おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
ここ2年半ほどの間にYou Tube「アドラー心理学専門チャンネル/ヒューマン・ギルド」 やZoomの際に自分の顔を見る機会が多くなるにつれて、自分の額に刻まれたしわが気になっていました。
特に先日、YouTubeで見た自分の顔と32歳の頃の顔を比較すると、40数年の間にこうも変わるの、と自ら印象付けられました。
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(74歳の私)
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(32歳の私)
そんな時期にオードリー・ヘップバーンの顔のしわについてのあるエピソードを思い出しました。
写真家のジョン・アイザックが撮った写真について「フォトショップで修正する?」とオードリー・ヘップバーンに連絡をしてきたときのことを巡ってです。
ヘップバーンの孫のエマ・ファーラーがこんなことを語っていたそうです。
「祖母の顔にはしわがあったから。でも祖母は彼にこう言った。『しわの1本にも手を加えないで。どのしわも私が手に入れたものなのだから』」
エマによると「彼女は美容整形を受けようなんて微塵も考えなかった。彼女にとってしわは年齢と経験、知恵の象徴だったの」とのことでした。
オードリー・ヘップバーンは別のところでこんな言葉を残しています。
「たしかに私の顔にしわも増えました。ただ、それは私が多くの愛を知ったということなのです。だから私は今の顔の方が好きです」
本日で75歳を迎えた私、「どのしわも私が手に入れたもの」、(顔のしわが増えたことについて)「私が多くの愛を知ったということなのです」「私は今の顔の方が好きです」と言えるだろうか?
と、昨日のうちに書いていました。
今朝は、年に1回の恒例の日課として、通常のお経の他に『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』を父母の写真を前にして唱えました。
すると、父母への感謝と共に、父母への不孝が回顧されました。
それにも関わらず父母は私に無償の愛と信頼を注いでくれていたことが蘇ってきました。
私にはまだまだやり残し感として「恩送り」の責務があります。
このやり残し感からすると、顔のしわのことなど嘆いてはいられません。
もっともっとしわくちゃになっても、そのしわを達成感の象徴として刻んでいくことを誓った朝でもありました。
◆カミさんが本を買った東中野のブックプラスに私の65冊目の本『娘が理解できません ― 大人になった娘のために、母親は何ができるか』(小学館クリエイティブ発行、税込1,540円)が平積みになっていたようです。
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有難いことに来年の出版対象の本も決まっています。
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<お目休めコーナー> 12月の花(28)
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