ざっとでも雑草を除去した後の「芝桜」は、気分良さそうに感じます・・・まぁ、私の気分がイイって事ですね
定年で故郷に戻った時、漠然と考えていたのは、70歳になったら身辺を整理しよう・・・という事だった。
とは言っても、一度に、スッパリ、片づける事も大変だろうから、洋服やら本・写真など、持ってはいても、全く、使用しないものを、徐々に処分し始めてはいた。
母の子孝行のお蔭で、同居しながらの介護も70歳前に終えて2年経過し、両親の遺品も、大方、処分したところで、さて、これから、何をどうしようか・・・と、かなり真剣に、実践する決心をしたという次第なのだ。
故郷に戻った段階では、地元には、殆ど、友達と言える人(私の場合は、一緒に呑める友という意味で・・・)が居なくて、度々、友人のいる東京や静岡に出掛けていた。
その内、かつて勤務していた会社の繋がり、小中時代を共に学んだ同級生、生涯教育の関係等で、たくさんの友を得ることになり、我が褒められる事のない人生も充実して来て、楽しい時間を持って来られた。
が、「充実=責任」があるのは当然で、だんだんと、この生活を維持したい気持ちに捉われるあまりに、自分で自分を拘束してしまうようになった。
で、「身辺整理」とは違うだろうが、一切の責任(自分が、そう、感じているだけで・・・)から逃げたいと思うようになり、ここで決断した。
微小であるが畑耕作を止める(姉に依存した)・・・趣味で通った書道を辞める・・・ささやかなボランティア活動から撤退・・・同級生趣味(酒味)の会から退会・・・一番責任を取らねばならない経理事務手伝いから離れる(これは、以前から徐々に進めていたけれど、思うような結果は得られていないが、ただ速やかにという訳にはいかないので、もう少し余裕を持って、近々に・・・)等々、この4月で決行した。
其々に係わる人からは、辞める必要はないのでは?と、問われるのだけれど、ともかく、我が身を「ゼロ」の状態に置きたかったのだ。
ここから何が見えてくるのか・・・何も無い・・・のかも知れないし、再び、同じ事を欲するのかも知れない。
まぁ、「仕切り直し」というには、無計画であり無意味な事だと、私自身さえ思うが、しばらくは、「ゼロ生活」をしながら、「内なる自然発生的要求」を待とう・・・と思っている。
(なにやかや大層な御託を述べているが、実際は、何もかも面倒で、怠けたくなった・・・という事が真実でしょうね)
気温が上がったり、雨が降ったりで、「ジャガイモ・キタアカリ」の成長が良いようだ。
しかし、何やら、草もチラホラと・・・20株程度、植えただけの場所(元は草畑だった!)だけれど、草取りが辛い、嗚呼!