの(友と収入)が少なくなった分、回数的にも大幅に減ったけれど、そこは頭を使っていかに自分の好奇心を満足させるか勝負だ。

小さな畑だが水やりは欠かせないし、蔓物を始めたために交通整理も必要、これからは害虫や病気とも向かい合わなければならないし、交配もさせなければならない
ただ交配は面倒なので、オープンにしてあるから自然に任せようかと思っている、小さな蜂も最近見かけるし、何とかなるのでは
殺虫剤など使うと、害虫だけでなく蜂などにも影響があるからピンポイント攻撃が必要だ。

野菜も良いが、やはり人恋しい
かっての大きなボランティア団体は、やむ負えず脱会したが、小さなボランティアグループに入会申し込みを出した
メンバーは5名で、全て女性のグループ、こういったグループが居心地が良い
大きなボランティアでも仲良くしてもらった他地域のメンバーからはたまにお誘いがかかり、はるばる出かけることもある
「yottinさんが居ないとやっぱりつまんないわ、なんとかならんの」なんて言ってくれる
小さなグループも1年に1~2回は他地域の小さなグループとの交流があるから、その時、大きな団体とも交流できるかもしれない
ともあれ、何かをしていないと心が折れる、自分が必要ない人間であるかのような錯覚に陥ることもある
だが、同じ目的をっもつ仲間と交流できれば、それは吹っ飛ぶ

そんなわけで結構今年のyottinは忙しいのだ
朝、起きたい時間に起きて良いのが嬉しい、朝だけは毎日が日曜日だ
おっと! そうはさせまいと「ちゅんた」たちが5時を過ぎると一斉に私を呼ぶ「起きろ起きろ」

私の朝は仏壇のご飯を取り換えることから始まる、我が家には仏壇が二つある
我が家のと女房殿の両親の仏壇だ、なんかおかしな気もするが、今の時代、これが普通なのかもしれない、夫婦は同等なのだから。

二つの仏壇のお下がりを、以前は廃棄していたが、今はちゅんた一族の命をつないでいる
「フーテンの寅ネコ」はGWに去って行って以来、もう2か月近く帰ってこないから、新たな生き物との交流を始めたと言うわけだ

毎週1回はドライブの日だし、「毎日が日曜日」とはいかないのだ
そして、そんな忙しい日々の方がyottinには、お似合いなのさ!

今日の収穫、初ナスです









昨日の生活振り返る

2023年05月31日 08時53分26秒 | ライフスタイル
何の変哲もない日常だが、振り返ってみた

朝7時に起きた、それまでは5時に目が空けば5時に起きて畑をかまったりしていて、結局睡眠不足で体調不良していた
それで5時でも6時でも目が覚めても、寝ようが寝まいが7時まではベッドから出ないときめたのだ。
おかげで二度寝したり、リラックスして体調は良くなった。

7時に起きて顔を洗い、歯磨きは5~10分かけて、新聞を読みながら磨くか、庭にきているちゅん太家族を見ながら磨く
そのあと毎朝のお決まり、今日一日分の全員の味噌汁(今日は中華スープ)を作って、それからハム3枚入りの目玉焼き、にんにくの芽(つーくんにもらった)と炒り卵の炒め物、これと白菜漬けが自作の朝食、一人で食べる。

その後は居間でコーヒーを飲みながら、新聞を読んで(ほとんど流し読みだが)、撮りためたテレビドラマを3本見ながらエンジェルスの試合も同時に見る、その後ブログをチェックしてから散歩がてら手紙を出しに行き、銀行へ寄って帰宅したが、途中近所で家を建てている大工の頭領に会って立ち話
この棟梁は私より一歳下でボランティアの仲間だった人。
この町でも田舎の山間部の育ちで、日本酒が好きな頑固な人、まさに職人なのだ、そのかわり真面目で手抜きは一切しない、仕事にプライドを持っている
2x4の大手企業に仕事を奪われる旧来の職人工務店は仕事が無いと嘆く中で、この棟梁は1年中、隙間なく仕事が入っている。

