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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

新年に合わせて私の好きな言葉を紹介します。

「禍福(かふく)は糾える(あざなえる)縄の如し」

です。

まずは、この言葉に即した仏教説話を紹介します。

なお、以下は1992年1月1日発行のニュースレターからの転載です。

昔、あるところに一人の独身男が住んでいて、一生のうちせめて一度でいいから幸せになりたいと願っていた。毎日、神に向かって幸福の一片でよいから授けてくれるよう熱心に祈っていると、その甲斐があってか、ある夜、彼の家の戸を叩くものがいる。誰かと思って開けてみると、外に立っているのは、“吉祥”という幸福の女神である。男は飛び上がらんばかりに喜び、家の中に招き入れようとした。

すると女神は「ちょっと待って下さい。私には実の妹がいて、いつも一緒に旅をしているのです」といって、後ろにたたずむ妹を紹介した。

男はその妹を見て驚いてしまった。美しい姉とは裏腹に何と醜い女神ではないか。

「あなたの本当の妹ですか」といかぶると、「申し上げたとおり実の妹で、名を不幸の女神黒耳と申します」という。そこで男は「あなただけこの家に入って、妹のほうはお引取り願えませんか」と頼んでみると、「それは無理な注文です。私たちはいつもこうして、一緒に連れ添わなければなりません。一人だけ置き去りにするわけにはいかないのです」という。

男は困ってしまった。幸福の女神は「お困りなら二人とも引き上げましょうか」となおもいう。男はまったく途方に暮れてしまった。


以上のエピソードは『阿毘達磨倶舎論』にのっている、幸福の女神と不幸の女神が異身同体であることを説いた一節です。

(以上は「仏教名言1087の知恵」松濤弘道著・三笠書房知的生き方文庫から引用)

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」ということわざがあります。

幸せと不幸とは常に相表裏して変転することを、縄のよれ合うのにたとえたものです。人は、幸せだけの条件を求めがちで、不幸の条件が加わると、自分には好ましくないものとして上の説話のように受け入れようとしません。

人がこの世で生きるためには良いところ取りをしようとしても無理があります。それはエゴのなせるわざです。禍福はともに受け入れなくてはならないものであることを、年頭にあたり仏教説話をもとにご紹介しました。

 

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