神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

お盆になります おせわになります

2022年08月11日 14時52分55秒 | 宗教
昨日は遅い昼食後、なんだか眠くなって久しぶりに昼寝をした
昼寝なんてもんじゃなくて、目が覚めたら、もう夕方4時半
何か目的ある生活でなくなったせいで時間に対する緊張感がなくなった
昨日までよりは蒸し暑さが和らぎ、2週間ぶりくらいで散歩に出た
思ったより足取り軽やかで走っても良いくらい調子が良い
建築現場で仲間だった大工の棟梁に会った、立ち話をして愛想に、奥さんは元気でいる?
すると、おかげで少しは良いみたいで落ち着いてきたが元には戻らないだろう
なんて言うから藪を突いたみたいになって話しを合わせるのに苦心した
これこそ藪から棒、ってやつだ。

父が先祖供養に目覚めたのは40過ぎてからで、父の祖父母の墓は茨城県だし、代々の墓は栃木県にあるだろう程度、父の両親は空襲で遺体も見つからず墓もない
浅草の日輪寺が縁がある寺なので葬儀(私が産まれる前)と33回忌はそこでやった。
父は先祖供養は金銭かまわずやったが、宗教だとか坊さんに奉仕するなどは真っ平な人で
逆に坊さんに説教する人だった、今の住職もやられた一人で、私にその話しを毎回する
東京空襲の時の出来事がトラウマになっているのだ

自宅の仏前や檀家になっている寺で法事をするのは私が最初なのだ
だから墓参りだとか盆の仏壇飾りの仕方を知らない
親に習っていない
嫁に行った妹にすべて頼んで花から供物まで用意してもらう。
母の命日が8月16日なので盆の延長で住職にきてもらって読経してもらう
墓は合碑廟なので会で12日に別の住職を頼んで合同で行う
葬儀や回忌法要はセレモニーホール経営の仲間に丸投げ
幾つになっても法要ルールを覚えない私である。


宗教ってなんだ?

2022年07月06日 09時21分55秒 | 宗教
生まれてから今日まで、お墓参りや、仏壇参り、神社参拝のいずれかをしたことがない人はいないだろう。
仏教にしろ神道にしろ、その目的は自分の幸せ、家族の幸せを願うことは同じだ。
神道を語ると広くなりすぎるから、仏教にしぼる。

仏教の始まりはインドの釈尊(お釈迦さま)の悟りからだ。
それは万民の幸せのためなのか?
貴族、王族の幸せのためなのか?
それとも自分や家族だけの幸せを願ったものなのか?
インドは特に身分差別が顕著な国だから案外、貴族以上のためのものではなかっただろうか。
釈尊も貴族階級である、その弟子たちもまた貴族階級だったのではないか?

葬儀で僧侶が読経するようになったのは何時からだろうか?
今では葬式仏教と皮肉られるほど大衆化した人間仏教
奈良、飛鳥時代ころの渡来仏教はやはり貴族以上のものであり、皇族、貴族階級が仏教を保護し、一族の永久の繁栄と死後の安泰を願った。

貴族や僧侶からみた人間とは貴族以上であり、平民は便利の良い労働力でしかなかったかのように思える。
貴族以上から見れば民衆は言葉が通じる家畜程度にしか見えていなかったのでは?

だが貧しくひもじい、搾取ばかりされる民衆にも神にすがる気持ちはある
それは寄進や布施が必要な仏教ではなく、先祖の霊であり、自然界に起こる様々な現象を擬人化(擬神化)して恐れ敬うシャーマニズムが民衆の宗教・神道となったのではないだろうか。
それは仏教渡来より遙かに早く日本で大衆化していた。
人の心に悲しみ、慈しみ、労り、愛が芽生えた時から、死は身近であり、避けられないと知り
死も、死後も人間の力の及ばないことであり、全能の神や仏に全て任せることとしたのだ。
故に、縄文、弥生、それ以前さえ共同生活をしていた民衆でも死者どころか愛犬の弔をしていた証拠が残っている。

そもそも貴族以上と民衆の宗教のスタートは違う所から始まっていて、それは早くから身分差別があった証なのだ。

文字を持たない人間民衆に仏教が行き渡るのは12世紀になって阿弥陀経、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗。 法華経、日蓮の日蓮宗などまで待つ。
禅の宗教などは厳しい難業で自力で悟りを開くが、浄土真宗などは無知な民衆に7言の念仏をとなえていれば誰彼問わず阿弥陀様が救ってくれると、他力本願を推奨した。
故に権力に保護されてきた既存宗教から迫害を受け、島に流されたが
行く先々で布教をしたので案外、越後、北陸路で真宗門徒が多いのだ。