投函した手紙は、新潟市の私が修行した割烹Aの社長に出したものだ
私が18歳11か月で入社した日の1か月前に生まれたのが、今の社長だ、だから私にとって息子同然なのだが、彼ももう50歳を過ぎた。
私が仕えた当時の社長(親方)の孫になる
日記の整理をしていることは度々書いているが、この修業時代にも到達して、その中に大晦日の夜、店員はみんな大晦日の夜と正月を家で過ごすため帰宅したが、家が遠い私だけ帰らずにいたら、親方が「それなら親父と飲もう」と二人でさしつさされつ無礼講で飲み、21歳だった私は酔った勢いで親方の長女と結婚したい(一方的な思いだが)と絡んだのだった、私より6歳年上のバツイチだったが
親方は顔色も変えずに「そうけ だったら婿に入ってくれるか?」と来たもんだ、私も家を継ぐ身だ、すぐに目が覚めて口をつぐんだ

その時、親方が自分が料理を志したいきさつから、21歳で開業するまでを話してくれた、それが日記に書いてあったので懐かしく
それをそっくり孫の今の社長に書き送ったのだ、今どきの人はあまり親だの祖父だの先祖だのの生き方に興味は持たないようだから、無駄ごとかもしれないが、もう縁が切れかかっているが、私にとっては第二の我が家であるこの店と細くともパイプは残しておきたいのだ。
入社時の同期生5名、親方、奥さん、女将さん(前出の長女)、料理長、先輩2名の11名中、生きているのは私と同期1名、先輩1名の3人だけだ
他は50歳から72歳の間に亡くなり、親方は80過ぎまで生きたが、あとはみんななぜか早死にした。

1時に昼食として生ラーメンで塩ラーメンを作って食べた、温野菜の野菜ラーメンはなかなか旨かった、ラーメンも今や1000円前後になり、餃子と合わせれば千ニ三百円になる、年金暮らしになった私はラーメンは自分でより専門店に近い品にしてなんとか300円くらいで上げるようにしている。

その後、畑のネットとから揚げ用の宮崎産鶏ももを4㎏買ってきて、これはから揚げが好きな次男坊用で下ごしらえしておいて、帰宅するとあげてやるのだ
10年くらい前からKFCの4ピースを買っていたが当初780円くらいだったが1000円を超えて、今の値段は知らない
これもまた手作りで安く上げようという涙ぐましい努力なのだ、中型5ピースで200円くらいで出来る、味付けはレベルが下でもおいしくできる、1回1000円近く倹約できるから多少の努力は必要だ
むしろ私の場合、調理そのものが好きだからこの位は朝飯前だ、揚げたてを週一帰宅の息子は喜んで食べる、その姿がまた嬉しい。

新しい生活パターンとして今月から昼寝もするようになった、だいたい2時半ころから1時間くらいだが、だいたい4時になる
家の裏には桑いちごの木があって、今が完熟の時だ、ほおっておくと、ちゅん太たちにみんな食べられてしまうし、地面に落ちてしまう
だから手が届く範囲は私の物、高いところはちゅん太のものとすみわけしている。

今日は200gくらいとって、ジャムを作った。 プチプチ食感と独特の甘みがなんとも言えない、一度か二度で消費する量だから冷凍保存などはしない
昼の食パンの御供で終わってしまう。
手が真っ赤になって、洗ってもなかなか落ちない、子供の頃はおやつ代わりに食べたものだ。

夕方6時は夕食時間だが、雨が上がったので南瓜とトマトの周りをマルチで囲う作業を30分ほど行った、鳥害や虫害を軽減するためだ
南瓜の葉と花が一株食べられてしまたので急いで対策した、市販の殺虫剤も初めて撒いた。
キュウリを見たら、一昨日まで小指大だったのが、一本は手のひらサイズまで大きくなっていた、たった2日でこんなに大きくなるものなのか、驚いた。
追肥しておいた。
夕食を食べてから、昼過ぎに届いた「ビートルズ64年65年のアルバムCD」と「スタンダードジャズ全集」の一部を聞いた
ビートルズのレコードは全部持っているが、車で聞いたり、家で聞くにしても手間がいらないCDが簡単で良い
明るい時間はビートルズ、夜はウィスキーをロックで軽く飲みながらジャズを聴くことにした。
結婚後数年はこれですっかり呑み助になってしまったのだった、今はもう、それほど飲みたいとも思わなくなった
ほろ酔いで寝れたら気持ちいいね。













