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IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

美への追及?

2017-06-04 18:15:02 | この頃思う事

この春、かなり成長の良かった「カラー」の葉が、変な気候の所為か、一旦、腐ったが、再び、葉を繁らせ、次々と花を咲かせている。

 


       朝、「笹の枯葉掃き」の完了後

まず、写真(上)の道の左端(石積みの境目)をご覧くださいませ・・・ピッシとした境目が綺麗でしょ!笹の葉など、一枚も落ちていない無い境目です。
掃除の後のいつもの風景なのですね、毎度眺めて満足感を味わっているのです。

畑から戻った姉(大体午前中に農作業をするので、大概、掃除の後)は、この写真の上部あたりに設置してある水道蛇口で、鍬・鎌等の農具や収穫した野菜等を洗います。
すると、流れ出た水は、石積みと道との際(キワ)を伝って流れ下るのです。
実を言うと、私は、この水の流れが気に入らないのですよ・・・そう、私の美的風景を乱されるのですよね。
だから、私は、別のところにある水道を使っています。

今日、ちょいと畑仕事をした私が、鍬を洗おうとしていると、姉が来て、「こちらで洗ったら?」と言うのですね。
私は、「いや、そこは、私の美感覚が違和感を訴えるから、洗えない」と答えると、悲しい哉、姉は、「ホント、ああ言えばこう言う、変な性格!」と言うのですよ・・・まぁ、私の美に関するコダワリを理解しないという事なんですね。

しかし、姉のいう事も理解は出来るのです。
と言うのも、かなり、自分でも、少し(否、十分?)偏執病的性格があると感じているからです。
端的には、この掃き掃除での際(キワ)に残る落葉とか、今日の花・カラーの鮮やかな緑の葉に絡んでいる笹の枯葉とかが許せない訳ですよ、一枚一枚、手で拾っているのです。

こういうのって、人様々なのだろうから、説明しても肯定を頂けない「偏執病的美的感覚」とでも言いましょうか・・・時々、自分でも呆れています、笹の枯葉は、絶え間なく舞い落ちて来るのですから・・・
 


一日数回、カラーの葉に落ちる笹の枯葉を取り除き、花の中心に集まるゴミを吹き飛ばしている・・・ホント、キリが無い美への追求なのだ(無駄な事・・・というご意見もあり)。

 


 

コメント (2)
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