こんにちは、国立第三中学校を卒業した石井伸之です。
本日は、国立第一中学校70周年記念式典に出席しました。
自民党明政会会派からは、青木議員、高柳議員、大谷議員が出席しております。
国立一中は戦後間もない昭和22年に谷保中学校として開校しました。
来賓挨拶をされる永見市長です。
しかし、その当時は先生と生徒が居るというだけで、校舎も無ければ教材も無いという状況です。
そこで、国立高校や第五商業高校を間借りして授業を行っていました。
当時の谷保村長である佐藤康胤(さとう やすたね)村長からは「谷保中学校は村における最高の教育機関なので生徒諸君には正しく立派に育ってほしい」という言葉を残されたそうです。
その言葉を胸に、昭和26年に谷保村から国立町へ、昭和42年に市政施行以来、国立一中は文教都市としての教育を行ってしました。
式典の中で、国立市の歌を歌う場面がありました。
佐藤市長、永見市長と続く中で、国立市の歌を様々な場面で歌うようになりましたが・・・・
私が子供のころに通った第一小学校や第三中学校で歌った記憶はありません。
国立市を故郷と感じられる素晴らしい歌詞となっていますので、国立市ホームページよりご覧いただければ幸いです。
閉式後の記念講演は「母親である主婦が南極観測隊になるまで」と題して、第57次南極地域観測隊の綿貫淳子氏が講演されました。
素晴らしいオーロラの景色から、愛らしいペンギンやアザラシの写真を見ると心が和みます。
綿貫氏は国立市富士見台二丁目にある辻調理専門学校に入学し、卒業後は同校に職員として入ります。
その後は結婚、出産を機に離職、とあるきっかけから南極観測隊員を目指しました。
一度目の挑戦は書類選考で落選、二度目の挑戦は面接で落選、三度目で合格したそうです。
二度目の挑戦で行われた面接の中で一つだけ答えられなかった質問があったとのこと。
それは「仲間同士で意見がぶつかった時にどうしますか?」
二度目では答えに詰まったものの、三度目の面接では以下のように回答したそうです。
「その時になってみないと分からないので、お互いの一致点を見つけるために精一杯話したい」とのこと。
確かに見えもしないものに怯えて、四方八方予測を巡らせるよりも、その時の状況をしっかりと受け止めて最善の判断をする胆力がその質問の最高の答えではないかと感じました。
逆に言えば、その胆力を維持するだけの知識や経験が求められることは言うまでもありません。
そして、綿貫さんが辛い時を乗り越えた言葉が示されました。
私も大好きな週刊モーニング連載の宇宙兄弟の一説。
「もし、諦めきれるなら、そんなものは夢じゃない」
その瞬間、会場にいる生徒達の目がキラリと光ったように感じました。
中学生にとって「夢」は漠然とした淡い光を持つ蛍のような存在かもしれません。
その淡い光を胸に秘め、消えないよう、消えないようそっと大事にしている状況かと思います。
57次観測隊員の一言コメントの中で「夢は口にした時点で半分叶っている」という言葉がありました。
その瞬間に、朝の連続ドラマ「あまちゃん」でアイドルを目指す二人が、それぞれ場所は違ってもトンネルに向かって「アイドルになりたい」と絶叫した時のことを思い出しました。
そして、講演も最後となり、第一次南極越冬隊長、西堀栄三郎氏の言葉に続きます。
西堀氏の言葉は僅か一言。
「やってみなはれ」
素晴らしい講演をいただいた綿貫氏に対する会場が割れんばかりの拍手に包まれたことは言うまでもありません。
70周年記念式典の準備をされた、校長先生を始めとする関係者各位に、心から感謝したいと思います。
また、午後7時からは国立市役所三階で土砂災害に関する説明会があり、そちらに参加して一日が終わりました。
本日は、国立第一中学校70周年記念式典に出席しました。
自民党明政会会派からは、青木議員、高柳議員、大谷議員が出席しております。
国立一中は戦後間もない昭和22年に谷保中学校として開校しました。
来賓挨拶をされる永見市長です。
しかし、その当時は先生と生徒が居るというだけで、校舎も無ければ教材も無いという状況です。
そこで、国立高校や第五商業高校を間借りして授業を行っていました。
当時の谷保村長である佐藤康胤(さとう やすたね)村長からは「谷保中学校は村における最高の教育機関なので生徒諸君には正しく立派に育ってほしい」という言葉を残されたそうです。
その言葉を胸に、昭和26年に谷保村から国立町へ、昭和42年に市政施行以来、国立一中は文教都市としての教育を行ってしました。
式典の中で、国立市の歌を歌う場面がありました。
佐藤市長、永見市長と続く中で、国立市の歌を様々な場面で歌うようになりましたが・・・・
私が子供のころに通った第一小学校や第三中学校で歌った記憶はありません。
国立市を故郷と感じられる素晴らしい歌詞となっていますので、国立市ホームページよりご覧いただければ幸いです。
閉式後の記念講演は「母親である主婦が南極観測隊になるまで」と題して、第57次南極地域観測隊の綿貫淳子氏が講演されました。
素晴らしいオーロラの景色から、愛らしいペンギンやアザラシの写真を見ると心が和みます。
綿貫氏は国立市富士見台二丁目にある辻調理専門学校に入学し、卒業後は同校に職員として入ります。
その後は結婚、出産を機に離職、とあるきっかけから南極観測隊員を目指しました。
一度目の挑戦は書類選考で落選、二度目の挑戦は面接で落選、三度目で合格したそうです。
二度目の挑戦で行われた面接の中で一つだけ答えられなかった質問があったとのこと。
それは「仲間同士で意見がぶつかった時にどうしますか?」
二度目では答えに詰まったものの、三度目の面接では以下のように回答したそうです。
「その時になってみないと分からないので、お互いの一致点を見つけるために精一杯話したい」とのこと。
確かに見えもしないものに怯えて、四方八方予測を巡らせるよりも、その時の状況をしっかりと受け止めて最善の判断をする胆力がその質問の最高の答えではないかと感じました。
逆に言えば、その胆力を維持するだけの知識や経験が求められることは言うまでもありません。
そして、綿貫さんが辛い時を乗り越えた言葉が示されました。
私も大好きな週刊モーニング連載の宇宙兄弟の一説。
「もし、諦めきれるなら、そんなものは夢じゃない」
その瞬間、会場にいる生徒達の目がキラリと光ったように感じました。
中学生にとって「夢」は漠然とした淡い光を持つ蛍のような存在かもしれません。
その淡い光を胸に秘め、消えないよう、消えないようそっと大事にしている状況かと思います。
57次観測隊員の一言コメントの中で「夢は口にした時点で半分叶っている」という言葉がありました。
その瞬間に、朝の連続ドラマ「あまちゃん」でアイドルを目指す二人が、それぞれ場所は違ってもトンネルに向かって「アイドルになりたい」と絶叫した時のことを思い出しました。
そして、講演も最後となり、第一次南極越冬隊長、西堀栄三郎氏の言葉に続きます。
西堀氏の言葉は僅か一言。
「やってみなはれ」
素晴らしい講演をいただいた綿貫氏に対する会場が割れんばかりの拍手に包まれたことは言うまでもありません。
70周年記念式典の準備をされた、校長先生を始めとする関係者各位に、心から感謝したいと思います。
また、午後7時からは国立市役所三階で土砂災害に関する説明会があり、そちらに参加して一日が終わりました。