yottinの日常

2023年05月25日 08時14分23秒 | ライフスタイル
日常なんてありふれた変化のない暮らし
現役時代のように人に会うこともなくなり、人に会いたければこちらから出かけなければならない
たいがいの人は、同年代であれば私同様に規則正しい日常を送っており、そうでない人は仕事に追われている
結局、出かけると言ってもなかなかこちらの都合通りにはいかない

なんの変化もない日常生活は、それなりに楽しいもので、現役時代には考えもしなかった景色が広がっている
現役時代の日常は、毎日魚と調理の連続だった、毎日多くの人と会い、ほとんど家にはいない日常
それが、ほとんどの時間を家の中で過ごすようになって、いささか退屈したのだが、土いじりを始めて、それは解消された。

土いじりは、それなりに体を使うし、頭もあれこれと回りだす
まだ収穫はないが、収穫の喜びはひとしおなんだろうな、ハマるかもしれない


日常の風景

















関脇対戦+横綱+大関 13日目まで


霧馬山-豊昇龍 霧馬山〇-★若元春 霧馬山〇-★大栄翔   2-0 11-2

豊昇龍-霧馬山 豊昇龍★-若元春  豊昇龍★-〇大栄翔   0-2 8-4

大栄翔〇-★朝昇龍  大栄翔-若元春 大栄翔★-〇霧馬山  1-1 8-5

若元春〇-★朝昇龍 若元春★-〇霧馬山 若元春-大栄翔   1-1 9-4

照ノ富士 12-1 〇豊昇龍 〇若元春 貴景勝 霧馬山

貴景勝  8-5 〇大栄翔 ★霧馬山 照ノ富士 若元春 





なんか調子悪くて

2023年05月22日 15時26分29秒 | ライフスタイル
日が長くなり5時半前には目が覚めるようになった
それで起きっぱなに庭畑の世話を始めるようになった
ところが、ここ2~3日というもの体が不調、どこがどうではないが、なんか気力なく、調子が良くない。

23時ころ寝て、5時半起きだが、夜に何度か目が覚めて前のように熟睡できなくなったのが原因のようである。
それで今朝は5時すぎに目が覚めたけど、ベッドから出るのをやめた

そういえば5時ころから大谷先発のエンジェルス戦があるのを思い出してテレビをつけた、ちょうど始まったばかり
寝ながらテレビを見るのもなんか目が回りそうだから、目を閉じてテレビを見ずにラジオのように聞いていたが、半分起きて半分寝ているような感じ
「ああ、これも悪くないな」と思いながら(これからは早く目が覚めても7時まではベッドから出ないでおこう)と決めたのだ。

おかげさまで今日は少しは楽で、7時から庭畑をかまって、8時に朝食を食べた
久しぶりに大好物の「なめこと豆腐のおぼろ汁」を作った
甘口の越中醤油が合う


昼はラーメンを作り、トーストと一緒に食べた、ミスマッチだが案外うまかった。
長形切のベーコンハムを買って、マーガリンで炒めて具にした、生めんを茹でるからやはり美味しい
食欲だけは旺盛だから、なかなか67㎏台から落ちなくなった。




生きがい発見

2023年05月10日 19時38分14秒 | ライフスタイル
今日も朝から快晴で、7時から10坪庭に出て野菜の苗の世話をしていた
すると目が回るような感覚に襲われて「地震?」と思ってベランダを見たら、エモン掛けが揺れている
10数秒揺れている感じ、あとで調べたら震度3で、能登では震度4だった
珠洲市では二百数十戸も家屋に被害が出て住民の生活に影響が出ている
奥能登で暮らす人々の苦難は本当にお気の毒である、政府にも早急に住民の生活を支援してあげてもらいたい。