話しは違うが朝鮮でも民衆は文字がなく文盲であった
14世紀、朝鮮4代王世宗(セジョン)は日本の仮名にあたるハングル文字を作り、民衆に広めようとしたが、貴族階級(ヤンバン)の反対で実現せず、皮肉にも20世紀前半、日本が朝鮮を併合してから併合政策にハングル文字を普及させたという。
このように文字にしろ、宗教にしろ内外問わず貴族階級以上(日本では鎌倉時代以後は武士階級も知識階級、搾取階級として含まれる)のものであった。

万民に広がった今は逆に民衆階級の宗教離れが加速している
神棚や仏壇がない家が増え、墓もなく都会では分譲のメモリアルが登場だ。

コロナ以後、葬式も法事もささやかになり、ある意味イベント的葬儀から本来の家族葬になったのは喜ばしい。
町のメインストリート左右に200本もの花輪が立ち並び、それぞれが企業名を競い合う、あのような光景は二度と見ることはないだろう。


大正から昭和にかけての作家、倉田百三は病弱ゆえ若い頃は、救いを求めキリスト教会に通った。
その印象が強いためキリシタンだと思われがちだが、26歳の時に「出家とその弟子」を出版している。 既にキリスト教より親鸞の浄土真宗に傾倒していた。
文中にはたまにキリスト教的な解釈がまじる
(解説より)
親鸞の宗教家の面より人間親鸞の苦悩が描かれて興味深い。

無 無心4 最終回

2022年06月26日 10時21分55秒 | 宗教
日常生活の中で生きる意味、生きている意味がわからなくなって、禅寺に答えを求めて来た人たちを書いた。
彼らの悩み苦しみは、日常生活に疑問を持たないわれわれには計り知れない。
同じように出家して修行に励む禅僧の暮らしも想像できない。

仏教を少し勉強してみた
仏教は様々な宗派があるが、全て原典は世界四大聖人の一人、インドの釈尊の教えである。

釈尊は大凡2500年前のインドの貴族階級に生まれたが出家して座禅修行で悟りを開いた。
45年間に釈尊に学んだ弟子は多く、釈尊の死後、高弟が中心になって釈尊の教えを経典としてまとめた。
釈尊は弟子に書物ではなく日々の修行生活の中で言葉や、振る舞い、座禅、を通じて教えたから、一人一人が、それぞれに口伝された言葉、見たことを持ち寄り経典に編纂した
それは膨大な量で釈尊の悟りの伝道は45年間にもわたるから、同じ教えでも釈尊や弟子の年齢や熟練度で微妙な表現の違いが出てくる、それは味わいと置き換えても良い
後に中国や日本で多くの宗派が出来たが、それぞれに本尊と経典を宗旨の教えの中心に据えた。

多くの宗派では読経や経典の教えで僧徒が学ぶが、禅(宗)即ち、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の3宗派は自給自足の暮らしの中で自然界と命を学び、托鉢で米一粒のありがたみ、人の縁を知り
ひたすら座禅の為だけの座禅を繰り返す
座禅は答えを探すためではなく、無の境地を求めるのでもない、ただ無心に座禅をするだけなのだそうだ。
難しいが、座禅をする事に目的がある事自体、間違いだという。
だから彼らが苦しみから解放されたくて寺に来たこと自体、間違いということになるし、住持が言葉で答えなかった事も理にかなう。
禅の教えは見て、感じて、座禅を続けて無空の中に満ち満ちた仏心を見たとき完成するらしい
が  そこまでたどり着くのは余程の禅僧に限られるだろう。
ならば、そこにたどり着けぬ修行者は救われないのか?

