信長や家康の伝記のような小説はたくさんあるが、農民雑兵を主人公にした小説はあまりない
深沢七郎の「笛吹川」はそんな中でキワだった作品だ
毎日毎日、田畑を耕し家族が粗末な一つ屋根の下で貧しく暮らす農民一家
だが1500年代の日本中が戦乱の時代に平和な暮らしなど無い
百姓という立場は領主に命を握られている弱い立場だ
家族総出で米を作っても、ほとんど全部領主に持って行かれる
農民は僅かな米や、大部分は雑穀と葉野菜での食事
ある日突然、領主からの召集で組頭の配下として戦争にかり出される
粗末なすり切れた胴丸を裸の上に巻き付けて、粗末な槍一本で兵隊としてかり出される
数日分の干し飯をもっての参陣、いわば数合わせ、あるいは楯、所詮は百姓足軽
敵方の最前線の百姓足軽と、戦いの最初に槍で殴り合う役目だ
百姓同士が最初に殺し合うなんて悲しい、というのは今の時代の人間が思うこと
多分当時の人は、死ぬことについてそれほど面倒な理屈は持っていなかったのではないだろうか
この世に未練を持つほどの楽しみや財産があるわけでも無く、むしろこんな暮らしから逃れる
死の方が身近じゃ無かったんだろうか。
せいぜい家族への未練くらいだっただろう、だがあきらめが染みついて居る生活では
それすら無かったかもしれない
戦争にかり出されて死んで戻る(体は戻れない)ことは日常茶飯事のことだった
だからどの家も子だくさんだ、3人や5人が戦死しても一人位は家に生き残る
たまたま秀吉の様に気のある男が、出世して百姓生活から逃れるという「大志」を抱くくらいだろう
村には手が無い、足が無い、片目しか無いなんて障碍の農民がたくさんいただろう
領主が保証してくれるわけでも無く、死に損の痛み損だ
戦争に出てみても、どこへ向かうのかなんてわかるまい、学校教育など受けていないし
江戸時代ならともかく、この時代には農民の大部分は文盲だ、まして地理など知るよしも無い
せいぜい自分の村と周辺の村くらいしか知らないし、今の様に旅行をするわけでもない
生まれた村で一生暮らし、嫁いで隣村へ行くくらいがせいぜいだ
だから戦争はある意味、命がけの旅行の楽しみだったかもしれない
戦争ではぶんどり自由であった、勝ちさえすれば敵の村に押し入り、生活物資や財産を強奪できる
逃げ遅れた老人は殺し、女を奪い、女子供を戦利品の奴隷として戦地で奴隷商人に売って金にする
そんな狼藉だけを楽しみに戦争に行く、領主も褒美として狼藉に目をつぶる
なにか良いことが無ければ命がけの仕事などできるものか
戦争に負けて敵に村を蹂躙されれば、逆の立場になる
男どもは殺され、娘を奪われ、妻と子供は売られてしまう、恐ろしい時代だ
井伊直虎の場合はどうだったんだろうか、直虎は百姓では無い、領主である
それもある程度影響力を持つ領主だ、一つの地方の長である
昔たくさんあった、○○県**郡の郡長くらいのレベルだ、5つくらいの寒村の長である
城とは言えぬ位の砦が5つあると思えば良い、そして5人の村長がいて
直虎は村長会の会長と言ったところか
しかし直虎に属す小野村の村長は、静岡県全域と直虎たちの愛知県三河地方を治めている今川家の
役人を兼ねている、それは直虎の井伊家を監視して報告する役目なのだ
井伊家の家来で有りながら、今川家の公のスパイを兼ねている嫌な奴なのだ
もっと大きな視点で見れば、井伊の様な郡長は周辺にいくらでも居る、だから井伊家は特別な存在では
ない、そしてこの辺りの郡長はどこかの県知事クラスの大名に属さなければ生きていけない
井伊家は東海道最大の今川に属している、だが今川の家臣ではない、一応は独立した存在だ
今川クラスの大名はこの周辺では松平家(徳川家康の若いとき)、織田家、武田家がある
今川と武田が当時は有力大名で、織田はそれより若くて小さい、松平は織田の子分程度だ
松平はこの間までは今川の家臣だったのだ、それが織田信長が今川義元を討ち取ったことで独立したのだった
独立するとすぐに織田信長と同盟を結んだ、同盟と言っても桁が違う、日本とアメリカの様な関係だ
それでも織田が味方になったおかげで安心して今川の領土を侵略する事が出来る
それで狙われたのが井伊の領土だった、隣の郡長はとっくに松平に寝返って先鋒として井伊を攻めてきた
結局井伊の領土は寝返った郡長に乗っ取られた、今現在井伊の領土は消えてしまった、ただ人はいる
跡継ぎも直虎も有力な家臣も家来もみんな生きている、これからどうやって井伊家は再興するのだろうか