自分では、努力をしたり、不明な点を、とことん追求し解明するなんていう性分ではない事は、よく、承知している。
興味があればとっかかるし、ある程度こなせるなと勝手に了解すると、もう、中断(自分では達成できたと思って・・・)してしまう。
要するに、上面らを、軽くなでる程度の知識しか持ち合わせていないという事である。
だから、人様の意見に反論など、とても出来るものではない。
でも、この頃の社会現象に、多少の違和感は感じていた。
5月23日付け、毎日新聞「異論反論」欄
報道されない「福島に健康被害なし」異説に耳をふさぐな 寄稿 西部 邁氏(評論家)のご意見が、私の気持ちをうまく言い当てている。
以下、抜粋で・・・
国際原子放射線影響科学委員会(UNSCEAR)の委員長がこの1月、福島第一原発事故についての重大な発表をした・・・
この発表によれば、「福島」において現在も今後も、健康被害が出るとは考えがたいという。私も素人判断でそう考えていたので、この発表に驚きはない。それが本当だとすると、ミリシーベルトやらをめぐるこの1年余りの騒ぎは、一体、何だったのか。
いわんや、「東北ガンバレ」と叫び、「絆」に流行語大賞を与えながら、被災地の瓦礫は放射能恐怖ゆえに引き受けない、という日本各地の反応は、卑劣であったのみならず、愚劣であったということになる・・・この発表が正しいなどと主張しているのではない・・・これは重大な情報なんかではない、といえるだろうか。「瓦礫」の処理も1、2割しか進んでいない。「福島」の産品に対する購入拒否も続いている・・・
この重大な発表がなおざりにされているのはなぜか。そこに情報の操作があったとは考えにくい・・・要するに、「さあ大変」に固着してしまった集団心理、そして「さあ騒ごう」に固定されてしまった集団行動、それがこの発表への注目を妨げたのに違いない。
そうだとすると事はさらに重大だ。日本人のオツムが情報を操作したのではなく、情報がこのオツムを静かに通過していったのである・・・
この発表を信じろとは言わない。
(註1)必要なのは頭をつかい耳と口を開くことだ。そういう大人になるための絶好の機会である。異説にたいしての「見ざる言わざる聞かざる」の三猿はやめようではないか。
註1:フォントサイズ変更・太字は「伊豆の花」によるものです