私は思う
俗世に暮らす我々俗人は、それぞれに欲を持って生きている
遊ぶ金が欲しいがバイトで稼ぐ金額は知れている
世の中は欲しいもので満ちあふれているのに自分の手に入らない
それを、いともたやすく日常的に手にしているセレブたち
世の中の不平等に腹を立て嘆く者、死ぬ者、犯罪に走る者
全ては欲に心が支配されているから起こること
体と生理が求める欲
心が求める欲
これらの欲を静められたら悩みは消える、これが我慢だ。
だが我慢は常に不満を抱えている
欲を捨て去るのが一番、自分の力の範囲で手に入る欲だけ捨てないで、手の届かない欲は何かに代替えするか、忘れてしまえば良い
さっぱりと
さっぱりと忘れる努力をしてもできるものではない
最初から無かった境地になればいい、これが我ら俗人にもっとも近い禅修行ではないだろうか

「唯物の無 心の有」
私は人生の晩年にきて70年の人生で築き、貯めてきたものの大部分を失った、不安もあった
これは唯物の無だ、ところがなにもかも無くしてみたら「立って半畳、寝て1畳」の言葉が今までは貧乏不自由と捉えていたのに、今は1畳の空間が大宇宙に繋がる果てしない空間に思える
失ってこそ得るものは、失ったものより多くなることもある
無くしてみるのも一つの生き方だ、異次元の人生が始まる
「貧乏も一生に一度は、してみるもんだ」




無 無心3 自分に気づく

2022年06月24日 09時59分36秒 | 宗教
彼らが、この寺に駆け込んだのは、「答えを教えてもらえる、答えを発見できる」という期待をもったからに違いない。
だが日常には無い修行、我慢、何も見えて来ない座禅。
何も得ぬまま山を下りる若者も少なくない。
下りた者は、禅修行や住持から答えをもらえぬことに絶望したのだ。
それは彼らが初歩の「気づき」まで達することができなかったからだ。 まして凡夫が1年間で悟りにたどり着くはずがない。「悟り」は禅の高僧でさえ生涯をかけ、命がけの修行でようやく得るほどに難しく、更に奥深いものなのだ。
得度を得てさえ自利で終わる僧が多い世界で、世俗に染まって生きてきた凡夫が、「他力本願」に答えがないことに気づいただけでも素晴らしい躍進なのだ。
ここから、ようやく本当の禅修行が始まる。
最初は俗世への未練を断ち切る事から始まる、いわゆる出家だ。
あらゆる欲は人を立ち止まらせ、手招きして誘い込む。
甘美、快美の誘惑が俗世にはびこり、凡夫の心根まで腐らせる。
最も醜いのは独占欲、金銭欲、それらは自利誘導のため徒党を組み、他を襲い、傷つけ奪う。
心優しき者は絶望し、この世界に生まれた意味、生きる意味を見失ない彷徨う。
彼らに必要なのは、ただ一つ「安心とやすらぎ」なのだ。
そして彼は、その入口にようやく立ち上がった。

       続く




無 無心2 最初の悟り

2022年06月23日 09時20分51秒 | 宗教
すさんだ心の男が一念発起して禅寺へやってきたのは彼の中に仏が住んでいたのにほかならない。
その彼が得度をえる(出家して仏に仕える=仏門一筋に生きる)ことを住職に相談した。
住職は彼の決意を喜んだが、為に他の本格的な曹洞宗寺院で5年の修行に入り、その間子供とも会えない事実を知りなかなか決められないでいる。
これもまた乗り越える為の試練なのだ、小説「杜子春」と同じく家族を人質にして仏が彼の決意を試しているのだろうか。

ここに答えを求めてやってきた若者にも試練の時がやってきた
既に1年たつが禅修行しても一向に答えは見えない、彼らの心に疑念が芽生えて住職に問うた。
住職はまだ若さが残る女性である
(庵住 尼僧)
住職は俗世では介護士として働いていたが、自分の人生に疑問が生じて、この寺にきたのだ、そして得度してここに住み着いた。

悩む若者の問いに、自分も未だ迷いがあると伝える
答えを得る為の禅修行なのか?
禅の中に答えはあるのか?
疑念が湧き、自分にそれを問いはじめたこと
そこに1年間の修行の成果が見えたのではないだろうか。
すなわち、他力本願の中から自力本願の気持ちが芽生えたのだ
答えは他に求めるのではなく、己の中に求める
唯物に求めるのではなく、無の中に求めるのだと
毎日、障子に向かい合ううちに彼は確かに成長していた。
外国人青年の心が定まった。
ある日、彼は突然、自ら長い髪を電気バリカンで刈り丸坊主になった、彼の決断だった。
「過ぎた日を悔やむこと無かれ、まだ来ない明日に期待や不安を持ってもせんないこと、今この瞬間が幸せであれば、自分は幸せに生きているのだ」
働いた成果を得た喜び、同じ心の仲間といる喜び、ただ無心で自然を見つめている時間、今日もここで生きている幸せ
彼なりの最初の悟りだった。
     続く






