撮影はしたものの、「サツキ」の時季を外してしまった。今年は、こんな花たちが咲いていた。
朝から梅雨らしい雨降りの一日・・・シトシト、ピッチャン!シト、ピッチャン。
今日は、県知事選投票日なのだが、何だか動く気がしない・・・雨降りの所為で・・・と、言い訳をしそうな気配である。
漸く咲いた「立葵」が、自身の重みで、雨や風に負けて倒れてしまった。
そのまま、畑に放置するのも見苦しいから、丈の半分程度で切り取り自宅に持ち帰った。
水揚げが悪い上に、花瓶の水も、頻繁に代えないと嫌~な匂いもするから、よそ様に差し上げるのを止めて、我が玄関先の大きな花瓶に、文字通り、投げ入れた。
花もイイが、結構、処分も含めて、手が掛かるのだ。
水仙の球根を掘り起し、秋に再植付けをする予定だが、暫く空き状態の畑に、何か植えておきたいとあれこれ考えたが、結局、生ごみを捨てた場所で自然自力発芽した「カボチャ」を植え替えた。
実が成る事は期待していないけれど、せっかく植え替えたものを枯れさせるのも惜しい・・・という気持はあって、水遣りは勿論、肥料にも注意している。
世間から離脱し、何事にも関心を示さない私に、友人がこう言った「毎日、何か楽しい事がある?」。
毎度の如く、私的格好付方便を用いて、「何事でも、自分が楽しいと思う事が大事では?たとえば、我家の花壇に咲く何の変哲もない花が、昨日より今日、今日より明日と変化するのをまじかに見るのも楽しいし、庭師の手入を施さない庭木でも、眺めながら今度あの枝を払おうかと考える事(私の場合、ほゞ考えるだけだが・・・)も楽しいし、殆ど空の冷蔵庫に僅かに残っているものを、如何に食材として始末出来るか実践するのも楽しいし・・・こんな事って、つまらない・退屈だと思ったらつまらない事になるし、楽しいと思えば楽しい事になる」ってね。
実際には、私だって退屈している時間の方が多いと思うが、並みの人生に於いて、楽しい時間が連続している事って少ないでしょ?大概が、退屈な時間に身を置いているのではないかな?
だから、とりわけ「退屈な時間」を楽しくないと強調するのもオカシなものではないか・・・私はそう思う。
高齢者全部にそう思えとは言わないけれど、私に限って言えば、もう十分楽しんで来た人生の後は、普通の「退屈な時間」の中で、時折、「目が覚める時間」があれば、それが「一番楽しい時間」だと言えるような気がする。
梅雨真只中の一日、ぼ~っとした頭で、ナマケモノ存在意義を如何に肯定するか巡らしている。
白い花が好きである・・・純真・無垢な精神を持っている訳でもないけれどね、憧れかなぁ・・・