先日の夜、Aさん宅で「およばれ」したけれど、そこにいた一人といろいろ話をしていて、彼女が地域ボランティアをしているので私も興味をもった
野に下って、しばし途方に暮れていたが、やはり私はボランティアを続けたかったので仲間に入れてもらうことにした。

今日は、そのボランティア作業があると言うので声掛けをしてもらい、メンバーにも紹介してもらった
メンバーは全員女性で6名、そこに私が加わって7人となった
先方も重いものを運ぶとか、男性からの視点でボランティアの幅も広がると歓迎してもらった
今日は老人ホームや障碍者施設に配るプランタンの花の苗の植え付け作業だった

散歩と畑作業以外体を使うことがなくなったので、少しでもこうした作業があるのは楽しいし、ありがたい
また一つ楽しみが増えて、少しずつ昔の生活に近づいて行ける気がする。







GW最後のお楽しみ会

2023年05月06日 13時56分56秒 | ライフスタイル
GWに暇しているなんて学生時代以後55年間一度もなかった
一昨年までは観光および飲食店として、お客様相手に目を回していた側だった
それが180度逆になるとは、まさに「お釈迦様でも気がつくめぇ」である

世の中は明日の日曜までGWである、私にも大先輩84歳のA女史から声がかかった、去年も一度およばれしたが男女7~8名での親睦会
お料理は彼女の色とりどりの手料理だ、ローカル色豊かな地の幸を使ったお料理をお腹いっぱいいただく。

A女史は去年体調を崩して入院手術をした、年齢も年齢なので一気に老け込むのではと心配したが、さすがは「寅女」復活した

私と初めて出会ったのは、かれこれ30年くらい前だろうか
当時彼女は、豊かな階層をターゲットにしている会員制着物販売会社の支店長だった
男勝りの鉄火女の雰囲気があるが、物腰は柔らかく営業力も各支店の中でもトップクラスのやりてだった
自ら着物を着て日本舞踊を踊る師範であり、積極的な怖いもの知らず
私は、そこに惚れ込んで12歳年上の彼女と営業的なお付き合いをさせていただいた、気が合うと言うのか・・・
そんな昔の因縁が、お互い当時の仕事から離れたにもかかわらず、こうしてまだ往来している。

お楽しみの親睦会は明日の夜、彼女の家で開催だ
気軽に話し合える仲間ばかりでの楽しい時間、久しぶりのお楽しみタイムだ




お楽しみの日

2023年05月04日 08時15分33秒 | ライフスタイル
すっかり5坪畑(庭全体は10坪)にハマった、作るのもいいが見ていて飽きない
今日も朝6時から「ぼ~」と立ったままベランダ越しに10分ほど見ていた
さっそく「ちゅん太」が飛来してきて畑の中を歩き回る
この「ちゅん太」(ちゅんた=ちゅんぶとではない)5日くらい前からくるようになり、毎日数回やってくる
草の芽か何かを食べに来るのだろう、梅の木に止まったりシャワーのホースに止まったり、一向に落ち着かない
そして、あっという間に飛び去って行く、動きが早い
最初はスズメと思ったが、大きいし尾も長くて素早い、雀のように群れにならず2~3羽で動いて居る。
今は「ちゅん太」に会うのが楽しみである

さて今日の片道100kmドライブはどこに行こうか?
いつもの2倍くらい時間がかかりそうだ。



英語を話せません

2023年05月02日 09時55分41秒 | ライフスタイル
英語を話せないまま、かといって生活に困るわけでもなく72年間生きてこられました、
今になって思うのです 私が行った外国はすべて黄色人種か薄褐色人種の国
白人の国に旅したことが無い グァム ハワイ オーストラリア
今になって思うのです 英語が話せたら躊躇なく一人で白人の国へ行っただろうと

友達の娘さんが20代 30代で一人で渡米する
なぜそんなことが出来るのか不思議でたまらない
「アメリカは危険だよ まして女の子の一人旅なんてもってのほか」
「おじさんやめてよ いつの時代の話?」

わたしたちも一応 学校で英語は習いました 何の役にも立たない英語だったけど 受験の役にはたったかも
ビートルズが好きで 英語の歌はもう60年近く聞き続けているのです
なのにhearingが全くダメで ちんぷんかんぷん
これは英語に限らず 少し学んだ韓国語 中国語にしても同じです
私の耳はロバの耳なのです