無 無心

2022年06月22日 09時00分31秒 | 宗教
兵庫県の禅寺で修行する日本人、外国人の青年たちの生活と葛藤のドキュメントを見た。

離婚したが、元妻と暮らす10歳前後の子供が二人いる元ワルの男、自らを変えるため飛び込んだ。
日本人青年も、何不自由ない家庭で育った外国人青年も生きる意味がわからず答えを求めて飛び込んで来た。

日々の生活は障子に向かって座禅
自給自足の野菜つくり
寺の保全作業、食事つくり
たまに町へ出て買い物、修行の一端の托鉢
毎日、同じことの繰り返し生活、座禅の中にも答えが見いだせない。
苛立ちと、疑問が湧き出してきて寺を去る若者も出てくる

ワルから、心静かな暮らしへの転換を図った男は、厳しい修行を経ても得度を決心する
しかし、その為には5年間俗世から完全に隔離された修行になる
この5年は子供にも当然会えない、少年から青年に変わる大事な時期、二度と帰らない人生の5年
父親がもっとも必要な5年
男の決意が揺らぐ  続く


早世の友よ

2022年02月22日 19時04分11秒 | 宗教
今日は父の4回忌で妹と女房殿と三人、そして住職様と仏前で読経した。
会社を無くしたことに住職は私以上に心を痛めていて、「お布施はいりません」とまで言うから「それは考えすぎです」と説得して納めていただいた。
とても心優しい住職でこれからのこともお任せできる信頼の気持が深くなった。

去年義妹、年明けに舅、そして先日義弟の義弟と身内の葬儀が続いたが、まだ98歳、96歳、94歳と高齢の身内がいる、その中の一人は病院から夏までは持たないでしょうと言われた。

生涯つきあっていけると思った友人が去って行ったり、思いがけない人が力になってくれたりと人間の不思議さをこうなって初めて知った。
こんな時こそ同じ釜の飯を食った修業時代の仲間と語り合いたかったが、5人の同期入門も私ともう一人だけとなった。
50歳で3歳下の仲間が死に、それから少し後にも3歳したが死に、一昨年には相棒が71歳で死んだ、私が習った板前さんは60歳で亡くなり、一番好きだった女将さんも71歳で突然死
もう共に修業した仲間の大半がいなくなった、なんでみんな早く逝ってしまったんだろう。

市の課長で私が市長候補に推したかった中学時代の友も60歳で殉職、小学校時代に京都から転校してきたHくんをネットで偶然見つけて50年ぶりに再会、その翌年Hくんは病気で亡くなった、都銀の支店長だった優秀な人物だった。
晩年良き友としてつきあいたかった友が先に逝ってしまう、なんか寂しくなる、今年は特にそう思う、今年の冬は寒さが身にしみる。

念仏三昧と言うほど抹香くさくなるつもりはないが、一日一回は阿弥陀様に向き合って瞑想してみようと思う。
おそらく私も人並みに罪深い人間であり、その迷いから抜け出せず煩悩のままに生きたゆえ罰を受けた、それでも懲りずに煩悩のままに生きている
さすがに今は静かに暮らしているが春になれば狂った鳥が頭の中を駆け巡って「はやくはやく」と私をせき立てるだろう。

煩悩を振り切ることは難しい、それほど出来た人間ではない
しかたない煩悩のままに生きてみよう、それが私の現世の生き方なのだから。


奥州平泉







死は生の始まり 生は死への始まり

2022年01月31日 21時01分07秒 | 宗教
今日は曇りから大雪の予報だった、だが予報に反して昼からずっと快晴になり暖かな日中となった
義父の人柄が天気まで変えたのだと身内は語った

人間が神になれぬのは無常の壁を越えられないからだ
無常の壁を超えるには全ての煩悩を捨て去り無の境地に達するしか無い
そのためには極限まで厳しい修行をするしかないが大多数の凡人にはそれはできない
そんな凡人を救うのが宗教である
浄土真宗は罪人も愚人も凡人も「南無阿弥陀佛」の6字を唱えるだけで阿弥陀様の救いを得ることが出来ると説いたもっともベーシックな宗教である

