とりあえず四種類ある「花しょうぶ」・・・2年前?に、根が固く張ってしまっている株を、必死の思いで株分けしたものにも、今年は、かなりの花が咲いた・・・苦労(?)が報われた。
最近、診察室で聞く機会が増えたことばの一つに、「イライラします」というのがある。「ムシャクシャする」や「あと一歩で爆発しそう」というのも同じだろう・・・これまでは「気が重い」「何もする気になれない」などという“落ち込み系”が多かったが、それにかわって“吐き出し系”が増えたと言ってもいいかもしれない・・・私は、「それはさておき作戦」という話をよくする・・・とはいえ、そうやってすべての怒りやいきどおりを抑えればよい、というわけではない・・・自分が損するだけのイライラと、きちんと相手に伝えたほうがよい怒りとは違う。その見分けはむずかしいけれど、とても大切なことではないだろうか。(6月6日付毎日新聞「香山リカのココロの万華鏡」から抜粋転載・・・伊豆の花)
昨年中の殆どの日々を、多分、私は「イライラ」していたと思う。
それには、「それはさておき」では解消されず、結局、すべてから離脱する方法を取った。
現在、実に軽やかな気分である(肩の荷と心の縛りが取り払われた感じ)。
但し、その後の私は、「怒り」も感じないくらい無関心になってしまった。
何回かあった選挙にも忘れていて行かなかったし、ニュースなど見たくもないからチャンネルを切り替えてしまうし・・・
このコラムを読んだ時、私は人間としての務めを、何もかも、放棄している・・・と、かなりの衝撃を受けたのだ。
巷には、腹の立つ事、納得できない事、このままで良い筈がない事が、散乱・横行しているというのに・・・
私自身が高齢によるエネルギー不足なのだ等とホザイていては、他のご高齢の方々にお叱りを頂いてしまうだろう。
すべてに無関心でいる事が、少~しだけ、安住していられないと思い始めた現象の一つなのだろうか。
偶々観ていたTV映画(ブエノ・ビスタ・ソシアル・クラブ・・・キューバ・古参ミュージシャンの日常をドキュメント風描いていた)に、何時の間にか引き込まれ、意外!感銘を受けた。
生きるって、なんと美しい事か!そんな思いに駆られたのだった。
私の生きる目標も目的も、イイ加減人生では、何一つ果されていないけれど、生きているならば、まだ、何かをしなければいけない・・・そんな気持ちにさせてくれた。
「花しょうぶ」には「水田」が良く似合う・・・なぁんてね、スミマセン、名作からのパクリでした。