先日、65歳から85歳の女性4人、50歳の男性と6人で納涼会を行った
85歳のAさん、がん手術を終えて退院したばかりなのに元気で
この日も紹興酒、生ビール、水割りを飲んで息巻いている
やはり寅年の女は違う、その彼女は料理上手でもあり、お土産にお手製のエゴをいただいた。 一昨年、未亡人になったが社交性に富む彼女は元気に動き回っている。
お手製のエゴ ゆず味噌で食べてみようかな。

「どうする家康」では期待したほどの変化球はなかった。
ほとんど直球で押したが、少し前半は説明と繰り返しが多くてくどい感じがした、私が求めた筋書きは出てこず平凡な回だった。
テーマは家康に対する、信長の唯一の友情だった、それを、ほのかに家康を想う市から聞いた家康。
このような無慈悲な魔王になった信長の少年時代の体験を何度も繰り返す
それは父、織田信秀の教え、「自分以外は誰も信じるな、どうしても我慢できなければ一人だけ友を持つがよい、それは自分が殺されても悔いがない人間にせよ」
なぜこの回で、くどいほど信長が家康に持っていた友情を言い続けたのか
家康は、信長にこれほどの情愛を持たれていることを知らなかった、だから「信長を討つ」と家臣に伝え「兎が狼を食い殺す」と信長に言う
「俺に変わって天下を治めることが出来るなら俺を殺すがいい」と信長は顔色変えずに言う。
思うに、このドラマの深読み解釈としては、信長はすでに天下布武の目的を達成して
あとは地方の抵抗者を一つずつ潰せばよいと思っていたのだろう。
この時点で信長の目標は無くなってしまった、ある意味目的がなくなった時点で信長は抜け殻になっていた、死んでも良いと思った。
家康に殺されるのは本望だと思った、それが家康の愛する妻子を奪ったことへの罪滅ぼしと考えたのかもしれない
あとは家康と、自分の息子たちが戦い、いずれかが勝って天下を取ればよいと思っている。
ところが市の言葉と、信長の言葉を何度も思い返すうちに家康の決心は鈍る
そして自分の力不足を認め、天下人となる修業を目指し、その第一歩として堺に行って、豪商たちとの誼を結ぶのだった。
信長は家康が襲うことをほぼ感じていた、来たら討たれようと思っていた
悔いはないと思っていた
しかし来たのが明智と知ったとき、その落胆は大きかっただろう
明智ずれに渡す軽い命ではなかった、家康故に首を洗って待っていた
それが大誤算だった、首を渡してなるものか、信長は燃え盛る火の中に身を投げた。
なぜか秀吉は播磨にいながら、家康が本能寺の信長を襲うことを知っている
そして変乱の報を聞くと「家康を討つぞ!」と勇み立つが、「襲ったのは光秀です」と聞いて愕然とする。
結局、普通通りのストーリーだった、友情物語(ある意味、信長の家康に対する恋心か、それとも孤独な王者の唯一の安らぎが家康ということか)と、市のほのかな恋心が創作部分であった。
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