人は死の安楽を得るまで安らぎはない、それなのに死後の世界にも地獄極楽があると簡単にいう、それこそが無常というものだ
封建時代以前ならともかく高学歴社会の現代人は地獄極楽など信じるものか
まことの宗教であれば「無限に思える無も一瞬にして次の生に移るのだよ、その一瞬が極楽なのだ、誰であっても極楽を体験する、
されどあまりにも一瞬で記憶すら残らないまま転生してしまう」と
それでは悪の限りを尽くして人生を楽しんだ者勝ちでは無いかと思うだろう
だが神のシステムはそれを許すまい
善行を積むことでのみゴールである極楽、永遠の安らぎを得る
そこには体などの俗物は無く、心地よい安らぎの感覚だけが存在する
それはまさに母の胎内の安らぎなのだと思う
生体を得ない永遠の胎内の安らぎこそ極楽浄土
悪行の者も救われるが、それの繰り返し、永遠に永遠の安らぎ(極楽往生)を得ることは出来ない
人間界は魂を磨く場だと宗教は言う、故に悪を繰り返す者は永遠に安らぎを得られず無常の世界に繰り返し送り込まれる
現世こそが地獄なのか?、それはあるまい、この世に生を受けて幸せな人生だったと逝く人は多い
それならば尚更この世に未練が残るのでは、それこそが悲しい
ゆえに飛鳥、大和、平安の時代の宗教は貴族宗教で現世で栄華を極めた者たち(藤原氏、北条氏)が死後の世界でも変わらぬ栄華を継続できる祈りであった
だから王族貴族、地方地頭など有力者の子弟が平安貴族や鎌倉幕府などの後援で貴族宗教の住持となった
そして大衆宗教の日蓮宗や浄土宗、真宗などが出てくると既存宗教は権力者に訴えて迫害し遠島などの処罰を与えたのだが、それが越後などで広まることになった
貧しき者どもまで救われるなら貴族階級の特権が失われるという独占欲が既存宗教の保護、新興宗教への迫害となったのだ
だがもとより全ての人を救うことこそ宗教の重大な役目なのだ、ところが現代では大衆宗教の一部には金銭欲にかられた寺も出てきた
そういった傲慢さが寺離れをおこし、弱きものは現代の新興宗教になびいていく者も多い
無宗教、無信心の者も多くなったいま既存宗教界も襟を正すときがやってきた

針地獄だ、灼熱地獄だと地獄絵図を言うけれど、本当の地獄は心を襲う地獄だ
だがそれも死と共に消え去る、だから自殺が絶えない

地球だとか宇宙だとか時間だとか、それは短い時間の中で人間が勝手に見ている幻だ、死と共に魂はたちまち転生するが、それがどこなのかは神のみぞ知る
永遠の世界に時間など存在しない、人類の歴史も存在しない

誰が私に語らせているのだろうか?

義父が暮らしていた集落 女房殿の故郷(1月30日撮影)


お救い下さい

2021年12月12日 17時31分12秒 | 宗教
この頃は併読をしている、読書時間は一日15分程度だから遅々として進まないが楽しみの一つではある
吉村昭を二冊、この前見た映画(テレビ)「うなぎ」が含まれている短編集「海馬(とど)」と「関東大震災」、宮本輝の長編の全9巻「流転の海」ようやく6巻に突入した
イザベラバードの「朝鮮紀行」「日本紀行(上)(下)」を読み返し始めた
、これらを思い付きでとっかえひっかえ読んでいる

今日は従妹(いとこ)の1周忌法要に出た、子供の時から障碍があってずっと施設に入っていた子だった
亡くなった一年前は50歳半ば前くらいだと思う、車いす生活でヘッドギアをいつもつけていた、骨がもろく骨折もしたようだ

住職は40代、前住職は私より少し年上だが近年亡くなった、その前のおじいちゃん住職はなかなかの粋人だった
共産党だという話だったが魚供養で毎年、組合でお願いしたのだが読経の後の説法が面白い
紙一枚に手書きであれこれ書いてある、内容と言えば男女の恋愛とか艶っぽいことが書いてあったり、なかなか魚屋の興味を引くのがうまい
とても堅苦しい坊さんとは思えない人で人気があった、かといって度を越した好きものと言うわけでなく立派な住職だった

度を超すと言えば「今日は無礼講だから・・・」などと前置きでおこなう会社の宴会ではときどきもめ事がおこる
「無礼講」の意味を曲解した若手社員が上司の肩を叩いたり、手をかけたり、上下関係を忘れた無礼極まりない罵声をあびせたりして起こることが多い
そして「『無礼講』と言いながら結局怒り出す度量の狭い上司だ」などと罵る
まあ上司も上司で最初から無礼講などと言わなければいいのだ
いずれにしてもわきまえて度を越してはならないということだ、素面になってからの仕返しが怖い

