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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(234) 甲越 川中島血戦 61

2024年10月26日 17時57分07秒 | 甲越軍記
 かっては村上義清に与力していた楽岩寺右馬助、依右近進、和田、布下の地侍は村上没落後、信玄に臣従した
しかし義清への忠心は失せず、近年村上を助けている上杉謙信の義侠心に義勇を感じて、密かに謙信に寝返った。

天文二十三年六月、謙信は信州川中島に打ち出て、善光寺の東山に陣を張る
これを聞いた信玄も信州に馳出て、茶麿山に陣を敷く
同九日、謙信は信玄の陣に使い番を送って「明日、川中島に出て、清野宿を放火する」と伝えた。

翌十日に謙信は一万三千の軍勢を率いて清野に向かった
信玄は清野宿の放火を防ぐために、馬場民部少輔に三百五十騎に歩兵三千五百を添えて清野から高畑に至らせ、筑摩川を前にして陣を敷かせた
この陣は山本道鬼の秘中の陣形で必勝の罠を仕掛けた陣備えである

謙信は高見より、この陣形をじっと探り、その破りがたきことを悟ると、敵の四倍の勢でありながらも掛け合わず、静かに陣を引いた
信玄は、これを聞いて「さすがに謙信は明晰なる名将なり」と感じ入る
謙信は清野宿を焼くことならず残念に思い、虚空蔵山の城を攻めるとまたしても武田陣に伝えた
甲州勢の飫冨、馬場、小幡を始め諸将はこれを聞いて「謙信め血迷って自ら死地に入るとは、これこそ天の恵みなり、一人残さず打ち滅ぼす機会である」と勇み立つ
しかし信玄は思慮を巡らし「謙信ほどの智将がみすみすと死地に赴くとはあるまじきことなり、必ずや秘策を持ってのことである、さもなくば我らに知らせるなどあり得ぬ」と言って、越後軍の後追いを深く禁じた。
そして近頃何かと様子に不審在る、楽岩寺、布下らを飫冨、馬場、小幡に目を離さぬように申し付けて不審な動きないかと見張らせた

謙信は秘策を見破られて仕方なく虚空山から引き上げて、信玄の本陣の茶麿山の麓を、武田勢の姿無いに等しく、悠然と通って善光寺の彼方へと去った

その夜半、間道を通る怪しき者を飫冨の兵が捕らえた、これを尋問すると密書が見つかり、楽岩寺ら四将が武田勢が謙信を追って虚空山城の後詰に行ったのを見て後方から攻め立てて、越後勢と挟み撃ちにする謀りが明らかになった
信玄の胸騒ぎは誠に的を得ていたのであった
信玄は、この四将に切腹を命じた。

謙信は善光寺に五日間滞留して、四将の使いを待ったが現れず、事が漏れたと気づいて越後に兵を返した
信玄もまた、甲州へと帰って行った。


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