全くわからないのかと言えばそうでもなく
カラオケに行って英語の歌詞を見ながら歌うのはそれほど難しくはない
発音も一応フィリピンのおねえちゃんからは「Good!」と言われるので
フィリピンの平民並みの発音はできているようだ スマホに向かって発声しても80%は通じている

だとして 私の英語力で外人と会話するならどうすればよいか
今 ドナサマーの歌を聴きながら思ったのだけど
私はレコード音楽を音とリズムで聞いていただけで発音も音としか聞いて居なかった 
同じことがあった MLBをずっと見続けていたが投手の投球 それに対する打者の表情 反応ばかり見ていた
でも今日気づいた 見るべきなのは「球筋」だと これが正しい野球の見方だ
野球を制しているのはボール ボールのない場所で野球は成立しない

英語音楽も同じこと 歌手の発音すなわち言葉を聴くべきだった
口から出てくる言葉で会話が成立する 言葉無くして会話はできない
(もちろん筆談や手話も会話だが主ではない)
耳をすませば お経のような英語の中にわかる単語やフレーズが幾つも聴こえてくる
そうだわかった 今までは学校英語で聞いていたから本物が理解できなかったのだ 最初からビートルズ英語で聞いて居ればよかったのだ
「くろーず ゆあ あいず あんど あい る きす ゆう」これが学校で習った英語だが ビートルズは「コージョアイ エナァル キッシュウ」と歌っている これを繰り返し聴いて居ればいつか英語を話せるようになるだろう
幸いにも毎度ながらヒマ時間があふれている 英語だ 英語を学ぼう
もはやアメリカには行けないが 日本に来たアメリカ人と会話すればよい

そもそも欧米はもちろん 今の若者は韓国人でも中国人でも英語を平気で話す
アメリカと敵対関係の中国人の若者が英語を話すのを聴いて 「敵性言語を話した反逆罪」で逮捕されるのではとマジで思ったこともある

英語は想像以上に国際語になっている 昔 エスペラント語を学べば世界のどこでも通用すると言われて少し気にしたが 英語もできない私は学ぶ気にはならなかった
もし間違えて出来たなら おおいなる無駄であっただろう

もし大学へ行ったなら(行ったことが無いから あくまでも想像だが)英会話を覚えるのは当たり前だっただろう それだけが残念だ
弟は第二外国語をフランス語だと言っていたから 英語くらいは話せるのだろう 聞いたことないけど

先日会った時 弟が務める会社がフランスの同業カンパニーと対等合併したそうだ すでにフランス側の担当者と何度か折衝とかしたらしい
それで「大学でフランス語を学んだのが役に立ったなあ」と言ったら
「フランス語? 違うよスペイン語だよ」
ともあれ会話は英語や通訳を交えているらしい いずれにしろ英語を話せればインターナショナル 怖いものなしだ

以前も何度かここに出て来た ジャマイカ人夫婦
今は東北の有名高校で英語を教えている 教えているのは奥さんで 亭主は家事育児担当らしい
奥さんは片言の日本語しか話せないから ほぼ英語だけで授業をしているのだろう これって大問題じゃない? と思ったが
よくよく考えれば 最初に私が書いたところに行きつく
英語の勉強だからオールイングリッシュの環境であることがベストなのだ
下手に日本語の解説を入れるから日本的妥協が生まれて本当の英語を学べなくなる 学ぶのは学生 学生は受け身ではなく攻めの姿勢で学べばよい

そもそもこの夫婦と私が会話した時は 私が片言の英語 彼らは片言の日本語で話す あとはジェスチュアーだ それである程度は通じるし
通じなくなれば酒を飲みながらカラオケで騒げばいいのだ

一年に数回 Gmailが届く もちろん英語だ
だが文書はわりとわかる わからない単語は辞書引きすればOK!
 やはり勝負はhearingだ
これさえやっつければ来年には外人と話せるだろう
明日からビートルズやジョンバエズらを先生にhearing勉強だ
73歳の手習い 成就するか?