位牌の後方に阿弥陀如来の姿をじっと見ていた
そして考えた、阿弥陀様はどこから来たのだろうか、地球ができる前からいらっしゃったのだろうか?
地球ができて造物主である神様たちは恐竜も作ったのだろうか
阿弥陀さまも神様も本当は高度な文明の宇宙人で、地球に来て原始の地球人を導いてピラミッドなどを作って去って行ったのではないだろうか
キリストや釈迦は宇宙人の子孫ではなかったのだろうか

阿弥陀様は亡くなった人の手を取って極楽へと導いてくれるという、なのに亡くなると三途の河原で「おしょろばあさん」に検査されて地獄、極楽に振り分けられるという
三途の川で溺れて地獄に流れ着く、正しい人生をおくった者は極楽浄土へと
地獄へ落ちる者を阿弥陀様はお救いにならないのだろうか、でも浄土真宗では極悪人であっても阿弥陀様はお救い下さると説く
ただひたすら「南無阿弥陀仏を唱えなさい、そうすれば出家しなくとも仏になることができる」と

今日は一つ疑問がとけた「南無阿弥陀仏」を唱えるのは亡き人の冥福を祈るのではなく自分に対しての「南無阿弥陀仏」だと
それは仏壇の前に座って手を合わせるたびに考えていたことだった
仏に向かって唱えるのか、自分が救われるために唱えるのかといつも思っていたが今日、住職の説教でわかった

親鸞上人と言う人は時代の革命児だったと思う
死後の世界でもこの世と変わりない繁栄を願う貴族や武家の為の宗教だったところに突如、救われぬ数多の庶民、罪人を救う宗教があらわれたのだ
難しい理論理屈哲学も、厳しい修行もいらない「ただひたすら南無阿弥陀仏の六文字を唱えなさい」極悪人も許されて極楽往生できると
当然ながら特権階級と既存の宗教から迫害された、それでも流刑地にあればそこでまた布教して信者が増えていく
「門徒もの知らず」それでも救われる、坊さんも妻帯してよい、子を成しても良い、魚肉を食っても良い、戒律厳しい古宗教に反するものであった

今でも浄土真宗は簡素化された決まりごとが多々ある、葬儀でのお清めの塩はいらないなどだ
戒律厳しい禅宗の僧の多くは髪を究極まで剃って崇高な雰囲気であるのに対し、真宗の僧侶は長髪が多い
私の祖先は代々鎌倉北条家に庇護された臨済宗であったが、戦争のどさくさで父の代から真宗にかわった
北陸、加賀能登、越後、佐渡はとくに浄土真宗が多い地域である
わたしのような「とびすけ」には気楽な真宗が合っているかもしれない







彼岸のお中日

2021年09月24日 19時35分34秒 | 宗教
宗教のあれこれ、煩悩、地獄極楽、神仏、死後の世界などには人並み以上の興味があるのに、世間の常識であるお墓参りや仏壇参り、供養が全くわからない

盆の13日頃になるとお墓参りをするというくらいしかしらなかった
父は戦後、今の地に一人で住み着いたのでお墓はなく、盆には地元生まれの母方の墓参りをした
子供の私は提灯をぶら下げて歩いて行くのが楽しかった、外祖母が亡くなり、伯父さんが亡くなり、従弟が地元に帰ってきてから行かなくなった

何度か書いたけれど、父は25歳で結婚して小さな家を建てたけれど神棚も仏壇ももたなかった、空襲で両親もろとも家が焼けて髪の毛一本残さず消えた
心が空虚になったからだ
ミカンの木箱にお札を貼って神棚に、タンスの上に位牌を乗せて仏壇代わりだったという
私が物心ついたときには仏壇はあった、それは近所の大工の棟梁がかたくなな父に理責めで説いたからだという
そのたいせつな仏壇を疳の虫が強い幼い私が破壊した、子供の時から罰当たりな子だったのだ

彼岸とは、悟りを開いた仏が住む彼の国なのだという
此岸は、われら煩悩にまみれた人間が住む世界を言うそうだ
彼岸から此岸に帰ってくる日をお彼岸と言うそうで7日間続き
その中心が彼岸のお中日なのだ、お墓参り仏壇でのお参り、そしてそれらのお掃除、春は牡丹餅(ぼたもち)、秋はお萩(おはぎ)を供える

煩悩まみれの私だったが、このごろ少しだけ悟りを開きつつある
たしかに神が集う彼岸はあるのだ